【36-1】広がる不穏(1)

文字数 1,695文字

永瀬と林が蔵間の部屋を出ると、4 回生の島崎珠莉(しまざきじゅり)が待ち構えていて、「先生」と声を掛けてきた。

「どうしたの?」
と永瀬が訊くと、
「雪ちゃん、まだ見つからないんでしょうか?
蓑谷先生もあんなことになって」
と、不安そうな表情で尋ねてきた。

「ああ、心配だね。
残念ながらまだ、警察から連絡はないんだよ。
でも、あまり悪い方に考えるのは止した方がいいと思うよ」

そう言いながらも永瀬は、我ながら取ってつけたような返事だなと思った。
同じ研究室の助教が殺害され、同級生が消息を絶っているのだ。
動揺するなと言う方が無理だろう。

「でも先生」と、島崎はさらに言い募る。
「最近家の近所で、変な噂が流れてるんですよ。

夜になると怪物がうろついていて、人を(さら)って行くって。
だから私、雪ちゃんもその怪物に攫われたんじゃないかって、すごく心配なんです」

永瀬が「そんな馬鹿な」と言った時、横から林が2人の会話に割って入った。
「島崎さん、その噂話をもう少し詳しく教えてくれませんか?
その怪物というのは、どの様なものなのですか?」

「えっと、あくまでも噂なんですけど、頭が2つあって、岩みたいな体の怪物だそうです。
その怪物に、もう何人も攫われてるって」
「いくら何でも、それはないでしょう」

永瀬がそう言って林を見ると、彼は先程よりも更に深刻な表情を浮かべている。
島崎もその表情に気圧されたらしく、黙ってしまった。

すると林は、
「島崎さん、ありがとう。永瀬先生、少しよろしいですか?」
と言って、永瀬の承諾を待たずに部屋に入って行ってしまった。
普段の林には考えられないその態度に、永瀬と島崎は呆然と見送るしかなかった。

我に返った永瀬は、
「島崎さん、何か分かったら君にも知らせるから。実験中でしょ?」
と早口で言って、彼女を実験部屋に帰らせると、林の後を追った。

中に入ると、永瀬の机の横に立った林が、何か深刻に考え込んでいるのが見えた。
「先生。状況は私が想像していたよりも、遥かに深刻かもしれません」
林は苦しい表情を浮かべてそう言った。
その眼差しは真剣そのものである。

「林さん、とにかくお考えを聞かせてもらえませんか?」
そう言いながら永瀬は林に椅子を勧め、自分も席に着いた。
林は席に着くや、真剣な表情で話し始めた。

「永瀬先生。私はイギリスで発生した殺人事件の遠因は、かつてボルトン先生と共生していた、<神>にあるのではないかと考えています」
その言葉に永瀬は黙って肯いた。

「ご承知のように、先程の蔵間先生への質問の意図もそこにありました。
私がその様に推測した理由の1つは、先程お話ししたように、我が教団の過去の記録に、ベンジャミン・トーラスの様な、劇的な変身を遂げた人間についての記録が残されていたからです。

それに関する詳細な説明は割愛させて頂きますが、我が教団の先人たちは、その人物の変身に<神>が関与していたのではないかと疑い、記録を残していました。
私はその記録に興味を持っていたので、今回のトーラスの事件についての情報に接した時、特に彼の写真を目にした時に、すぐにその過去の事例を思い出したのです」

「しかし林さん。先程の教授の話からは、<神>とトーラスの変身の関連性は不明のままではないのですか?」

「確かにトーラスの一件だけでは、<神>が関与していたと断言することは出来ないでしょう。
しかし先生、今身近に起こっている事件を思い出して下さい。

箕谷先生のあの遺体の損傷は、人間のなせる業ではないでしょう。
それに音信不通となった本間さん」

「ちょ、ちょっと待って下さい。
いくら何でもそれは考えすぎです。

確かに箕谷君の遺体の様子は異常でしたが、人力ではなくても何かの道具を使った可能性だってあります。
それに本間君については、まだ状況すら分かっていない」

「先程の島崎さんの話はいかがですか?」
「あれは荒唐無稽すぎます。
怪物が夜な夜な人を攫ってるなんて。

林さんは、彼女の話を信じているんですか?
仮に似た様な誘拐事件が実際起こっていたとしても、うちの研究室とは関係ないでしょう」

そう言い募る永瀬を制して、林が言った。
「梶本先生とはご連絡が取れているのでしょうか?」
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