【18-1】林海峰の回想―神との邂逅(1)

文字数 1,801文字

「貴方は誰だ?」
『己は己だ』
「ではその<己>という貴方に尋ねよう。ここはどこだ?」
『ここは、お前の父の精神があった場所だ』

「それは父の精神の中の世界ということか?」
海峰がその答えにやや戸惑って<それ>に質すと、「そうだ」という明確な答えが即座に返ってきた。

彼はその答えに、さらに戸惑いを感じたが、現在の状況に対する好奇心の方が勝り、<己>との問答を継続することにした。

「何故貴方は父の精神の中にいるのか?」
『己にとって、それが必要なことだったからだ』

「なぜ必要だったのか?」
『己には存在する場所が必要だからだ』

「貴方は人の精神の中でしか生きられないのか?」
『生きるということが、お前たち人間が生命を維持するという意味と同義であれば、それに近いだろう。しかしやや異なる』

「異なるとは?」
『己には、お前たち人間のように寿命というものはない。

肉体を構成する細胞の分裂機能の低下などによって、生命活動を停止することがないという意味だ。
己が存在するために必要な環境の中であれば、常に存在し続けることが出来るのだ』

「その環境が人間の精神世界ということか?」
『そうだ』

「それでは、貴方が存在する人間の精神世界が、その人間の生命活動の停止と共に消滅すれば、存在出来なくなるということにならないか?」

『お前の認識は正しい。人間の寿命は非常に短い。
従って己が存在し続けるためには、己が存在する精神世界を有する人間が生命活動を停止する際に、別の人間の精神世界に移動しなければならない』

「何故、人間が生命活動を停止する際でなければならないのか?
それは貴方が、他の人間の精神世界に、自由に移動することが出来ないということか」

『お前の認識は正しい。
己は一度人間の精神世界の中に入ると、その人間が生命活動を停止したり、何らかの原因で精神活動が停止するなどして、その人間の精神世界が消滅するまで、その中から離脱することが出来ない。

お前をここまで誘導したように、己の一部を外部に出すことは可能だ。
しかし精神世界内部の己と、常に連結している必要がある。
そして己の存在全体を離脱させることは、その精神世界が消滅した後にしか不可能なのだ』

「貴方は今、『一度人間の精神世界の中に入ると』と言った。
それは貴方が他の人間の精神世界から、私の父の精神世界へと移動してきたということか。

それは父が消息を絶った後の、最近2か月間のことなのか。
そもそも貴方はどこから来たのか?」

海峰が<己>に問うと、突然様々な情報が彼の意識の中に直接流れ込んで来た。それは、彼が今対話している<己>の記憶らしかった。
それは所々破損していて、断片的なものも多かった。
海峰は膨大な量のその記憶を消化するのにかなり苦労したが、やがて<己>が存在してきた歴史を大筋で理解することが出来た。
その記憶は、中世と思われる時代の、イタリアの田舎町にあったカトリック教会の司祭と、<己>とが共生している時から始まっていた。

それ以前の記憶はその殆どが損耗していて、内容を明確に読み取ることが出来なかったが、その司祭と共生していたその時代までは、<己>が人間の精神世界の中ではなく、外部に存在していたことだけは、辛うじて判別することが出来た。

そして共生していたその司祭の死が、<己>の存在形態を大きく変えてしまったようだ。
司祭の死によって、<己>は外部の世界から、ある男の精神世界の内部に移動せざるを得なくなったからだ。

それまで<己>は、司祭とその周囲に暮らすカトリック信者たちから、自身の存在を維持するために必要な<エナジー>というものを得ていたようだ。
それは人間の精神活動によって産出されるもののようであった。
それは人間にとっての食料のように、<己>の存続に必要不可欠のものらしかった。

その時<己>が共生していたカトリック司祭は、1人の従者を連れ、イタリア南西部のサルディニア島にある田舎町からバチカンへ向かう旅の途上にあった。
新たな教皇の就任の儀式に参加することが旅の目的だった。

サルディニア島からコルシカ島、更にエルバ島に渡った彼は、島の東部にある小さな漁港で、本土へ渡航するための漁船を雇った。

しかし運の悪いことに、その漁船の持ち主であるパオロという名の漁師は、その名の由来となった聖者パウロとは対極に位置する存在だった。
彼は漁師を隠れ蓑としながら、専ら盗賊を生業とする男だったのだ。
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