【21】蔵間家への招待
文字数 1,984文字
その日は前日にも増して、茹だる様な暑い日だった。気温は全国的に35°Cを超え、場所によっては40°Cを超えているようだ。
そして突然天候が急変し、ゲリラ豪雨と呼ばれる激しい雨が降ったりするのだ。
最近の10年あまりの間に、異常気象という言葉が日常に思える程、極端な天候が続いている。
最寄り駅で林と待ち合わせ、蔵間父娘の住むマンションに向かう間、永瀬はずっと気まずい雰囲気の中にいた。
林の体験談を聞いたあの夜以来、研究室で毎日林と顔を合わせるのは、永瀬にとってかなり気が重いことだったからだ。
もちろん普通に会話はするのだが、態度はどうしてもぎこちなくならざるを得ない。
永瀬にとって救いだったのは、林があれ以来自身の体験談には一切触れず、それ以前と変わらない態度で永瀬に接したことだった。
しかし彼のその態度が、返って不気味に感じられたことも否めない。
この日、永瀬と林が蔵間家を訪問したのには理由があった。
1週間程前に突然蔵間に呼ばれた永瀬は、林を連れて自宅に来るよう言われたのだ。
用件を聞いても、余りはっきりとした答えは蔵間から帰ってこなかったが、どうやら林に対して、研究室では話し難いことがある様子だった。
ロンドンからの帰国後、蔵間は永瀬を含む研究室の職員や学生たちを、個別に教授室に呼んで話をするようになった。
それは渡英前には考えられなかったことだったので、蔵間のその豹変ぶりに永瀬は何となく違和感を覚えていた。
以前の蔵間は、余程のことでもない限り、学生や研究生を教授室に招き入れることはなかった。
永瀬たち職員ですら、それ程頻繁に呼ばれることはなかったからだ。
蔵間顕一郎という人は、
もちろん蔵間の方から、周囲に対して過剰な親近感を示すことはなく、特に学生たちからは敬遠されがちだったのだ。
その蔵間が突然個別面談を始めたので、学生たちは勿論のこと、永瀬もかなり驚いてしまった程だ。しかしかと言って、突然蔵間の親近感が増したということでもなく、相変わらず威厳は保っている。
ただ周囲の人間に、これまでには見られなかった程の関心を向けているように思われた。
実際に蔵間から呼ばれた学生たちに面談の様子を聞いて見たが、特別なことを訊かれた訳ではなかったようだ。
研究の進捗状況であったり、日常の生活ぶりなどについて質問されただけだったらしい。
永瀬も研究室の状況について訊かれただけだった。
しかし、その様な蔵間の変化が原因なのかどうかは判らないが、最近何となく研究室の中が落ち着かない気がしてならなかった。
どこがどういう風にと聞かれても、明確には答えられないのだが、永瀬は毎日何となく落ち着かない気分で過ごしていた。
それはおそらく、林海峰から奇妙な話を聞かされたせいでもあるのだが、蔵間の変化が原因の1つであることも間違いないと思われた。
――そう言えば以前林さんに、教授の雰囲気が渡英前と後とで変わっていないかと訊かれたことがあったな。
永瀬は歩きながら、そんなことを思い出していた。
駅から10分程歩いた場所にある蔵間のマンションに着いた永瀬たちは、エントランスの壁に設置されたシルバーのセキュリティボードの数字版を操作して、蔵間宅の部屋番号を押した。
数秒置いてインターフォンから、娘の
永瀬がインターフォンに向かって名乗ると、「どうぞ」という未和子の声に続いて、カチャリと玄関のロックが解除される音が鳴った。
永瀬たちは玄関フロアに入り、エレベーターで3階に向かった。
エレベーターを降りると、フロアの一番奥にある、蔵間の部屋のインターフォンを鳴らした。
少しの間をおいてドアが開き、未和子が中から顔を覗かせて挨拶する。
久しぶりに未和子を見た永瀬は、相変わらず綺麗な人だな――と素直に思った。
父の蔵間とは余り似た所がないので、多分亡くなった蔵間婦人の血を色濃く受け継いでいるのだろう。
未和子に
するとすぐに蔵間顕一郎が部屋に現れ、永瀬たちの前に座ったので、2人は慌てて立ち上がり、彼に挨拶する。
室内は空調が利いていて、非常に快適だった。
一旦部屋を出た未和子が、高級そうなティーセットの乗った盆を持って入って来た。
そしてテーブルに4人分のティーカップを並べて、紅茶を注ぐと、黙って蔵間の隣に座った。
彼女も会話に参加するようだ。
室内に淡い紅茶の香りが漂う。
ティーカップに口をつけながら、
「今日も暑いですね」
と永瀬が差しさわりのない話題を振ると、蔵間は「そうだね」と首肯し、次に林に向かって驚くべきことを言った。