【04-4】21世紀の切り裂きジャック(4)

文字数 2,262文字

バドコックは当初この捜査に関与していなかったが、2件目の事件発生と共に広域捜査の責任者を命じられ、捜査の指揮を執ることになった。
その前から事件の情報は間接的に聞き及んではいたのだが、実際に捜査資料を詳細に読み込んだ後、彼は頭を抱えてしまった。

長年殺人事件の捜査に携わってきたバドコックだが、人を噛み殺すなどという、愚かとしか表現しようのない方法を採用した犯人に出会うのは、当然のことながら今回が初めての経験だったからだ。

彼に言わせれば、この犯人の手口はあまりに効率が悪すぎる。
それ以上に、人体の一部を噛み切って殺害するという行為自体への、心理的抵抗が大きすぎると思う。

勿論その様な嗜好の者が絶対にいないとは思わない。
しかし、殺人の手段としてはどうだろうか。

もし何らかの理由でその様な方法を選択せざるを得ないのであれば、まず被害者を拉致拘束するなりして、人目につかない場所で実行するのではないだろうか。
いくら夜とはいえ、いきなり街中で道を歩いている人間を襲って噛み殺すという犯人の行動原理は、彼には到底理解出来るものではなかった。

バドコックは、人間が取るに足らない、他人から見れば本当につまらない理由で、いとも簡単に殺人を犯すことをよく知っている。
これまでの刑事生活の中で、そのような犯罪者をうんざりする程見てきたからだ。

その中には、殺害という行為から得られる快感自体が目的という者も僅かながらいた。
そしてその様な輩は、当然のことながら連続して人を襲うようになる。
だから今回の犯人もそのカテゴリーに含まれるのかも知れない。

しかし犯行の動機はどうであれ、今回の事件のように襲ったその場での対象の殺害を意図する者は、出来るだけ短時間で効率の良い方法を選択するものだということを、彼はこれまでの捜査経験から熟知していた。

その理由としては、犯人が自身の犯行を第三者に見咎められないために、そうするということも考えられる。
しかしそれよりも相手からの反撃を恐れ、その前に出来るだけ大きなダメージを与えようとする、人間が本質的に持っている恐怖心に根差した行動原理だと、彼は思っている。

従って相手の頸部を噛んで殺すという方法は、彼の経験則に裏付けられた犯人の行動原理から、著しく逸脱していると言わざるを得ないのである。

攻撃対象の頸部を噛むという手段は、確かにビッグキャットが獲物を襲う時の手口と類似している。
当初捜査員たちに、野生化したヒョウの犯行を連想させた理由もその殺害方法だった。

しかしビッグキャットは獲物の喉首に食いつくことはしても、その部分を喰いちぎるような無様な殺し方はしない。
彼らの手口は主に、獲物の喉に食いつき窒息死させるという、非常に合理的で洗練された殺害手段なのだ。

つまりこの犯人は、獣以下の知能しか持たない、がさつで下品な殺人狂ということだ。
――まるで映画やテレビドラマに出てくるゾンビのようだな。
そう思うゆえにバドコックは、この一連の馬鹿げた犯罪を繰り返す犯人から、人間の臭いを嗅ぎ取ることが、どうしても出来なかった。

しかし一方で、そのゾンビ野郎を未だに逮捕出来ないどころか、特定すら出来ずに犯行を許しているというのが、彼と部下たちの目の前に立ちはだかる現実なのだ。

敏腕で鳴らした彼のチームは無論、ただ手を拱いていた訳ではない。
捜査員たちはこの2か月余りの間、犯人の特定と再犯防止のために、文字通り不眠不休で捜査に注力してきた。

彼らの懸命の捜査によって、膨大な数の証拠や証言が集められていた。
そしてそれらの証拠や証言を(ふるい)にかけ、分類分析して犯罪を再構築していく作業が連日のように繰り返されてきたのだ。

それにも拘らず捜査は行き詰まり膠着状態に陥ってしまっている。
その結果ヤードに対する世間の不満と不信は日々高まって行った。
それが大きな社会不安へと転化して行き、やがてヤードに対する轟々とした非難が巻き起こることになったのは必然と言えるだろう。

世間の非難の矛先は、当然のことながら直接捜査の指揮を執るバドコックに対しても向けられることになった。
そしてその結果積み重なった彼の不機嫌は、今や爆発寸前の臨界状態に達しつつあるのが、部下たちには手に取るように分かっていた。

バドコックは自分の感情を明白に表に出さず、内に溜めこむ男だったので、日々険しくなっていく仏頂面、特に眉間の皺の深さは、彼の怒りと憤懣のバロメータだった。
彼との付き合いの長い者は、その表情を見れば怒りの度合いが読めるらしい。

今朝も彼の視線を極力避けるような挙動を示す捜査員が、そこかしこに見受けられた。
――糞ったれどもが。
そんな部下たちを見てバドコックは、心の中で毒づくのだった。

しばらく現場での実況見分に立ち会い、必要な指示を出したバドコックは、後の指揮をベテランの部下の1人に任せて一旦オフィスに行くことにした。
雨はまったく止む気配がない。

現場に着いた時と同様、空を恨めし気に見上げると、彼は雨晒(あまざら)しになっている被害者の遺体にもう一度目を向ける。
おそらくインド系と思われる顔立ちの、かなり若い女だった。

目の大きな、生前はかなりの美人だったと思われる容貌だったが、今その目は恐怖に見開かれ、無残な印象だけを残している。
彼女の恐怖を思うと、犯人に対する昏い怒りが腹の底から湧き上がって来た。

バドコックは彼女に向けて、胸の前で小さく十字を切った。
そして出来るだけ早く現場検証を切り上げて、司法解剖に回すよう部下に指示すると、足早に車に乗って現場を離れたのだった。
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