【44】事件―その後

文字数 2,729文字

それからの数日間を、永瀬晟(ながせあきら)は、半ば呆然自失として過ごしていた。
自分が体験したことが、あまりにも現実離れしていたので、自分の心と、現実との折り合いを付けることが難しかったからだ。

あの夜永瀬は、鳴り響く緊急車両のサイレンと、人々が口々に放つ怒号が織りなす喧噪を後にして、林海峰と共に無人の研究室に戻った。
本当は最後まで事件現場に残り、状況を見届けたい気持ちが強かった。

しかし、
「これ以上ここにいても無意味です」
林海峰(リンハイファン)に促され、その静かな迫力に押されるようにして、大学に戻ったのだ。

研究室で落ち着いたところで、林は、彼が梶本の精神世界に入り、そこにいた<神>から知り得た事実――梶本恭子が何故、そしてどの様にして、あの怪物の様な姿に変身し、あれ程凄惨な殺人を繰り返すに至ったのかを詳細に語った。

「永瀬先生には、そのことを知る権利があります」
というのが、彼が語った理由だった。

話を聞くにつれ永瀬は、彼女の運命を(もてあそ)んだ<神>への憤りを禁じ得ず、その思いを彼にぶつけた。
「何の目的で<神>は、梶本君にあんなことを。
私は到底納得出来ない」

「<神>に何らかの意図があった訳ではないのです。
<神>は数万年、あるいは数十万年前と変わらず、そこにいただけなのです。

ただ梶本さんにとっては、<神>が近くにいたことで、不幸な偶然が重なってしまった。

ボルトン夫妻が亡くなったのも、蔵間先生たちがその場に居合わせたのも、それ以前に<神>がボルトン夫妻を共生者として選んだのも、すべて偶然の積み重ねだったのです。

仮にそれが、どこかの誰かが仕組んだ予定調和だったとするなら、何ともお粗末で、不愉快極まりない結末ですが」

まるで永瀬の怒りを代弁するかのように、林は静かに、そして最後は吐き捨てるように言うのだった。

少し冷静さを取り戻した永瀬は、事件の真相を警察に告げるべきではないかと、林に図った。

しかし林は首を振り、
「そうすることで誰も救われません。
梶本さんだけでなく、彼女に殺された方々も、そのご家族も、そして永瀬先生や私もです。

そもそも梶本さんが、あのような凶行を働くことになった経緯について、警察や世間一般を納得させる説明自体が不可能です。

やはり事実を公表することは止めておきましょう」
と静かに、しかし永瀬の反論を許さない強い口調で言ったのだった。

確かに梶本が行ったのは、紛れもない犯罪行為、残虐な殺人だった。
その事実は変えようがない。

しかし事実を(つまび)らかにすることで、犠牲になった人々の家族や友人の受ける傷は、逆に深くなるのではないだろうか。
犠牲者たちが殺害された理由や、その状況を知っても、その人たちの悲しみの量が減る訳ではない。

――この事件の場合は、むしろ真相を明らかにしない方がいいのかも知れないな。
自分自身を納得させる、言い訳かも知れないと思いつつも、永瀬は林の意見に同意した。

梶本恭子の最後の願い、自身が怪物と化したことを、誰にも知られたくないという願いを無碍(むげ)にすることは、彼には出来なかったからだ。

――林さんの言うように、<神>が実在し、偶然にもその力で怪物と化した人間によって、被害者たちが殺害されたと主張しても、警察も世間も信じはしないだろう。
永瀬はそう考えて、無理矢理自分を納得させるのだった。

ただ梶本と犠牲者たちが身元不明のままでは、さすがに彼女たちが浮かばれないだろうとも思ったので、その懸念を林に伝えた。

すると林は、
「それはこちらで処理します」
と請け合ってくれた。

実際翌日の午後には、梶本と被害者たちの身元が警察によって公表されることになったのだ。
おそらく林が教団を通じて、密かに警察に情報を流したのだろう。

――まったく油断のならない男だ。
永瀬はその手際の良さに、呆れる思いだった。

そして事件の翌日から、事の成り行きに呆然としたままの永瀬にとって、容赦のない慌ただしい日々が始まることになった。

事件の報道は日本だけでなく海外をも駆け巡り、世間はまさに興奮の坩堝と化したのだ。
廃ビルで起こった爆発現場から5体の焼け焦げたバラバラ死体が発見されたのだから、それも当然だろう。

当初は爆破テロの疑いも持たれたが、その憶測は即座に警察によって否定され、漏れたガスへの引火が原因と発表された。
その結果、世間の人々は概ね胸を撫で下ろす一方で、興味本位の一部マスコミの中には何故か残念がる向きもあったようだ。

そして犠牲者として梶本恭子と本間雪絵の身元が発表されてからは、マスコミ関係者だけでなく、大学とは縁も所縁もない野次馬までもが大挙して押し寄せる始末だった。

幸い、箕谷の事件が発覚した直後に、対策が取られていたおかげで、それら部外者の学内への立入りは辛うじて阻止することが出来た。

中にはYouTuberと称する不審者が、塀を乗り越えて学内に侵入しようとして警備員に阻止され、警察に突き出される騒ぎもあったようなのだが。

そんな中で永瀬は、生まれて初めて記者会見というものに臨み、マスコミの矢面に立たされる羽目になった。

箕谷の事件を含めて、こちらから積極的に情報発信した方が、世間の騒ぎを早期に沈め、その眼を大学から逸らすのに有効であるという、林海峰の意見を、学長と富安学部長が入れた結果だった。

会見での記者とのやり取りは、後から見返すと赤面してしまう程しどろもどろだったが、どうにか乗り切ることが出来た。

本来記者会見には、研究室の責任者である蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)教授が出席すべきだったのだが、彼の性格がマスコミ対応に全く不向きであることや、事実関係を最もよく知るのが永瀬であることを考え、学長と学部長の間で取り決められたようだ。

確かに蔵間を記者会見の場に出すと、どのようなハプニングが起きるか予想できないと考え、彼は渋々ながらその意見に賛同した。
しかし永瀬はこの話し合いの裏に、林海峰の暗躍があったのではと、いまでも疑いを持っている。

事件は結局、老朽化したビル内のガス漏れによる爆発事故として処理された。
そして梶本を含む犠牲者たちの死因は遺体の損壊状況が甚だしく、現時点では特定不能と発表されたのだった。

その結果、爆発が事故であったのか、それとも事件であったのかも、世間では依然として不明のままである。
被害者たちが何故そこにいたのか、おそらく警察もその理由を特定出来ずにいるのだろう。
そしてこのまま時間の経過と共に、世間の目は次の関心事へと移ろって行き、やがて事件は迷宮入りして行くものと推測された。

――林さんの言う通り、誰にとってもその方が良いのだろう。
永瀬はそう思い、心の中で梶本恭子(かじもときょうこ)本間雪絵(ほんまゆきえ)、そして箕谷明人(みのやあきひと)や他の顔も知らない犠牲者たちの冥福を、幽かな胸の痛みと共に祈るのだった。
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