【41-3】悲しき魔人(3)

文字数 1,984文字

「原因は私が行った、遺伝子の構造変換です。
正確には、この梶本恭子という人の精神と同化した、私の構成要素の一部が、この人の願望に基づいて変換を行ったのです。

この梶本恭子という人は、怒りの対象となった人間を罰したいと、強く望んでいましたが、この梶本恭子という人の肉体的能力は、対象者より劣っていたため、その人間たちを罰することは困難でした。

そのためこの梶本恭子という人は、対象者たちを処罰するのに適した能力を得るために、自身の肉体的能力が向上することを、意識下で強く願望したのです。
私の構成要素の一部はその願望に刺激され、遺伝子の構造変換による骨格や筋力の増強を行ったのです」

「貴方は、遺伝子変換の知識や能力を持っていたのですか?」
「私はその情報を、あの者の記憶から取得しました」

「やはりそうでしたか。
しかしあの方はその様な情報を持っていないか、あるいはそれが<神>にとって禁忌に該当する情報であると言われていました。
貴方にはそれが禁忌であるという認識はなかったのですか?」

「禁忌とはどのような意味ですか?
遺伝子変換に制限をかけるということですか?

私には理解出来ない。
私が彼の者から取得した、遺伝子変換に関する情報には、その様な制限は設けられていませんでした」

「情報が複写される過程で、制限が外れてしまったということですか」
そう言って林は考え込んだ。

「貴方は、私の同化した構成要素の一部が行った遺伝子変換について、批判的な意見を所持しているようです。
それについては私も賛同します」
「何故ですか?」

「遺伝子変換によってこの梶本恭子という人の筋力は、対象者への処罰を十分に行使出来るまで向上しました。
しかし一方で、この梶本恭子という人は、他の臓器に深刻な損傷を負ってしまいました。

それが最も顕著なのが心臓という臓器です。
過大な筋力の行使によって、この梶本恭子という人の心臓に多大な負荷が掛かったことが原因と推察されます。
既にその損傷は、致命的な段階に達しようとしています」

「何故貴方の同化した構成要素の一部は、梶本さんの心臓を、筋力の行使に耐えられるように強化しなかったのですか?」
「この梶本恭子という人が、筋力の強化だけを願望し、他の臓器の強化を願望しなかったためと推察されます」

林は梶本の置かれた状況を知り、胸が詰まる思いがした。
無論彼女は、自身が怪物になることを望んでいた訳ではなく、強い道徳心に基づく怒りに翻弄されてしまっただけなのだ。

しかし彼女にとって不運だったのは、蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)父娘が偶然旅先から伴ってきた<神>によって、彼女の中で眠っていた別の<神>が再起動してしまったことだった。

その結果、彼女が望んだ訳でも、彼女の中で眠っていた<神>が、意図した訳でもないのに、普通の人間としての在り様を放棄させられてしまったのだ。
――何という悲しい巡り合わせなのだろう。

「何故貴方は、情報の発信を中止したのですか?」
<神>の問いかけに林は我に返って言った。

「失礼しました。
では貴方に、最後の質問をさせて頂きます」
「容認します」

「梶本さんを、以前の姿に戻すことは出来ますか?」
「それは不可能です。
既にこの梶本恭子という人の変化は、不可逆的なレベルに達しているからです」

「やはりそうですか」
林は無念そうに言うと、「一つ提案があります」と続けた。

「どの様な提案ですか?」
「私があそこにいる梶本さんと、対話する手伝いをして頂けませんか?」

「何故その様な行為を希望するのですか?」
「肉体の復元は出来ないとしても、せめて彼女の心を、人間に戻してあげたいからです」

「その理由は理解出来ません。
この梶本恭子という人は、既に人間としての精神を所有しています。

人間の心とは精神活動の産物です。
それを人間に戻すという意味が理解出来ません。
それとも人間の精神と心は、定義が異なるものなのですか?」

「確かに心は、人間の精神活動によって生まれるものです。
しかし心には様々なステータスがあるのです。

今の彼女の心の状態は非常に不安定で異常です。
私はそれを正常な状態に戻してあげたいのです」

「今の貴方の説明は理解出来ました。
そしてこの梶本恭子という人の心が、貴方の言う正常な状態に戻ることは、私にとっても有益です。

何故ならば、今のこの世界の状態は、私が存在を継続する上で、非常に危険であるからです。
従って私は貴方の提案を受け入れ、貴方が試みる行為に協力しましょう」

「ありがとうございます。
では、今この世界に満ちている怒りの数を減少させることは可能ですか?」

「この人の神経伝導系に干渉して、怒りを生成している部位の活動を低下させ、一時的に怒りの量を減少させるだけであれば、可能であると推察されます。

しかしそのような試みには、時間的な制限があることも、同時に伝達します」
梶本恭子の中の<神>はそう言って沈黙した。
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