【40-1】魔人の精神世界(1)

文字数 1,611文字

林海峰(リンハイファン)はその時既に、梶本恭子(かじもときょうこ)の精神世界の中にいた。
正確には彼女の精神世界と、自身の精神世界を同期させ、梶本の精神内部に直接コンタクトをとっているのだ。

この行為は彼にとっては、非常に危険を伴うことだった。
何故なら、他者の精神世界と同期している間、彼自身は完全に無防備な状態であり、凶悪な力を持つ梶本の攻撃には、対処することができないからだ。

そのため彼は、永瀬晟(ながせあきら)に梶本の注意を集中させ、彼女の行動を精神世界内部から制御できる状態になるまで、自身の存在を梶本に察知されないよう、細心の注意を払っていた。

もちろんそれは、永瀬にとってもリスクを伴うことだったのだが、林には、梶本が彼に危害を加えることがないという確信があったのだ。

梶本の精神世界の内部には数多くの怒りの塊が、不規則な動きで飛び交っていた。
初めはそれが何なのか分からなかったのだが、飛んで来たそれに触れた瞬間に、それが彼女の怒りであることを、はっきりと認識することが出来たのだ。

怒りの塊は様々な色彩で彩られており、大きさや形状も一定ではなかった。
その塊は静止した状態から前触れもなく空間に飛び出し、大きさや形状を変えつつ移動しては、どこかに当たって跳ね返るという動きを繰り返していた。

そして再び静止状態に戻るのだ。
塊に触れても何か影響がある訳ではないようだが、林は慎重にそれを避けつつ、世界の中を進んでいった。
周囲には、その塊以外の気配はない。

しばらく進むと、行く手に開けた空間が見えた。
その中心に、飛び交う塊の密度が極端に濃い場所があるようだ。

その場所までどれ程の距離があるのか、まったく知覚することは出来なかったが、とにかく林はそこに向かってひた進んだ。
その時突然彼の目の前に、大きな影のようなものが姿を現した。

周囲を見渡すと、塊の密度が濃い場所に、いつの間にか到達していたようだった。
目の前に立った影は、見上げる程の大きさで、人間の女性の様な形をしていた。

顔は漆黒の闇で、そこに目が2つ、白く穿たれている。
口や鼻や耳はなかった。

林がその影に触れると、
「あんた誰よ?」
と詰問する声が影から聞こえた。

それと同時に、
「貴方は誰ですか?」
と影の声に重なるように、別の声が聞こえてくる。

その時林は、自分が目的の場所の到達したことを知る。
「あなた方に会いに来た者ですよ」
林は2人の問いに答えた。

「私に会いに来た?」
「私に会いに来たのですか?」
また声が重なる。

「そうです。あなた方お2人に会いに来ました。
まずは梶本さん、最近貴方は、鏡を見ましたか?」

「鏡?鏡が何だって?」
「駄目です。言うことを聞いてはならない」

「あんた煩いわね。ちょっと黙っててよ」
「止めなさい。聞いてはならない」

「梶本さん。
貴方は最近、鏡に自分の姿を映してみましたか。

ほら、そこに鏡がありますよ。
そこに映っているのは、貴方ご自身が望んだ姿ですか?」

林はもう1つの声に構わず、梶本に向かって、そう畳み掛けた。
「鏡?どこに?」
「止めなさい。鏡を見てはいけない」

****
入口の壁に立てかけられた鏡に映し出された、自身の姿を束の間見つめた梶本は、突然「きゃああああ」と金切り声で叫び始めた。

そして自分の髪を掻き毟りながら、巨体を丸める様にして、その場に(うずくま)ってしまう。

「違う。違う。違う。違う。
私じゃない。私じゃない。私じゃないいいい」

永瀬はその姿を見て、声を失ってしまった。
突然梶本に何が起こったのか、まったく理解出来なかったからだ。

そして漸く我に返って入口の脇に座る林を見ると、こちらは周囲の状況がまるで見えていないかのように、うっすらと眼を閉じている。
ただ静かに佇むその姿とは裏腹に、何物も寄せ付けないような強い気配を発していた。

永瀬は自分の知らない、道教教団の教主としての彼の姿を垣間見たような気がして、身震いを禁じ得なかった。
そして自分の目の前で展開している異世界の状況に、只々茫然と立ち尽くすだけだった。
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