【09-6】急展開(6)

文字数 2,490文字

「それで、あの部屋の住人は確認が取れたのか?」
バドコックは気を取り直して訊いた。
それにはウィットマンが答える。

「はい。あのアパートの管理会社に当たったところ、住人はベンジャミン・トーラス、33歳、スコットランドのアバディーンの出身です。

あの部屋に入居したのは4年程前で、警部が言われたようにロイヤルメール(英国の郵便公社)の職員でした。しかし6週間程前に(くび)になってます」

「馘?」
「ええ、突然体調不良とかで会社を休んだ後、一度も出て来なくなったんで、そのまま」
そう言いながらウィットマンは、右手横に振って首を切る仕草をした。
「連絡もせずに馘かよ?」

「いえ、何度か上司が電話したようなんですが、言い訳するばかりで。
終いには上司に向かって怒鳴り返す始末だったそうです。

で、上司もとうとう切れちまったそうで。
結局その後、一度も出てきてないみたいです。

会社の方では残りの給料をさっさと精算して、奴の口座に振り込んだそうですが、それについても何の反応もなかったようでして」

「そのトーラスというのは、どんな野郎だったんだ」
「大人しい男だったみたいですよ。職場でもあまり目立たないような。
人付き合いも良くも悪くもない、そこら中にごろごろしている平凡な男だったようです」

「そんな奴が上司に切れて、怒鳴りつけたのかい?妙だな」
「ええ、上司も訳が分からず、驚いたと言ってました。
まあ、誰だって怒りに我を忘れる時くらい、あるのかも知れませんがね」

「ふん、まあいい。それでそのトーラスというのは、背格好はどんな奴だったんだ?」
「これがまた至って平凡で。身長は67インチ(約170cm)、体重は120ポンド(約54kg)足らずの小柄で痩せた男です。
髪は長めで薄いブラウン、瞳はアンバー、履歴書の写真を見た限りじゃ、顔立ちにも目を引くような特徴はなかったですね」

「頭が禿げてるってことはなかったのか?」
「写真を見た限りでは、ふさふさしてましたよ。どうしてです?」
「いや、何でもない」

バドコックはそう誤魔化しつつ、逃げた男の姿を思い出していた。
――奴の頭はほとんど禿げあがって、所々に長めの毛髪が取ってつけたようにぶら下がっていた。
――だとすると、奴はトーラスではなかったのか?

「警部、どうされました?」
ウィットマンの言葉にバドコックは我に返った。

そしてその場を取り繕うように、
「トーラスの部屋から逃げた野郎は、まだ見つかってないんだな?」
と、ウィットマンに確認する。

「ええ、まだですね。非常線にも引っかかって来ません。
あのアパートの近くに広い公園があって、結構樹木が生い茂ってますから。
そこに紛れ込んでる可能性が高いですね」

「何でそう言い切れるんだ?」
「実はあの辺りで、妙な聞き込み情報がありましてね」
「妙な?」

「ゴブリンが走って公園に入って行ったとか。オークだったとか」
「ゴブリン?オーク?何だそりゃ?」
「ゴブリンとかオークとかいうのは、<ロード・オブ・ザ・リング>なんかに出て来る化物のことですよ」

横からキプリスが得意げに口を挿むのを睨みつけて制すると、
「質の悪いデマじゃねえのか?」
と、バドコックは改めてウィットマンに質した。

「俺も最初聞いた時は、そう思ったんですけどね。
何人もそう言ってる目撃者がいるらしいんですよ。

共通してるのは、上半身裸で頭の禿げあがった野郎が、公園に逃げ込むように入って行くのを見たと言うんですよ」

そう言って語尾を濁したウィットマンを、「どうした?」と言ってバドコックは睨んだ。
「いやそれが、目撃者が口を揃えて、そいつの口が頬まで裂けてたとか、両腕が異様に太かったとか、集団幻覚でも見たんじゃないかと思うくらい馬鹿げた証言で」

そこまで言ってウィットマンは、バドコックが一段と厳しい表情をしたのを見て、黙り込んでしてしまった。
多分この狷介な警部を激怒させたかも知れないと思い、次にその口から飛び出して来る罵声に備えた。

しかしバドコックからは意外な反応が返ってきた。
「そいつは、俺が見た奴だ」

「何ですって?」
ウィットマンは、慌ててそう訊き返す。

「だからよ、その禿げて口の裂けた野郎は、あの部屋から飛び出して来て逃げた野郎だと言ってるんだ。
目撃者の証言は正しいって言ってるんだよ」
結局最後は、低い怒鳴り声に変わった。

「じゃあ、警部もゴブリンを見たと?」
バドコックの怒声に慣れきっているウィットマンは、平然とそう返した。

「ゴブリンだあ?そんなお伽噺に出てくる化け物じゃあねえよ。
あれは多分人間だ。

それでも目撃者の言うように、口が裂けて、腕の筋肉が異常に盛り上がっていたのは事実だ。
俺と目撃者が揃って薬にラリッてない限り、事実なんだよ」

束の間オフィスに気まずい沈黙が流れた。
部下は3人とも信じられないという表情で、黙ってバドコックを見ている。

彼の口からそんな科白が飛び出すとは、少なくとも普段の彼を知っている者からすれば、想定外にも程があるということだ。
その妙に重苦しい空気を振り払うように、バドコックは言った。

「おいクリス、そのゴブリン野郎が逃げ込んだらしい公園に的を絞るぞ。
広さはどれくらいあるんだ?」
「確か、50エーカー以上あったと思います」

「クリス。警邏の警官を動員して、2人1組の隊を10隊作らせろ。
お前らも2人1組になって公園を隈なく捜索しろ。
念のために銃は携行して行けよ。

それから入り口には警官を3人ずつ配備して固めるんだ。
今張ってる非常線は公園の周囲に範囲を絞り込め。

上にはこれから俺が説明して納得させるから、すぐに動け。
そらっ、愚図愚図するな」

慌ててオフィスを出て行く部下たちを一睨みした後、バドコックはデスクフォンで上司のヴァスケス警視長に内線電話を掛ける。
幸いヴァスケスは席にいて、すぐに電話に出た。

バドコックは状況を早口で説明すると、警官動員の許可を貰えるよう、半分脅すようにして頼み込んだ。
その勢いに押されたのか、彼は思いの外すんなりと許可を降してくれた。

バドコックは席を立つと、電話で何か指示を出しているらしいウィットマンに声を掛け、刑事部屋を急ぎ足で後にした。
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