【04-2】21世紀の切り裂きジャック(2)

文字数 1,690文字

やがて不幸な被害者の数が増えるに従って、世間は騒然とし始めた。
一連の事件が、100年以上も前にロンドンだけでなく世界中を震撼させ、やがて迷宮入りしてしまった、(くだん)の連続殺人事件を彷彿とさせたからだ。

その当時にはこの世に存在すらしていなかったはずの、現代のロンドン市民たちの脳裏に、<ジャック>と呼ばれたその殺人犯が、まるで鮮明な記憶として蘇ったかのようだった。

一部の煽情的なメディアは、犯人を<21世紀のジャック>などという巫山戯(ふざけ)た通り名で呼び、連日のように世間を煽り立てた。
その馬鹿騒ぎに浮かれたように、<ジャック研究者>なる怪しげな肩書の男まで登場する始末だ。

そのお調子者の説によると、19世紀に<ジャック>が捕まらなかった理由は、彼が現在にタイムスリップしたためだと言うのだ。
そして現在のロンドンに現れた彼が、再び犯行を繰り返し始めたのだと付け足した。

捜査員たちにとっては、まったく持って噴飯物の荒唐無稽な説だった。
彼らは当然のことながら、その男が主張する説を鼻にも引っ掛けなかったのだが、テレビ番組でその男が力説する妄言を信じ、一緒になって騒ぎ出す大馬鹿者まで出てきているらしい。

しかしバドコックとその部下たちは、その一連の馬鹿騒ぎを、ひたすら苦々しい思いで見ているしかなかった。
何しろ犯人を特定する端緒すら、未だに掴めていないということが、彼らに突き付けられた冷厳たる現実だったからだ。

それでも捜査員たちは、世間から容赦なく投げつけられる冷眼と罵声をひたすら耐え忍びながら、黙々と捜査を続けてた。
バドコックは、そんな部下たちの忍耐と努力を心の中で賞賛すると同時に、何ら明確な捜査方針を示すことが出来ない自身の無能さに、忸怩たる思いを抱きながら日々を過ごしているのだ。

今回の事件は彼にとって、これまで歩いてきた事件捜査の華々しい王道から、突然暗い脇道に迷い込んでしまったようなものだった。

勿論バドコックは、100年前の殺人犯と今回の犯人との間に、何ひとつ関連性を見出してはいなかった。
それどころか、今回の犯人は<ジャック>の模倣犯ですらないと考えている。

<ジャック>と呼ばれた殺人犯は、署名入りの犯行予告を新聞社に送り付けたという。
これについては、自社の新聞売り上げの上昇を狙った記者によるものだという説もあるが、もしそれが<ジャック>本人の仕業であったならば、妙に世間を意識した外連味たっぷりの嫌な奴だ。

そういう意味では、<ジャック>が極めて人間的な犯人であるというイメージを彼は持っている。
それに対して今回の犯人からは、どうしても人間――彼が知悉しているという意味での人間の臭いがしない。

バドコックがそう感じる主な理由は、殺害方法の明確な違いだった。

<ジャック>について言えば、同時期に同じイーストエンドにあるホワイトチャペル地区とその近隣で発生した、<ホワイトチャペル殺人事件>と呼ばれた一連の殺人事件の一部が彼の犯行であるとの疑いが持たれているが、どの事件が<ジャック>による犯行であったのか、完全に特定されることなく現在に至っている。

しかし確実に彼の犯行とされている5人の娼婦の殺害に関しては明確な共通項があった。
それは、全て鋭利な刃物で喉を切って被害者を絶命させ、死体を切り刻み、時には一部の臓器を持ち去るという一連の犯行プロセスであった。

その共通項ゆえに、<ジャック>は解剖学の知識を持つ医師か、あるいは食肉業者であるとする説が当時有力視されていたらしい。

しかし今回の犯人は違った。
殺害方法が極めて特殊なのだ。

最初の犠牲者である、プライマリースクール教師のスーザン・ファウセットの遺体が発見された時、現場で初動捜査に当たった警官の多くが、そのあまりの凄惨さに彼女の遺体から目を背け、その場で嘔吐する者も少なくなかったという。

彼女の死因は、左側の頸部を抉り取られたことによる失血性ショック死だった。
そして解剖の結果、どうやら犯人は彼女の頸部に噛みつき、食い千切ったらしいという所見が出され、捜査員たちはそれまで経験したことのない程の衝撃を受けることになったのだ。
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