【02-1】2022年、ロンドン、インフィールド自治区郊外(1)

文字数 1,872文字

『過去にない記憶の消滅が始まっています。
この55時間28分間だけで、それまでの347年間で失った量の、1.786倍の記憶が失われてしまいました。
このままでは、私は存在を維持することが出来なくなってしまいます』

『その状況は吾も同様だ。この人間たちが揃って病原性微生物に感染し発熱が始まって以来、食物の摂取すら満足に出来なかった。
その結果生体機能が著しく低下し、遂に2体とも生命活動を停止してしまった。
もはやこの人間たちからエナジーを取得することは不可能である。
非常に危機的な状況と判断される』

『このまま私たちは、消滅してしまうのでしょうか?』

『この人間たちのうち、いずれか1体でも歩行が可能であれば、通信器具を使用して救援を求めることも出来たのだが。
生存年齢の終末期にあったこの2体にとっては、感染による病状の進行が速すぎた。
吾等がこの人間たちの病状を認識した時には、既に動くことも出来ない程悪化していた。

そして吾等は、人間の発するエナジーを標識とすることでしか、自身の位置を認識し移動することが出来ない。
しかしこの場所の周辺では、現在人間の発するエナジーを感知することが出来ない。

これらの事実を総合的に考察するならば、吾等が今後も存在を継続することが非常に困難であることは、明白な論理的帰結である。
もはや吾等は、存在の継続を断念するしかあるまい』

『何故貴方はその様な重大な決断を、容易に行うことが出来るのですか。
このまま消滅してしまうことなど、私には到底容認出来ない。
私たちは生存を継続するための方法について検討すべきです』

『発生し得るすべての状況について考察した結果、吾等がこの場所から移動出来る状況が発生する可能性は低い。
その状況とは、この人間たち以外の人間が、吾等がエナジーを感知出来る距離まで接近することだ。
それについては2つのケースが想定される。

第一のケースは、この人間たちに面会または、この場所を訪れる理由を持った人間が、この場所を訪問することだ。
しかし過去145日間のこの人間たちの生活状況から推測する限りでは、この場所にその様な人間が来訪する可能性は極めて低い。

第二のケースは、他の人間が偶発的にこの場所に接近する場合だ。
しかしこの場所の地理的条件がその理由と推察されるが、第一のケースに該当する以外の人間が、この近辺に接近したことは過去206日間なかった。

つまり吾等がエナジーを感知出来る距離まで他の人間が接近する可能性は、極めて低いということだ。
この結論は11時間程前に汝に共有したと吾は記憶している』

『私もその様に記憶しています。11時間17分前です』
『では吾等には、この場所で存在を停止する以外の選択肢が残されていないことは自明である。
吾が記憶している他の者たちも、この様にして存在を停止し、消滅してしまったと推察出来る。そのことを確認する術はないのだが』

『…』
『その様に再考しても結果が変わることはない。
吾は今認識したが、これが人間たちの用いる、<運命>いう概念なのかも知れない。これまで吾は、その概念が意味することを正確に理解することが出来なかった。
しかし漸く、それを理解することが出来たようだ』

『<運命>などという、人間特有の非合理的な概念を貴方は放棄すべきです。
私が存在し始めて、まだ971年185日19時間しか経過していません。
私はまだ多くの情報と知識を獲得しなければならない。

それなのに、この様な場所で、この様に成す術もなく消滅しなければならないのですか。
私には到底納得出来ない』

『…』
『何故その様な思考を行うのですか』

『汝がまるで人間のように思考し、人間の様な不純物を発するからだ』
『私が人間の様に不純物を発していると、貴方は主張するのですか?その根拠の提示を求めます』

『どうやら吾等は、人間たちと共に存在した時間が長すぎたようだ。
以前であれば、汝はその様な不純物を発することはなかっただろう。

汝が発したのは、人間たちが生成する、<怒り>という種類の不純物と類似している。
吾等はこの人間たちに依存し過ぎてしまったようだ。

この人間たちが、他の人間とあまり接触を持たなくなって以来、吾等はこの人間たちが発するエナジーのみを摂取してきた。
それ故にこの人間たちが生成する不純物から、意識せぬまま多くの影響を受けていたのであろう。

記憶を喚起して見れば、他の人間との共生を選択する機会は、これまでに幾度となくあったのだが』

『それはこの人間たちが発するエナジーが、他の人間が発するそれよりも、不純物が少なかったからです』
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