【エピローグ】

文字数 963文字

その日は、林海峰(リンハイファン)が研究室を去り、母国に戻る日だった。

思えば林がこの研究室に来て、まだ4か月程しか経っていなかったのだが、永瀬晟(ながせあきら)にとって彼と過ごした時間は、随分と長いものに感じられた。
それ程密度が濃かったのだろう。

挨拶のために訪れた教授室から出てきた林は、名残惜しそうに彼を囲む島崎珠莉たちを、にこやかな笑みを浮かべながらかき分けて、永瀬の前に立った。

「お世話になりました」
林は来た時と同じように、行儀よく挨拶する。

「正門まで送りますよ」
そう言って永瀬は、彼と連れだって歩き出した。

校門に向かう途中林は、
「一度成都に遊びにいらして下さい」
と、永瀬に笑みを向けて言った。

「それはぜひ」
と、永瀬も応じる。

その後2人は、事件や<神>のことには一切触れず、差しさわりのない話に終始した。
しかし、やがて話題も尽きたので、この4か月余りの記憶を噛みしめる様に、無言で校門まで歩いた。

校門に着くと道路脇に黒いバンが停まっており、その傍に見知らぬ男が1人佇んでいるのが見えた。
多分林を迎えに来た教団関係者なのだろう。

そうと思っていると、
「これは永瀬先生」
と後ろから声が掛かる。

驚いて永瀬が振り向くと、にこやかな顔をした学部長の富安が立っていた。
「富安先生、どうされたんですか?」

永瀬が訊くと富安は、
「林さんのお見送りに」
と短く答える。

すると林が、
「ああ、永瀬先生にはお伝えしていませんでしたね。
富安先生には、日本における我が教団の、責任者を務めて頂いております」
と、驚嘆すべき事実をさらりと言ってのけた。

余りの意外事に永瀬は呆然としたが、一方で妙に納得する思いだった。
――だから学部長は林の言うことを、抵抗なく受け入れていたのか。

驚いたままの永瀬に向かって林は、
「永瀬先生、大変お世話になりました。
改めてお礼申し上げます。

私にとっても、この4か月余りは、これまでの人生の中で最も忘れがたい日々でした。
私は先生のことを決して忘れません」
と丁寧に言った後に、「多分」と付け加えて片目を瞑って見せる。

一瞬の間が空いた後2人は、互いの顔を見て笑い声を上げるのだった。
2人の間の事情を知らない富安が、隣で怪訝な表情を浮かべている。

そしてこの謎の多い教主は、「再見(ザイチェン)」と永瀬たちに別れを告げ、黒いバンの中へと消えて行ったのだった。
了(第二部「神曲」へと続く)
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