【27-3】神と宗教(3)

文字数 2,708文字

林の宗教論は続く。
「そして今から約2,000年前、ユダヤ教の中から新たな潮流が生まれました。
そうです。キリスト教です。

この世界最大の宗教は諸派に分裂しながらも、今日では世界全人口の三分の一に達する信徒数を獲得しています。
キリスト教がこの様な巨大組織に発展したことには、当然のことながらそれ相応の理由があると考えられます。

我々はその最大の理由を、キリスト教の根本的な教義の1つ、三位一体、または至聖三者と呼ばれる概念にあるのではないかと考えています。

三位一体は難解な概念です。
父と、子なるキリスト、そして聖霊は、それぞれは等しい存在ではない。

つまり父は子ではなく、子は父ではないが、いずれも一つの<神>、即ち父は<神>であり、同時に子も<神>であるという教えです。
この関係性は父と聖霊、子と聖霊にも当てはめられます」

「それは1人の<神>が、3つの異なる姿をとるということですか?
あるいは夫々が<神>の一部ではあるということでしょうか?」

「永瀬先生、それは違うのです。
父と子と聖霊は、夫々は異なる位格であるが、<神>という実体においては1つであるということです」
「難解ですね。簡単に理解することが出来ない」

「そうですね。三位一体の教えについては、キリスト教内部でもその解釈について歴史的議論がなされています。
そして三位一体の教えを、<理解>するのではなく、純粋に<信じる>ことが重要とされています。

それはさておき我々九天応元会は、三位一体という概念は<神>の共同体の姿を的確に表現しているのではないかと推測しました」

「非常に興味深い仮説です。
私は既にそれについての正確な記憶を消失してしまっていますが、私が所属していた共同体を信仰する人間の集団でも、その三位一体という概念が信じられていたと記憶していますから。

何故あなた方は、その様な仮説に至ったのですか?」
未和子は問うた。一方の蔵間は無言で聞き入っている。

「先程お話ししましたように、我が教団では、世界の主要な宗教について研究してきました。
その中で所謂(いわゆる)多神教と、エイブラハムの宗教との方向性の違いに、強い関心を持つようになったのです。

それは唯一神と多神という違いだけではなく、<神>という概念そのものの差異です。
先程ご説明しましたように、多神教では殆どの場合、<神>の具象化が行われます。

個々の<神>は固有の名称を持ち、その姿形が、絵画や偶像という形で明確化されています。
また各々の<神>についての物語が創作され、人々が個々の<神>の在り様を明確に認識出来るシステムを取っています。

逆にエイブラハムの宗教では、<神>の在り様は徹底的に抽象化され、人々の形而下での認識を超越した、高次元の存在としています。

我々はその中で、何故キリスト教が三位一体という難解な教義を持つのか。
何故キリストや聖母マリア、諸天使は、多神教の様に固有の名称や、具象化された姿形を持っているのか。

ユダヤ教やイスラム教と比較して、キリスト教にはその様な特徴があることに注目しました。

そして私は個人として、<神>と思われる存在と、父の精神世界の中で直接コンタクトしました。
その過程で人間の発するエナジーが、<神>にとって、その存在を維持していくために必要不可欠であることを知りました。

私自身のこの経験と、長年に渡る教団の研究結果を元に、我々は仮説を作り上げたのです。
それが最初に申し上げた、宗教的に定義された<神>という概念は、実在する<神>が、人間からエナジーをより効率的に獲得するために設計されたシステムではないかということです」

永瀬は、その着想の大胆さに瞠目した。
これまで永瀬にとって、宗教と<神>という言葉は、人間の内面世界に関連する抽象的なものとして捉らえていたからだ。

しかし林と彼の教団は、宗教を<神>が必要とする物理的なエナジーを効率的に生成し獲得するための、具体的なシステムとして捉えているのだ。
その飛躍した発想に、彼は科学者として興奮を覚えずにはいられなかった。

そして九天応元会(急転おう限界)の若き教主の宗教論は、更に続く。

「そしてその様な観点に立った時、三位一体という精巧なシステムは、神々が形成する共同体の在り方そのものをベースにして、設計されたのではないかという考えに至りました。

父と子と聖霊は、等しく唯一の<神>である。
即ち<神>の集合体は、等しく唯一の<神>であるという等式が成立するのではないかと考えました。

更にキリスト教のシステムとしての精巧さは、<神>の抽象化と具象化とを、同時に成立させる機能を有していることです。

人々は子であるキリストの像を礼拝することで、不可視の存在である<神>に祈りを捧げます。
その祈りには、<神>への絶対的な尊崇の念が込められています。

この様なシステムを通じて、数多の個体によって形成される集合体として一つの<神>は、全体の存在に必要なエナジーを、信徒から効率的に生成させることが出来るようになったのだと我々は考えました」

「汝のいう仮説は非常に興味深い。
論理的で、おそらく事実に近いと推察される。

吾は既に正確な記憶を失っているが、吾の記憶に残存している、吾等の共同体とキリスト教を信仰する人間との関係は、確かに多くの部分で汝の説明と一致していた」

「私もそれに同意します」
「ご賛同いただき、ありがとうございます」と、林は謝意を示した。

そして、
「<神>は常に人々と共におわし、人々の行いを見ておられる。
この事も、あなた方の共同体と、キリスト教信者との関係性を端的に表しているのですね?」
と、2人に確認する。

「確かに吾等は常に人間と共生し、人間の精神からエナジーと情報を得ていた。
そのことを汝が意味しているのであれば、汝の思考することは正しい」

林は蔵間の肯定を聞き、満足げな笑みを浮かべた。
永瀬には林のその笑顔の理由が、何となく理解出来た。

それは例えば、難解な数式の解答を得た数学者が感じる満足感の表現だろう。
自然科学の学究の徒である永瀬にも、同様の経験があった。

永瀬がそんなことをボンヤリ考えていると、林は永瀬に顔を向け、
「ここで永瀬先生に基本的なことをお聞きしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
と微笑を浮かべながら言った。

永瀬は唐突な展開にどぎまぎしながら、
「は、はい。何でしょうか」
と慌てて答える。

「人は何故、<神>に対して尊崇の念を抱くと思われますか?」

答えに窮した永瀬は、
「<神>が偉大な存在だからですか」
と口にした後で、我乍ら間抜けな答えだな――と思い焦った。

しかし林は、「仰る通りです」と彼の答えを肯定すると、静かな口調で再度語り始めた。
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