【38】魔人の正体

文字数 1,481文字

気がついたとき永瀬晟(ながせあきら)は足が地に着いていない、頼りない感覚に襲われた。
そして漸く意識がはっきりしてくると、自分が何かに抱えられていることに気づいた。

目を開けると、色白で小振りな女の顔が、息がかかりそうな程の至近距離から永瀬を覗き込んでいる。

極端に大きく見開かれたその目は、今にも眼窩から飛び出してきそうだった。
虹彩の周囲は、充血して血走っている。

「永瀬先生。大丈夫ですか?」
女は、どこかで聞き覚えのある声で永瀬の名を呼んだ。

梶本恭子(かじもときょうこ)だった。
顔の表情が自分の知っている、温和な彼女とは、あまりにも様子が違っていたので、すぐには分からなったが、それは紛れもなく、行方不明の梶本恭子だった。

「梶本さん?君は、梶本さん?」
「嫌だわ、先生ったら。
たった1、2週間会わなかっただけで、もう私の顔を忘れてしまったの?
梶本ですよ」

永瀬の問いに、そう答えて笑ったような表情を浮かべた梶本は、永瀬を覗きこんでいた顔を後ろに引いた。
すると、彼女の上半身の全体像が、永瀬の眼に飛び込んで来た。

彼女は裸だった。
そして巨大な瘤のようなものが、でこぼこと(いびつ)な形で全身を覆っている。
小柄で華奢な体形は影を潜め、男性ボディービルダーの倍以上もありそうな、巨大な筋肉が、体のあちこちから盛り上がっているのだ。

特に異様だったのは、梶本の顔を、左へ押しのけるようにして盛り上がった、右肩の筋肉だった。
永瀬はそこからもう1つ、別の首が生えているような錯覚を覚えた。

「先生、私寂しかったんですよ。
先生とお会い出来なくて。

今日はせっかくいらしたんですから、ゆっくりお話ししましょうね。
な・が・せ・せ・ん・せ・い」

その姿とは(およ)そそぐわない言葉が、怪物の口から発せられる。
「君はどうして…」
「私の部屋でゆっくりお話しましょう」

梶本は永瀬を遮ってそう言うと、彼を脇に抱え、のそりと廊下を歩き始めた。
永瀬は抵抗しようとしたが、凄まじい怪力で抱えられているため、身動きが取れない。

「そうそう、一緒にいらした、あの中国人。
確か林とかいう人でしたわね。彼はどうなさったの?」
永瀬を抱えたまま、悠々とした足取りで階段を上りながら梶本が訊く。

「き、君はどうしてそれを…」
「だってぇ、私、先生たちがこのビルに入るのを、ずっと上から見ていたんですよ。
あ、そうか!私たちに遠慮して先に帰ったのね」

「か、彼は――」
3階に――と言いかけて永瀬は口を(つぐ)んだ。

「まぁ、どっちでも構いませんけど。
私たちの邪魔をするようなら、引き裂いてやるから」

梶本の口から、突然恐ろしい言葉が発せられた。
しかしそう言いながら永瀬を見る目は、どうやら笑っているようだ。

それは今まで彼が見た人間の表情中で、最も恐ろしい表情だった。
そして極限状況では、人間は悲鳴すら出ないことを、彼はその時初めて知った。

気がつくと彼は、4階の1室に連れてこられていた。
中には強烈な香辛料の匂いが充満している。
どうやらここが、インド系料理のレストランがあった場所のようだ。

薄暗い室内灯の明りに室内の様子が見て取れる。
テーブルや椅子は壁際に寄せられていて、室内はガランとしていたが、奥には厨房らしい設備が残されているようだ。

「さあ永瀬先生、ここが私の部屋よ」
薄暗い部屋の隅に置かれたソファの上に、無造作に永瀬を放り出した梶本は、顔を近づけて目を見開き、じっと彼の顔を見つめる。

その顔に怯えながら、永瀬は梶本の背後に目をやった。
部屋中に何かが散乱していることに気づいたからだ。

よく見るとそれは、壊れた人形のようだった。
しかし、さらに目を凝らして見ると、それは人形などではなく、人間だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み