【24-3】<神>であった者たち(3)

文字数 2,463文字

林海峰(リンハイファン)の問いに、<神>は蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)の言葉を借りて応える。

「人間が生成する感情というものだ。
例を挙げるならば、好意、憐憫、憎悪、嫉妬、侮蔑、敵意、恐怖、その様な精神活動の副産物のことだ。

人間は、精神活動に伴ってエナジーを生成すると同時に、必ずと言ってよい程、感情という、吾等には不可解なものを生成する。
それらの感情は基本的に、吾等の構成要素にとって有害である。

以前は、吾等が共同体として共に存在していた人間たちが生成するエナジー中の、有害な不純物の含有率は比較的低く、吾等にとって危険となるレベルではなかった。
吾等はある程度の量の不純物であればそれを除去し、吾等の生存に必要な、純度の高いエナジーを得ることが出来たのだ。

しかしある時期より、有害な不純物の含有率が急激に増加し始め、やがて吾等が処理しきれないレベルまで増加したのだ。
それは吾等にとって深刻な事態であった。

何故ならば、人間が発するエナジーを、直接自身の構成要素として利用する吾等が、その様に有害な不純物を含むエナジーを摂取してしまうと、その影響を直接的に受けてしまうからだ。

吾等は有害な不純物の含有比率の少ない、少量のエナジーを利用するしかなくなった。
その結果、吾等が利用可能なエナジーの絶対量が不足し、共同体のみならず個体を維持することすら困難になってしまったのだ」

「あなた方にとって、有害ではない感情とはどの様なものなのでしょう?」

「人間の言語を用いるならば、<神>や他の人間への尊崇や親愛、好意等という種類の感情は、吾等にとって有害の度合いが低いし、エナジーからの除去も容易なのだ。
尤も、吾はそれら感情の間の差異を、正確に認識出来ないのだが。

もし仮にそれらの不純物が残留していたとしても、吾等にとって極めて害が少ないし、比較的短時間のうちに消失するのだ。

一方で吾等にとって有害な度合いの高い不純物は、いつまでも滞留し、除去することが非常に困難なのだ」

「それは人間の感情の在り様を端的に表しているようで、非常に興味深いですね。
しかしあなた方にとって無害なエナジーの量が不足し始めたということは即ち、ある時期から人間が、あなた方<神>を尊崇しなくなったということでしょうか?」

「そうではありません」
そう言って、横から未和子が話を引き取った。

「この国の状況とは異なり、私が長く存在していたヨーロッパという地域では、今でも私たちにとって有害度の低い不純物を含有するエナジーを生成する人間は、多く存在しています。

おそらく他の地域でも同様でしょう。
しかしそれよりも遥かに多くの、有害な不純物を含むエナジーが、人間たちの精神から生成されるようになったのです。
それは、有害度の低い不純物を生成する人間でも同様なのです」

「それはキリスト教の敬虔な信者で、あなた方を<神>として尊崇する人々であっても、あなた方にとって有害となる感情を、多く持つようになったということでしょうか?」
「あなたの推論は事実に近いと思考します」

「それでもまだ疑問は残ります。
キリスト教はヨーロッパ諸国を起点として、世界各地に広がり信者を獲得してきました。
その数は現在では、地球の全人口の三分の一に達していると言われています。

いくら人間の発する有害なエナジーが増加したとしても、信者の絶対数が増加すれば、あなた方に必要なエナジーの絶対量は、それに伴って増加するのではないのですか?

つまりあなた方の信者が、<神>であるあなた方に向ける、尊崇の感情を含むエナジーのみを選んで吸収すればよかったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか」

「汝のその仮定は、人間が自らの意思で信仰を始めた場合に当てはまる。
しかしキリスト教はその教義を広めるにおいて、所属する国家や民族集団のテリトリーの拡張を持ってした。

その際には多くの場合、軍事力の行使という排他的な手法が用いられたのだ。
その様にして獲得した新たなテリトリーで、新たに獲得した信者から得られる、吾等にとって有害でないエナジーの量は少量であった。

そしてそれ以外のエナジーは、有害な不純物を大量に含んでいたのだ。
他の宗教でもそれは同様であったかも知れないが、キリスト教においては、それが顕著であったのだろう。

結果的にキリスト教の支配圏全体では、吾等にとって有害でないエナジーの総量が減少することになったのだ」

「私は以前から不可解でならない。
何故人間は、同種の生物である他の人間を憎悪し、侮蔑し、あるいは嫉妬するのですか?
何故対象の生命活動を停止させたいと願望する程の、強い敵意を抱くのですか?」

未和子の疑問を、蔵間が補足した。
「確か人間には、論理的に理解出来ない部分が多い。
例えば人間は何故、実際に必要な量よりも、遥かに多くの物を所有したがるのだ?

使用しないのであれば、所有する意味がないのではないか?
将来の使用に備えているのか?

しかし個体としても、あるいは家族という共同体としても、消費し尽くすことが到底不可能な量の物を所有している人間がいる。
人間はそれを<富>と呼ぶようだが、それは所有すること自体に何か意味があるということなのか?

吾は存在を開始して以来、人間のそのような性質を分析してきたが、<富>という概念を正確に理解することは困難だった。
ただ1点、人間のあらゆる感情は、欲望や他者への愛情も含め、人間の抱く<願望>に起因していることは解明出来た。

人間とは何と多くの<願望>を持つ生物なのだろう。
可能であれば汝等から、その理由を共有されたいものだ」
蔵間父娘の声を借りて、人間の本質に関する問いが発せられた。

「その問いに対する回答を、残念ながら私は持っていません。
おそらく永瀬先生もそうでしょう。
いかがですか?永瀬先生」

そう言って、林は永瀬を見た。
永瀬は首を横に振る。彼にとって最も苦手な、人間の本質に関する問だったからだ。

「そうであろうな。吾が1,300年以上分析しても、解明出来なかったのだからな」
2人の反応を見て蔵間は、感情の籠らない口調でそう言った。
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