第61話 ケース2 死神の足音㊲

文字数 2,089文字

 来世は、一階の奥にある商談用スペースに案内された。

 白い丸テーブルに椅子が二脚ある席に、来世と堀が対面している。

 蛍光灯は彼らがいる場所しか点灯しておらず、入り口側の販売スペースに広がっているレンタルウォーターサーバーと水の入ったボトルが、暗闇の中にまどろむように佇む。

「どうぞ、粗茶ですが。本当は窓口を担当している女の子が淹れたほうが美味しいのですが」

「いえ、お構いなく」

 来世は湯呑みに口をつけることなくお茶から視線を外すと、堀に問いかけた。

「話、というのは鈴のことなんですがね」

「鈴? あ、ああ、妙な音が鳴ってると相談されたので調べている、とか」

 来世は、堀が鈴と聞いた瞬間、目をピクリと動かしたのを見逃さなかった。

「ええ、で、どうですか? 私が訪れてから黒い鈴は鳴りましたか」

「く、黒い鈴? さ、さあ何のことでしょう。黒い鈴など、見たこともありませんが」

「ふん、じゃあ、まどろっこしいのはやめだ」

「え、どうなされました?」

 堀が驚いた顔で固まる。

彼の様子に構わず、来世はナイフのような鋭い口調で切り出した。

「邪破教。……知ってるよな? お前の事実上の父、浜 勝平が苦しめられ、最終的に縋ることになった宗教だ」

 堀の顔がさらに驚きの色に染まる。

「あなたは、何者ですか? 警察の方じゃないのでは?」

「俺は魔眼屋という便利屋を営んでいる者だ。お宅の岩崎から赤い着物を着た女の子の霊に殺されるので助けてほしい、と依頼されてね」

「赤い着物の女の子ですって。やった、儀式は成功していた。あ……」

 堀は慌てて口を閉ざし、こめかみや額に浮かぶ汗をぬぐう。

(この男は、かなり知ってるぞ。そ、そうか。だから、あんなにトイレにいたのに、死んでないのか)

 堀の動悸が速まる。どうやって誤魔化す、と頭の中がそれだけでいっぱいになった。――が、来世の目を見て、無駄なことだと悟ったらしい。

 ネクタイを緩め、ふんぞりかえるように背もたれにもたれた。

「そうです。黒い鈴を知っているということは、三階のあれを見たんですね」

「ああ、見たとも。お前は、浜 勝平の事実上の息子だな。そして、彼が五年前に亡くなった時、会社を継ぎ、同時に儀式も引き継いだ」

「……お見通しですか。そこまで知っているとは恐れ入った。おっしゃる通りだ。私はね、父と同じく、悪を憎む者なんですよ」

 堀は、お茶を一気に飲み干し、湯呑みをどっかりとテーブルに置いた。

「この世は悪があまりに多すぎる、と思ったことはありませんか? ニュースを見れば小学生だって分かる。悪はどこにでも跳梁跋扈し、正しく清く生きる人々を苦しめる。私はね、父から夕日村の悲劇を聞いて、子供の頃から人の悪意を恐ろしく感じていたんですよ」

 気分が乗ってきたのか堀は、テーブルに両手を叩きつけた。一階の広々としたスペースに音が残響し、静まるか否かのタイミングで軽快な口調で語りだす。

「父が母と同棲した時、私は彼と出会った。父と母は十も年が離れていて、でもって私と父は十しか離れていないのでね、父、というよりは兄という感じでした。

 勝平兄さんは、腐った世の中を幸と一緒に変えてやるって息巻いていた。や、何を言ってるんだと、当時は思いましたよ。だが、彼は教えてくれたのですよ。彼が一度は捨てたはずの邪破教にこそ、世界を救うヒントはあったと。そして、それを成すのが我々と幸ノ神だとね」

 堀は、上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をめくる。細く頼りない堀の前腕は、切り傷や火傷の跡が痛々しく残っていた。

「丁寧に勝平兄さんは教えてくれた。人の悪の本質を。何度も何度も彼は私を痛めつけ、『この痛みが人の悪意そのものだ』と指導してくださったのですよ。『すまない。だが、お前が悪に惑わされないように必要なことだ。この痛みを忘れるな。こんな痛みをまき散らす外道が世界には当たり前のように息を吸い、日々を謳歌している。許せるわけがない。我々が断罪するのだ』

 ああ、何度その言葉が頭の中で響いていたか。大人になり、社長になったことで言葉の意味が深く理解できましたよ。社員も客もくだらない奴らばかりだ。利己的で傲慢で、だがそう見えないように巧妙に本心を隠している卑怯者。

 は、けどね。三階トイレのことを、噂として流してみれば、巧妙な壁もあっけなく瓦解しましたよ。むき出しの悪意で、呪いの品を置いていった。それはそれは凄まじいものだ。神すらも召喚できるほどにね」

 堀は、勢いよく立ち上がり、叫ぶように独白した。

「二年、ああいや三年ほど前ですかな。兄さんの意思を継いだ私は、焦っておりました。長年人の悪意を溜め込んだのにも関わらず、一向に天罰で死んだらしき社員が出てこないとね。

 しかしですな、木島という社員が、自宅で脳梗塞で亡くなったのを皮切りに、ちょっとずつですが、天罰と思わしき死に方をする奴らが出てきまして。いや、良い調子だ、と万歳しておったのですよ。……ただまあ、幸ノ神の御姿をお目にしたことがなく、いまいち自信が持てなかったのですが、あなたが教えてくださった。やはり、幸ノ神はいらっしゃるのですな」

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