第113話 ケース4 姿見えぬ殺人鬼㉑~完~

文字数 1,921文字

「来世さん、休んだ方が良いんじゃないですか?」

 場所は、五号館のリビングだ。

 窓から差す夕暮れ時の斜光は、部屋を燃ゆる色に彩っている。

 リビングに瞳の遺体はない。彼女は来世が使っていた部屋のベッドに移動させた。

 来世は、椅子に座っている。体を脱力させてはいるが、眉根は中央に寄り、ナイフの柄を握りしめて窓を睨む。

「来世さん、もう大丈夫ですよ」

 里香の再度の声。

 来世は首を振り、前腕をさすった。

「いや、油断はできない。奴はまだ生きているかもしれない。明日には警察が来る。それまで俺は起きていなければならないだろう」

「でも、あんな戦いがあった後ですよ。無茶したら駄目です」

 来世は、テーブルを叩いた。

「無茶をしないでどうする。お前、分かってるのか? 下手すりゃ死んでた。いや、お前に関しちゃ死ぬよりも辛い目に遭ったかもしれない。……クソ、うかつだった。今回は、確かにお前のおかげだ。「無事に家に帰す」という依頼をお前がしてくれたからこそ、念力の魔眼が手に入った。……けどな、危なかった。やはり、同行させるべきでは……」

 里香が、来世の口を手で塞ぐ。

「そんなこと言わないでください。私のこと助手だって言ってくれたでしょ。あれ、嬉しかったんだから」

 来世は、里香の手を剥がすと、立ち上がり窓際に寄った。

 この窓からは、西城が眠る四号館の壁が見えるだけだ。

 波が岩に当たった時の音が、遠雷のように遠く響いて聞こえる。

「ああ、おい」

 大声が、里香の部屋から聞こえた。恐らくは、山内の寝言だろう。吉川も同じ部屋で寝かせているが、目が覚めた時、心底嫌そうな顔をするだろうことは容易に想像できる。

 来世は微笑を浮かべたが、すぐに感情の色を消した。

「里香、お前はなぜうちで働く? 将来漫画家になるための下積みのつもりか? それとも金の為か? いずれにせよ、命をかけてまで働く価値はない。

 俺にとって、この仕事は一生すべきものだ。これしかない。だが、お前にとっては人生のほんの通過点に過ぎない。……平凡な人生はつまらないか?」

 里香は、激しく首を振る。

「違います。私は、お金やスリルのために働いているんじゃありません。そ、そりゃ漫画家になるために、魔眼屋での経験を活かそうとしているのは認めます。でも、そうじゃない。私は――」

 里香は来世にしがみつくように抱きつくと、下から顔を見上げ叫んだ。

「あなたの力になりたいんです。来世さんにはこれまで沢山助けられたし、いろんなことを教わりました。感謝……してるんです。それに」

 里香は、言いよどむ。

 顔は赤く染め上がっている。すぐに来世の胸に顔を押し付けてしまったので、来世には夕日のせいなのかどうかが判断できなかった。

「それに、何だ?」

「……まだ、言えない」

「あ、何だって?」

「と、とと、ともかく。私は辞めません。絶対、辞めませんから」

「……また、危ない目に遭うかもしれんぞ?」

「構いません。来世さんが守ってください。あ、でも、守られてばかりじゃありませんよ。私、もっともっと強くなります。沢山強くなって、来世さんの力になります。そうしたら、瞳さんみたいな人が死ぬことなく、ちゃんと救えるんですよね」

 最後の言葉は、祈るような響きがあった。

 来世は、ボリボリと頭を掻くと、舌打ちを鳴らした。

「……だと良いがな。ともかくどうなっても知らんぞ」

「と、言うことは辞めなくて良いんですね。ホッとしましたー」

 里香は間の抜けた調子で言い放つと、体を離した。

「んん!」

 来世が咳をする。――まるでそれが合図だったように、沈黙の帳が下りる。

 里香は椅子に座り、来世は再び窓の外を眺めた。

 来世は、胸に手を置くと強く目を閉じた。

 瞳から依頼を受け、そして先ほどまでの出来事が走馬灯のように駆け抜ける。

 歯ぎしりの音が来世の口から鳴る。

(クソ、瞳さん。すまない、俺は)

 来世の体が震える。悔しいのか悲しいのか、それとも虚しいのか。心に乱舞するあらゆる感情を、彼は持て余す。

 ふと、里香に視線を投げる。

 彼女は、机に突っ伏していた。

 ――眠っているのか? そう思ったが、すぐに違うことが分かった。

 里香の体も震えている。彼女の握りしめた細い指は白く染まり、悲しみに押し出された泣き声が、リビングの唯一の音となった。

 来世は、彼女に近寄ると肩に手を置き、しばらくその体勢のまま時を過ごすことにした。



 海から風が吹き、ペンションを通り過ぎ、森へと駆け抜けていく。

 まもなく水平線に沈む夕日は本日の仕事を終え、濃い闇が満たす森の中、クチナシがひっそりと白き花弁を揺らしている。初夏を瑞々しく堪能するように、むせかえるような香りを放ちながら……。
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