第110話 ケース4 姿見えぬ殺人鬼⑱
文字数 3,165文字
ぱちぱちと拍手が鳴る。その音は、伊藤の手から発せられていた。
「いや、お見事。お前は俺と戦うに値する男だよ。さあ、見せてくれ。お前の知力は堪能した。今度は、戦闘の方を確かめさせてもらおうか。そっちもいけるくちだろ?」
伊藤は、吉川から離れると腰を深く沈めた。
一方の来世は、里香に離れるように指示するとナイフを前方に構え油断なく敵を見据えた。
獲物に狙いを見定めた獣と、刀の柄を握り抜刀の機を伺っている侍のような構図。
場の緊張感が、加速度的に高まっていく。
ガタガタと震えている吉川が「ヒッ」と声を上げた。
――伊藤の体が先に動く。
手を鉤爪のような形にし、来世の眼前に繰り出す。
来世は……慌てなかった。体を逸らすだけで回避するばかりか、その手を取って背負い投げをする。
「ぎい」
自ら飛んで宙で身を捻り、地面への激突を避けた伊藤は、着地と同時に獰猛に腕を振り回した。
縦横無尽、マニュアル通りではない動きは予想をするのも難しい。
来世は、ナイフで逸らし、腕や肩、足を使って弾く。
頬は裂け、鮮血が体を濡らし、吹き飛ぶ汗が動きの激しさを物語る。
(クソ、なんて速さだ)
高速の世界は呼吸さえ許されない。だが、来世はとうとう「すう」と息を吸ってしまう。
「フハ」
その隙を突かれた。
「来世さん」
「大丈夫だ」
肩を深々と爪で切り裂かれ、焼けるような痛みが傷口から発せられる。
噴き出す汗を、来世は拭った。
「そら、どうした? もっと、もっとお前の限界を見せてみろやぁああ」
「ぐあ!」
ナイフが弾かれる。
宙に舞い、地面へと深々と突き刺さるナイフ。
正確無比に来世の喉へ伸びる爪。
死神の鎌は、来世を死へ……誘えない。
「オオ」
来世は前腕で爪を受け止めると、もう一方の手を伊藤の腹部に接触させた。
「すうううう、ハア!」
息を吐き、半歩前へと踏み出すと同時に拳を突き出す。
――グシャ。
轟音が鳴り、くの字に折れた獣の体が吹き飛ばされる。
伊藤は受け身を取り立ち上がった。……けれども、足元はおぼつかずよろめく。
来世は、手心を加えない。
――息を吸って吐く。誰もが生きている限り実行する単純な行為を、来世はより精密に戦闘に特化させていく。
体に感じている痛みも、鬱陶しい血の臭いも意識の外へと弾き飛ばし、勝機を得るために伊藤へ肉薄する。
「クヒ、ヒアア」
伊藤は両手の爪を再び振るう。それはさながらカマイタチの牢獄のよう。
――だが、迫りくる暴力に先ほどのようなキレはない。
来世は柔らかな動きでそれらを受け流すと、雷光の速さで踏み込み連撃を叩きこむ。
拳、肘、頭突き。
一連の流れはよどみなく。いずれの攻撃も的確に、人体の弱点を捉える。
「そ、そんな」
伊藤は地面へと倒れ、朦朧とする意識を必死につなぎとめる。
「無駄だ、大人しく投降しろ。どうせまともに動けやしない」
「ふう、ふう、ざっけんな。まだ、俺は、たの、しむんだよ」
伊藤はスラックスのポケットからスティック状のものを取り出し、高々にそれを掲げた。
訝しむ来世に、伊藤は愉快そうに告げる。
「これは、爆弾の起爆スイッチだ。動かねぇ方が良いぜ? うっかり押しちまうから」
「何だと? 爆弾らしきものはなかったはずだ」
「キヒ、そりゃな。崖側には隠してねえよ」
来世は、ハッとした。
「まさか、森の方に隠しているのか」
「ご明察。森の中には爆弾を積んだドローンを大量に隠してある。そいつはパソコンで指示を送れば、ここに集まってくるようにプログラムしてあんだよ。さあ、ド派手に行こうぜ」
「フン、馬鹿が。止める方法をご丁寧に教えてくれるとはな。要はパソコンを壊してしまえば良いんだろう?」
伊藤は、不気味に顔を歪める。
(何だ? あ)
来世の頭に閃きが走る。そうだ、相手が手の内を明かすということは、勝利を確信している証拠に他ならない。
来世は駆けだす。しかし、
「遅せえよ。傀儡の魔眼!」
伊藤は、素早く里香、吉川、山内の三人の目を見た。
ビクン、と三人の体が揺れ動き、虚ろな表情で棒立ちとなった。
「まさか……お前は」
来世は絶句する。
「そうさ。俺もお前同様に魔眼の持ち主さ。お前と違って一つの魔眼しかねえが」
伊藤が手を振りかざすと、吉川と山内の二人が来世に向かって突撃を開始する。
来世は二人を躱しながら声をかけるが、マネキン人形に話しかけるようなもので手ごたえがない。
高らかに笑う伊藤。彼は無抵抗な里香に近寄ると、服を切り裂き、露になった肌を撫でた。
「やめろ!」
来世の瞳が黒から金色色に変化し、天秤のような模様が浮かび上がった。
あらゆる悪を断罪する【審判ノ眼】
奥の手であるこの魔眼は、幾度となく来世を救い、審判を下してきた。
――だが、伊藤は微動だにしなかった。
「なぜ、効かない?」
「ふーん、やっぱり」
「やっぱり?」
「ああ、そうだよ。確証はなかったけど、やっぱりこうなった。魔眼は互いに互いの能力を打ち消し合う。ま、要はさ、魔眼ホルダーには効かないわけ。目から放出されるエネルギーがぶつかり合ってるのか? ま、理屈は知らねえけど」
伊藤は、里香の髪を優しい手つきで触りだす。
「テメエの魔眼は、二つ。一つはその奥の手の魔眼。で、もう一つが、依頼ごとに得る魔眼だよな。正直、ゴーレムを生み出す魔眼とかだったらやばかったよ。検証はしてないけど、たぶんそういった魔眼を無効化にはできない。あくまで直接的に相手に作用する魔眼だけしか封じられないんだ」
下手くそな鼻歌が、風の音に混じって聞こえる。
伊藤は、心地よさそうに飛んだり跳ねたりを繰り返す。
不出来な道化師のダンス。サーカスで見ようものなら、金を返せとバッシングが飛ぶことだろう。
海風が吹き、血の臭いが来世の胸を気持ち悪くする。
痛みと焦りがない交ぜになり、吉川と山内の突進を躱すごとに肺が必死に空気を求めた。
「どうするか? この里香って子、お前の助手だろう? 大事な大事な助手。この助手を壊されたらお前はどんな表情になる? 食べる……いや、その前に犯すか? 来世、お前には完全勝利を決めたい。なあ、俺は嬉しいんだぜ。お前に会えた喜び。どう表現しよう。本当は、爆破して終わりのつもりだったが、こんなところで終わらすなんてもったいない。
――ああ、そうだ。こうしよう。この里香って子は、俺がもらう。毎日俺が犯してやる。朝も昼も夜もな。クハ、安心しろよ食べねえから。アハハ、そうすりゃお前は俺を忘れることができない。どこまでも復讐鬼として俺を追ってくるだろう。そのたびに、スリルある戦いを楽しめるんだ」
燃える烈火の怒りが、来世の全身を巡る。
冗談じゃねえ、コイツの存在を許してはならない。
喉からは、怨嗟の声が零れた。だが、
「ぐ!」
立ちすくむ来世に、操られた二人が組み付き、身動きを封じる。
嬉しそうに手を叩いた伊藤は、来世に近寄り、その瞳を眺めた。
「あ? んだと」
怒気の言葉が、伊藤の口から飛び出す。
来世の瞳は、酷く空虚だ。伊藤は、白けた気持ちになる。その目の正体を伊藤は知っているから。それは、
「テメエ、諦めたのか? つまらねえぜ。お前、そんな程度だったのかよ。あ、あー、もう良いや。終わりにしよ」
伊藤は、里香にパソコンを持ってこさせると、手早く操作してエンターキーを最後に押下した。
数秒もせずに羽虫のような音が辺り一帯で鳴り響き、空は大量のドローンで埋め尽くされた。
「あー、らい、らい、何だっけ。もういいや。お前、死んで良いよ」
それだけ言い残し、伊藤が背を向ける。
その背に、来世は声をかける。
「待てよ」
その声は、強い響きがあった。
伊藤は振り向く。期待に満ちたような瞳で来世を見、彼は嬉しそうに笑った。
「落とし前をつけろ」
「いや、お見事。お前は俺と戦うに値する男だよ。さあ、見せてくれ。お前の知力は堪能した。今度は、戦闘の方を確かめさせてもらおうか。そっちもいけるくちだろ?」
伊藤は、吉川から離れると腰を深く沈めた。
一方の来世は、里香に離れるように指示するとナイフを前方に構え油断なく敵を見据えた。
獲物に狙いを見定めた獣と、刀の柄を握り抜刀の機を伺っている侍のような構図。
場の緊張感が、加速度的に高まっていく。
ガタガタと震えている吉川が「ヒッ」と声を上げた。
――伊藤の体が先に動く。
手を鉤爪のような形にし、来世の眼前に繰り出す。
来世は……慌てなかった。体を逸らすだけで回避するばかりか、その手を取って背負い投げをする。
「ぎい」
自ら飛んで宙で身を捻り、地面への激突を避けた伊藤は、着地と同時に獰猛に腕を振り回した。
縦横無尽、マニュアル通りではない動きは予想をするのも難しい。
来世は、ナイフで逸らし、腕や肩、足を使って弾く。
頬は裂け、鮮血が体を濡らし、吹き飛ぶ汗が動きの激しさを物語る。
(クソ、なんて速さだ)
高速の世界は呼吸さえ許されない。だが、来世はとうとう「すう」と息を吸ってしまう。
「フハ」
その隙を突かれた。
「来世さん」
「大丈夫だ」
肩を深々と爪で切り裂かれ、焼けるような痛みが傷口から発せられる。
噴き出す汗を、来世は拭った。
「そら、どうした? もっと、もっとお前の限界を見せてみろやぁああ」
「ぐあ!」
ナイフが弾かれる。
宙に舞い、地面へと深々と突き刺さるナイフ。
正確無比に来世の喉へ伸びる爪。
死神の鎌は、来世を死へ……誘えない。
「オオ」
来世は前腕で爪を受け止めると、もう一方の手を伊藤の腹部に接触させた。
「すうううう、ハア!」
息を吐き、半歩前へと踏み出すと同時に拳を突き出す。
――グシャ。
轟音が鳴り、くの字に折れた獣の体が吹き飛ばされる。
伊藤は受け身を取り立ち上がった。……けれども、足元はおぼつかずよろめく。
来世は、手心を加えない。
――息を吸って吐く。誰もが生きている限り実行する単純な行為を、来世はより精密に戦闘に特化させていく。
体に感じている痛みも、鬱陶しい血の臭いも意識の外へと弾き飛ばし、勝機を得るために伊藤へ肉薄する。
「クヒ、ヒアア」
伊藤は両手の爪を再び振るう。それはさながらカマイタチの牢獄のよう。
――だが、迫りくる暴力に先ほどのようなキレはない。
来世は柔らかな動きでそれらを受け流すと、雷光の速さで踏み込み連撃を叩きこむ。
拳、肘、頭突き。
一連の流れはよどみなく。いずれの攻撃も的確に、人体の弱点を捉える。
「そ、そんな」
伊藤は地面へと倒れ、朦朧とする意識を必死につなぎとめる。
「無駄だ、大人しく投降しろ。どうせまともに動けやしない」
「ふう、ふう、ざっけんな。まだ、俺は、たの、しむんだよ」
伊藤はスラックスのポケットからスティック状のものを取り出し、高々にそれを掲げた。
訝しむ来世に、伊藤は愉快そうに告げる。
「これは、爆弾の起爆スイッチだ。動かねぇ方が良いぜ? うっかり押しちまうから」
「何だと? 爆弾らしきものはなかったはずだ」
「キヒ、そりゃな。崖側には隠してねえよ」
来世は、ハッとした。
「まさか、森の方に隠しているのか」
「ご明察。森の中には爆弾を積んだドローンを大量に隠してある。そいつはパソコンで指示を送れば、ここに集まってくるようにプログラムしてあんだよ。さあ、ド派手に行こうぜ」
「フン、馬鹿が。止める方法をご丁寧に教えてくれるとはな。要はパソコンを壊してしまえば良いんだろう?」
伊藤は、不気味に顔を歪める。
(何だ? あ)
来世の頭に閃きが走る。そうだ、相手が手の内を明かすということは、勝利を確信している証拠に他ならない。
来世は駆けだす。しかし、
「遅せえよ。傀儡の魔眼!」
伊藤は、素早く里香、吉川、山内の三人の目を見た。
ビクン、と三人の体が揺れ動き、虚ろな表情で棒立ちとなった。
「まさか……お前は」
来世は絶句する。
「そうさ。俺もお前同様に魔眼の持ち主さ。お前と違って一つの魔眼しかねえが」
伊藤が手を振りかざすと、吉川と山内の二人が来世に向かって突撃を開始する。
来世は二人を躱しながら声をかけるが、マネキン人形に話しかけるようなもので手ごたえがない。
高らかに笑う伊藤。彼は無抵抗な里香に近寄ると、服を切り裂き、露になった肌を撫でた。
「やめろ!」
来世の瞳が黒から金色色に変化し、天秤のような模様が浮かび上がった。
あらゆる悪を断罪する【審判ノ眼】
奥の手であるこの魔眼は、幾度となく来世を救い、審判を下してきた。
――だが、伊藤は微動だにしなかった。
「なぜ、効かない?」
「ふーん、やっぱり」
「やっぱり?」
「ああ、そうだよ。確証はなかったけど、やっぱりこうなった。魔眼は互いに互いの能力を打ち消し合う。ま、要はさ、魔眼ホルダーには効かないわけ。目から放出されるエネルギーがぶつかり合ってるのか? ま、理屈は知らねえけど」
伊藤は、里香の髪を優しい手つきで触りだす。
「テメエの魔眼は、二つ。一つはその奥の手の魔眼。で、もう一つが、依頼ごとに得る魔眼だよな。正直、ゴーレムを生み出す魔眼とかだったらやばかったよ。検証はしてないけど、たぶんそういった魔眼を無効化にはできない。あくまで直接的に相手に作用する魔眼だけしか封じられないんだ」
下手くそな鼻歌が、風の音に混じって聞こえる。
伊藤は、心地よさそうに飛んだり跳ねたりを繰り返す。
不出来な道化師のダンス。サーカスで見ようものなら、金を返せとバッシングが飛ぶことだろう。
海風が吹き、血の臭いが来世の胸を気持ち悪くする。
痛みと焦りがない交ぜになり、吉川と山内の突進を躱すごとに肺が必死に空気を求めた。
「どうするか? この里香って子、お前の助手だろう? 大事な大事な助手。この助手を壊されたらお前はどんな表情になる? 食べる……いや、その前に犯すか? 来世、お前には完全勝利を決めたい。なあ、俺は嬉しいんだぜ。お前に会えた喜び。どう表現しよう。本当は、爆破して終わりのつもりだったが、こんなところで終わらすなんてもったいない。
――ああ、そうだ。こうしよう。この里香って子は、俺がもらう。毎日俺が犯してやる。朝も昼も夜もな。クハ、安心しろよ食べねえから。アハハ、そうすりゃお前は俺を忘れることができない。どこまでも復讐鬼として俺を追ってくるだろう。そのたびに、スリルある戦いを楽しめるんだ」
燃える烈火の怒りが、来世の全身を巡る。
冗談じゃねえ、コイツの存在を許してはならない。
喉からは、怨嗟の声が零れた。だが、
「ぐ!」
立ちすくむ来世に、操られた二人が組み付き、身動きを封じる。
嬉しそうに手を叩いた伊藤は、来世に近寄り、その瞳を眺めた。
「あ? んだと」
怒気の言葉が、伊藤の口から飛び出す。
来世の瞳は、酷く空虚だ。伊藤は、白けた気持ちになる。その目の正体を伊藤は知っているから。それは、
「テメエ、諦めたのか? つまらねえぜ。お前、そんな程度だったのかよ。あ、あー、もう良いや。終わりにしよ」
伊藤は、里香にパソコンを持ってこさせると、手早く操作してエンターキーを最後に押下した。
数秒もせずに羽虫のような音が辺り一帯で鳴り響き、空は大量のドローンで埋め尽くされた。
「あー、らい、らい、何だっけ。もういいや。お前、死んで良いよ」
それだけ言い残し、伊藤が背を向ける。
その背に、来世は声をかける。
「待てよ」
その声は、強い響きがあった。
伊藤は振り向く。期待に満ちたような瞳で来世を見、彼は嬉しそうに笑った。
「落とし前をつけろ」