第74話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い⑫

文字数 2,284文字

「乗れ」

 クラクションの音が鳴り、黒いスポーツカーが路肩に停車する。

 しだれは、創太を持ち上げようと力を込めたが、

「ふん! うむ、無理」

 すぐに諦めた。

「おい、俺が運ぶから、お前はこっちに乗って座っていろ。一応、お客様だからな」

「一応は余計じゃ」

 来世にドアを開けてもらい、しだれは助手席に座る。来世は、雑に創太を担ぎ、後部座席に投げ入れると、速やかに運転席に飛び乗った。

 来世は、頬をわずかに緩ませ、ハンドルを握る。

「お、おう。どうしてこいつはこんなに揺れとるんじゃ? 泣いとるのか」

「はあ? ……ま、そうか、何も分からないよな。車ってのを動かす際は、こんな風に揺れている状態にしないといけない、とだけ覚えておけ。詳しく説明しても、たぶん理解できんだろうさ」

「ぬ、馬鹿にしとるな。ワシは、お主が生まれる遥か以前からこの世におるんじゃぞ」

「別に馬鹿にはしてない。ただ、人間じゃないお前にとっては、人間の世界はあまりにも違った所だろうから、分かりにくいんじゃないか、と思ってさ」

 彼の言い分はごもっとも、と思ったのか、しだれは釈然としない様子ながらも黙りこんだ。

「よし、横の紐みたいのを手に持って、ここに差し込め。……よし、じゃあ出発しよう」

 来世は、ローギアに素早く入れ、アクセルを開放した。

 シートに体が沈み込む感覚。景色が前から後ろに流れ、足を前に踏み出さずとも加速していく。

 しだれには訳がわからない。だが、楽しい、と思う。晴れやかな感触が心にパッと花のように沸き起こった。

「なんじゃ、人間はこんなものに乗っておったのか。そりゃ、せっかちにもなる」

「ふん、そうかもしれないな。……警察はいないよな」

 来世はスマホを取り出し、里香へコールする。

「……どこにいる? そうか、そのまま待機してろ。車で迎えに行く。そうだ」

 そのやり取りをしながらも、車は滑るように街を駆け抜ける。

 しだれは、来世の通話が終わるのを待ってから声をかけた。

「この後、どうするんじゃ?」

「途中で俺の仕事仲間を拾ってから、俺の事務所に行こう。女性について思い出したことがあれば教えてくれ。人探しは、ヒントがあればあるほど簡単になっていくからな」

「そうは言ってもなあ。うーん、ちょっと前までは、堅苦しい服装じゃった。あー、ほら、すーつ、と言ったか。そいで昨年は、美しい柄の和服じゃった。やはり和服が良いと思うのだが、最近の人々はあまり着なくなったのう」

 来世は、しだれの言葉に引っかかりを覚える。

(一体俺は何をおかしいと思った?)

 疑問が頭の中を駆け巡るが、途中で思考は寸断される。後部座席で布が擦れる音がしたからだ。

「う、暗い。夜か? は? ちょっと待てよ。動けねーよ。おおわ」

 創太は体を芋虫のように動かし、座席から足元に転げ落ちる。その反動で、体に巻き付いていた布が緩み、どうにか剥がすことに成功する。

 その様をジッと見ていたしだれは、

「蛹から羽化する昆虫みたいじゃ」

 と感心した様子で頷いた。

「あ、んだ。こいつは、女……いや男? で、隣にいるのが」

「よう」

「げ! いけ好かない奴。お、降ろせ。あ、あれ。ドアが開かねえ」

 来世は、長い手を伸ばして創太の首根っこを掴んだ。

「走行中の車から出ようとする馬鹿がいるか。ハリウッドスター気取りはそこまでにしてもらおう。大人しくしてれば、手荒な真似はしない。分かるな?」

 ミラー越しに鋭い視線を投げかける来世に、創太は青い顔でたじろいだ。

「わ、分かった。黙っているさ。お口にチャック。これ常識」

「良くできました。お、そうこうしているうちに到着したな。徳大寺、お前は助手席に移れ」

「あ? んだよ、めんどくせえー、あ、いやとんでもございません」

 創太は顔じゅうから脂ぎった汗を流し、救いを求めるように外を眺めた。

 窓の外は、夕暮れ時の赤い世界が広がっている。桜の木が陽光を受け止め、地に影を投射し、規則正しくサラサラと流れる川は宝石のように輝く。

 燃えているような景色なのに安堵が胸を満たし、自然と創太の体から力が抜けた。それと同時に、昔の記憶がフラッシュバックする。

 創太は、普段の彼らしからぬ穏やかな笑みで呟いた。

「そーいや、昔。お袋に連れられて、よくここへ来たっけな。あの頃はお袋も元気で、可愛げもないお化け桜に語りかけてたぜ。元気ですか、ってよ」

 来世としだれが勢いよく後ろを振り向く。しだれは、驚いて目を見開いている創太の顔を穴が開くかのような熱烈さで眺める一方で、来世は納得したように頷いた。

「しだれ、恐らくだが、お前の探している女性の子供がこいつだ。ち、失念していたな。人間と木霊じゃ、時間の感じ方に違いがあることを考慮すべきだった」

「いや、そうなのか? ワシの知っとる子供は、幼かったぞ。こんなおっきくはなかったわい」

「お前にとっては最近でも、人間にとっては昔の話なのさ。まあいい、手間が省けて何よりだ。徳大寺 創太。お前には話をじっくりと聞かないといけないな」

 来世がニヤリと笑う。

 創太は、涙目で必死にドアを開けようとするが、まるで開く素振りはない。

 余計なことを言ったのでは? こいつらは何を言っている? 後悔と困惑の二色が、創太の心に渦巻き、混じりあっていく。

 ――わけわかんねえぜ。とにかくヤベー気がする。こ、こうなったら。

 創太は、長年の経験からこの場を無事にやり過ごす切り札を切った。――それは、愛想笑いだ。

 頬を限界まで動かし、可愛げのない笑みを浮かべる。

 しだれは腹を抱えて大爆笑。来世は、舌打ちをして、彼の頭を殴った。

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