第123話 ケース5 侵略する教え⑩

文字数 5,174文字

「ダアーハハハハ。ああ、血が湧きたつねえ。そうは思わねえか来世よ」

 野太い声が、前方の空間に残響していく。

 来世は、隣に立つ男に、「黙れ」と鋭く釘を刺した。

 その男は、非常に大柄な男である。真黒い高級スーツの下には、過剰に搭載された筋肉が盛り上がり、三十cmほどの大きな革靴でコンクリートの大地を踏みしめる。加えて、巨石の如く拳と、スキンヘッド頭に刻まれた傷跡、鋭く大きな瞳、鉄さえ嚙み砕かんとする大きな顎が、ただでさえ大きな身長を巨大に見せていた。

「おい、手伝うと名乗りを上げた時に言ったはずだ。俺の指示には従うと」

「ああ、悪いね。オメーさんをないがしろにしているつもりはねえ、けどよ。カチコミとなりゃ楽しくなっちまって」

 来世は、また豪快に笑いだすヤクザ、獅子王 剛を見て疲れたように目を閉じた。

 時間を一時間ほど前に戻そう。

 事の始まりは、一本の緊急連絡からだ。

「どうした?」

「まずい、見つかってしまったよ。ぐう! 場所は暗渠……」

「おい、崎森! どうした。……クッソ」

 電話は途切れる。その後、何度連絡を取ろうと試みても、時間を無為にするだけであった。

 何があったのか分からない。だが、崎森のあの感じ。どう考えても良い状態ではない。

「クッソ」

 来世は、事務所のソファにどっかりと座り、こめかみを神経質に叩いた。考えろ、考えるんだ。呪文のように呟く。だが、血に濡れた里香、縛られる幸子、嬲られる崎森……それらが頭に浮かび、一刻も早く事務所を飛び出したい衝動に駆られる。

 来世は、ギリギリと歯を鳴らし、それから深呼吸を繰り返す。

「冷静になれ。……暗渠ってのは、外から見えなくなっちまってる水路のことだよな」

 来世は、夕京街の地図を取り出し、夕京川の辺りを念入りに目でたどる。

 川といっても、全てが人の目に晒されているわけではない。特に都市部に流れる川は、都市開発の一環で川が地中に埋没されることがあるのだ。

(夕京川の上流と下流は、暗渠となっている所はない。中流の方しかありえないよな)

 地図の情報と、頭の中にある街の情報を擦り合わせていく。

 中流の辺りは、古い建物と新しい建物が入り混じった街並みが広がっている。

(もともと夕京街は、いくつかの村が合併してできた町だ。だとすれば、夕京川は村人たちにとって重要なライフラインであったはず。必然的に、水を利用した施設や店もあるだろう)

 中流エリアに川を見た覚えはない。ならば、そのエリアのどこかに暗渠となっている場所があるはずだ。

 地図を見て、川の流れがあるであろう場所を指で辿るが、どうもピンとこない。

「上流とか下流から辿れば良いのか? いや、船で行ったとは考えにくい。この川を船で渡る奴はあまりいないから目立つ。と、なれば陸から暗渠に行けるルートがあるはずだ。奴らは中流のどこかに」

 来世は、地図の全体をぼんやりと俯瞰する。冷房の利いた部屋にいるのに、冷や汗が垂れて地図を濡らした。

 苛立たしげに前髪をかき上げる。と、ふと一点に注意が向いた。中央からやや東側にあるその場所。来世は鋭く指を差す。

「集い橋商店街。……地名に橋があるのは、昔の名残か? 川があって橋がかけてあったからそんな地名になった。単純に考えすぎているか? ……いや」

 集い橋商店街には、古い豆腐店や染物店、クリーニング店が密集している。それらは、街がまだ村であった時からそこにあったと来世は聞いたことがあった。

 豆腐、染物、クリーニング、あとは製粉所や銭湯……それらは、水が重要なサービスだ。と、そこまで考えを巡らせた瞬間、来世の頭に閃きの矢が飛来した。

「そうだ、そうに違いない」

 来世は事務所を飛び出しながら、氷室に電話をかける。

「おい、人手を貸せ」

「なんだい、藪から棒に。ちょっと、ラーメン食ってるから待って」

「ふざけんな! 里香たちに何かあった。敵に見つかった可能性が高い」

「んだよ。それを先に言えって。で、場所の目星はついてんの?」

「夕京川の中流あたり。恐らくは集い橋商店街のどこかだ」

 来世は車の乗り込み、集い橋商店街へ向けて走り出す。焦りにせかされるように、アクセルを深く踏み込み、華麗なドライブテクニックで車やバイクを抜き去る。

「集い橋商店街ってあのボロイ商店街? ああ、そっか、暗渠ね」

「心当たりがあるのか?」

「いや、ないね。あんまりいかねーしな。けど、探してみるわ。……んー、けどすまん」

 来世は眉根を寄せる。彼の眉根は、氷室の次の言葉でより鋭く寄り、皺を形作った。

「人手はあまり期待するな。お前への依頼は、あくまで俺の独断ってのもあるが、前にも言った通り、事件が多くて署は人手が足りない。数人は割けると思うが……あ!」

「なんだ?」

「里香ちゃんたちがピンチなんだ。来世君、人手を確保するためなら手段は問わねーで良いかな?」

 試すような響きがあった。大抵、氷室がこんな声音で話す時はロクなことはない。だが、来世は構わないと即答した。

「へ、よっぽど大事なんだな。了解だ。俺も美女の救出には全力を尽くすよ。安心しな。強力な助っ人を送り込んでやる。おい、おっちゃん、金置いてくよ。あ? 残すなって? かてーこと」

 来世は、電話を切り、正面を睨む。氷室に借りを作ることになるが、構わない。

 来世のその気持ちに嘘はない。だが、

「さて、行くかね。理人よ」

「こいつかぁ。まあ、仕方ないか」

「あ? ぶつぶつうるさいねオメーさん。先行くぜ? コイツを撃ちたくして仕方ねえ」

 獅子王の手には、ポンプアクション式のショットガンが握られている。引き金を引き絞れば、小石のような弾が複数飛び散り、当たった者を無残な死骸へと変えるだろう。

 来世は、ナイフを手に取るとピタリと獅子王の喉に突き付けた。

「あ? オメーさん何のつもりだい?」

「警告さ。さすがに危険な状況で発砲するなとは言わん。だがな、俺の目の前で殺しをするな」

「……相変わらず綺麗ごとを言いやがる。こっちはな、組のワケーのが殺されちまったんだ。落とし前つけてもらわないといけねえ。邪魔するってんなら」

 鋼鉄の黒き穴が、来世に突き付けられる。

 野獣の瞳と冷ややかな瞳が、宙で静かに火花を散らした。

 時間が停滞したかのように緩やかで、しかしいつでもバランスが崩れてしまうかのような危うさを秘めながら流れていく。

 ――だが、獅子王が笑いながら銃を下ろすことであっけなく空気は弛緩する。

「あ?」

「いやなに、ちょっとした意地悪だ。今回は氷室を介してだが、俺たちが捜索を依頼した形ではある。オメーさんを立てて、殺しはしねえよ。この銃に込めた弾はゴム弾だ。痛いが、せいぜい気絶させるのが関の山だろう。――もっとも、とっ捕まえた親玉をどうするかは、保証できねぇぜ?」

「……それは、後で話そうか」

 来世は、フウと息を吐き、正面を見据えた。

 そこは太陽さえも照らせぬ漆黒が、トンネルの奥に広がっている。

「まさか店畳んじまった老舗豆腐屋の裏にこんな場所があったとは知らなかったぜ」

「誰もが忘れていた場所だろう。周囲を見れば分かる」

 来世たちがいる場所は、テニスコートほどの広さの広場だ。

 豆腐店の裏に、その広場があり、左手にトンネルが、前方と右手は建物の壁に塞がれている。朽ち果てたバケツやボールが、時の流れを感じさせた。

「で、アンパンだか、何だかはこのトンネルなのか? 川が流れてねえぞ」

「暗渠な。このトンネルは、川を真横から突き刺すように伸びている。ここを真っすぐ進めば、夕京川の中流に行き当たるはずだ。敵はこのトンネルに潜伏している可能性があるから慎重にな」

「あ? 馬鹿野郎が! 女救いに行くのに呆けたこと抜かすんじゃねえ! 怖がっている女を待たすなんざダセー男のすることだ。とっととと駆けつけて、抱いてやるのが男気ってーもんだろ?」

 来世は、苛立ちという名の糸で引っ張られ顔を歪める。しかし、何を思いついたのか、ニヤリと楽しげに笑った。

「俺は慎重な男だから、お前の考えが理解できないな。だから、手本を見せてくれないか?」

「オメーさん、嫌なこと考えてねえかい?」

「まさか。ほら、行けよ。援護はしてやるさ」

 獅子王は、仕方ないとばかりに肩をすくめ、ショットガンを構えた。眼前の闇は、並の者であれば少しぐらいはたじろぐものだが、あいにく獅子王の辞書に怖れはない。

 不敵に笑い、突撃した。

 彼の鳴らす足音が、闇の中で反響しどこまでも響いていく。

「あいつ、明かりすら持ってないのかよ」

 後ろを付いて行く来世は、頭痛をこらえるように額に手を置いた。

 そんな苦労を知る由もなく、獅子王はまるで見えているかのように迷いなく突き進む。

 来世は、軍用の懐中電灯でトンネルを照らし、高さ五メートル、幅八メートルくらいの空間であることを認識した。

「ん? うぉっと」

 空を切る音。獅子王の眼前を、鉄パイプが掠める。

「クソ野郎が!」

 腹の底を震わせる轟音が、一発、二発と残響する。数瞬閃いた発射炎が、暗闇から景色を浮かび上がらせ、白いのっぺらぼうの仮面が視界に飛び込む。

「殺人鬼もどきの仮面……ビンゴ。獅子王、ここに里香たちはいる」

「そうかい。ボスもここにいれば万々歳なんだがね。おおっと、歓迎してくれるみたいだぜ?」

「……お前ら」

 ライトの光が、正面の暗闇を払う。あらわになるは、目と口が丸く開いただけの能面仮面たち。服は黒く、仮面だけが白く、左右に体を揺れ動かしながら近づく軍団は、墓場で踊り狂う亡霊じみていた。

「へ、楽しくなってきたぜ。俺はなあ、祭りが大好きなんだ。おら、来いよ、オメーさん方」

 それが合図となった。押し寄せる白仮面たちの群れに、銃とナイフの煌めきが迎え撃つ。

 敵は十名以上。恐ろしく統率のとれた動きで、攻撃を繰り出してくる。

「ボウガン、鉄パイプ、金属バット。……暗闇なのにこれだけ動けるのは、ナイトビジョンか。おい、獅子王!」

「オラ、オラァ、どうだい」

「聞けって!」

 来世から見て二メートル先に獅子王がいる。チィと舌打ちを一つ、来世は彼に近づいていく。

「死ねえ!」

 左右から同時に振るわれた鉄パイプを、僅かに身をかがめて躱し、

「う、うわあ」

 右にいた男を投げ飛ばして、左の男へぶつけた。

「これで、チイ」

 迫りくる三本の矢を避け、右方からくる男の顔にライトを当てた。

「うう!」

「ナイトビジョン越しに見れば、かなり眩しいだろなあ!」

 蹴りを男の顔面に叩き入れ、それから獅子王の胸倉を掴んだ。

「おう、どんな調子だい?」

「うるせえボケ野郎。ちまちま戦ってられるか。良いから、いったん下がれ」

「あ? なんか考えが」

「あるんだよ」

 引きずるように獅子王と共に、入り口方面へ走り抜ける。

「逃げるぞ」

「殺せ、殺せ」

 追う白仮面たち。思い思いの武器を振りかざし、愚かな逃走者二名を追いかける。――しかし、白仮面たちは勘違いをしている。背を向けて走っているから逃走者であると、果たして誰が決めたのだろうか?

「ここだ」

 振り返る来世に、白仮面たちは矢を放つ。暗闇を駆ける無数の矢は、驚くほど正確に来世の顔面へと迫る。だが、無情にも矢は宙に止まり、狩人としての仕事を果たすことができない。

「【否定の魔眼】だ。お前らの攻撃は俺に届かず地に落ちる。そして、こいつだ」

 来世が三つの物体を放り込んだ。緩やかに回転しながら宙を舞うそれらは、突如膨大な光と耳障りな音を放射した。

「ぐあああ」

「ああ、目がああ」

 揺れまどい悲鳴を上げる白仮面たちは知覚することができなかった。――眼前に迫る二人の逃亡者、もとい狩人たちに。

 豪快な音と唸り声――そして静かになった。

「はあ、オメーさんよ。スタングレネード使うなら言ってくれねえかい? 俺が対処法知らなかったらどうしてたんだ?」

「あ? 別に。間抜けが一人増えるだけだ」

「コイツ……あーあ。ちょっとくらい休ませてくれえねぇかい?」

 足音が奥からまた響いてきた。

 来世は、懐からスタングレネードを取り出すと、獅子王に一つ手渡した。

「あ、なんでい?」

「良いから持っておけ。そら、来たぞ。突っ込め」

「命令すんなよ。後でぶち殺すぞ」

 獅子王は苛立ちをぶつけるように、ショットガンを咆哮させながら突っ込む。慣れた手つきで、ハンドグリップを前後させ、発射。時に拳を交えて、一人、また一人と沈黙させていく。

「ダアーハハハハ。こんなものかつまらねえな。そうは思わないかい理人よ。あれ?」

 先ほどまで共に戦っていたはずの男がいなかった。これが意味するところは……

「あ、あの野郎。初めから俺をおとりにするつもりだったな。……フハ、やるじゃねえか」

 巨漢は面白おかしく笑みを浮かべ、怯える白仮面の一人を殴りつけた。
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