第93話 ケース4 姿見えぬ殺人鬼①

文字数 2,977文字

 これから本格的な夏の到来を予感させる初夏の日差しの下、整備された山道を三人の男女が歩いている。

 そのうち二人は、何でも屋である「魔眼屋」の経営者と従業員だ。

 ハイキング用の動きやすい服装に身を包んだ二人は、額に汗を浮かべているが、表情には余裕が感じられる。

 一方、全体的に白で統一された服装で二人のすぐ後ろを歩く女は、苦しそうに呼吸を繰り返していた。



 ――昨日、魔眼屋の事務所。

「お願いします。私を護衛してくれませんか?」

 必死な形相で依頼をしてきた女の名は、古城 瞳という。

瞳は、異性の魂を引き抜くほどの美貌を誇る女だ。

長身で豊満な胸、これだけでも男が好みそうな容姿だが、艶のある黒い長髪とキツイが色気のある目つきが、女の魅力を何倍にも引き立てている。

「護衛ですか? まあ、ただの何でも屋ではありませんので、引き受けることも可能ですよ。ただし、詳細を聞いてからですがね」

 だが、魔眼屋の経営者である来世 理人には、その色香は通じないようだ。彼は瞳以上の鋭い目つきで、話の先を促した。

「実は妙なことになっていまして」

「妙、ですか?」

「はい。私は、その、いわゆる風俗嬢でして、昔からストーカーまがいの犯罪に巻き込まれることもあったんです。今回もそうかな、と思ったんですが、どうも少し違うようで」

 瞳は、ハンドバッグから一通の手紙を取り出した。

「これを」

「拝見します。……ん? 『スリルを楽しみながらペンションで一週間過ごそう』という旅行会社のイベントに参加しろ。そのイベントに参加しなければ、両親に危害を加える……何ですこの手紙は?」

 瞳は、首を振った。

「よく、分からないんです。ただ、いたずらだと断言できなくて。実は実家の玄関先にこんなことをされまして」

 瞳はスマホの画面を来世に差し出す。

 画面には、茶色い土の地面に幾本もの包丁が突き刺さっているシュールな画像が表示されている。

「これは酷い。警察には相談されましたか?」

「え、ええ。でも、質の悪いいたずらだろうって相手にされませんでした。一応、見回りには来てくれていますが、もし両親に何かあるかもしれないって思うと不安で。

 ……だから、怖いですけど参加しようと思います。でも、一人だとやはり不安ですので、護衛をお願いします。このイベント、一グループ四名まで参加できるらしいので。イベントは、明日から始まるので今日中に出発しないといけませんが、どうにかなりませんか?」

「……正直、参加はおすすめしません。何をされるか分かったものではないですから。ただ、あなたがどうしてもというならば、同行しましょう。しかし、当事務所で万が一の事態に対処できるのは私だけです。どなたか格闘技や護身術の経験がある方はいらっしゃいませんか?」

 瞳は首を振る。

 ――弱ったな。

 来世は、眉根を寄せる。犯人の意図は全く分からないが、どう考えてもアクシデントが起きるのが目に見えている。そんな中、自分一人だけが護衛するなどたまったものではない。

 だが、報酬がかなり良い依頼だ。最近では旨味の少ない依頼ばかりで、金が欲しいのが本音である。

(しかし明日かよ。これじゃ、他の奴にも応援を頼もうにも、断られるな。となると、かなり厳しい)

 来世は、ちらりと隣に座る二人を見る。

 一人は現役の女子高校生で助手見習いの小鹿 里香。そして、その隣に座るのが小学生にしか見えない従業員の浜 幸子。浜 幸子の正体は神様だが、弱小の神である。あまり戦力としては期待できぬし、里香は論外である。

 深くため息を吐いた来世は、仕方ない、俺一人で頑張るか、と覚悟を決めた。

 ――しかし、覚悟を決めたのは来世一人だけではなかったのだ。

「あ、おはようございます。さあ、行きましょう」

 朝、瞳と一緒に駅に向かった来世を出迎えたのは、里香である。

 何度も帰れ、と来世は言ったのだが、まるで聞く耳を持たず、今に至る。



「来世さん、あまり親切なイベントじゃないですね。大した情報も教えられずに現地集合だなんて」

 額の汗をぬぐった里香は、目を細めてまだ見ぬイベンターを非難する。

「自分たちで目的地に到達することで達成感が得られ、よりペンションでの日々が素晴らしいものになるってのが、旅行会社の言い分だ。文句を言っても始まらないだろう。嫌なら帰れ」

「ふんだ。また、ゲンコツされたって帰りませんよ」

 里香は小さな子供みたいに唇を尖らせる。

 来世はため息を吐き、正面を睨みつけた。

 左右を森に挟まれた山道は、行けども行けども先を見通せない。

 本当に目的地はあるのか? と不安になったのも束の間、道を右に曲がった所で大きな建物が姿を現した。

「ふあ!」

 里香が驚きの声を上げるのも無理はない。

建物は山奥にあるのが不似合いの豪奢な洋館だ。

 洋館の入り口には、男性が一人手を振って立っている。

「ようこそいらっしゃいました。私、本イベントの担当者である伊藤 文彦と申します」

 慇懃に頭を下げた男は、まばゆいばかりの好青年だ。恐らく日本人だろうが、目鼻立ちがはっきりとしており、少々日本人離れした見た目である。

 伊藤は、爽やかに笑うと三人を洋館の中に招き入れた。

「あの伊藤さん、こんなに豪華な建物に泊まるんですか?」

 無邪気に質問する里香に、伊藤は残念そうに首を振った。

「いえ、違います。この建物は、私の管理室として活用させてもらいます。食事はこちらでとっていただくことになりますが、宿泊はこの建物を通り過ぎた先にあるペンションでお願いいたします」

 伊藤が先頭に立ち、歩き出す。

 彼が向かう先は、入り口のちょうど真向かいに位置するドアだ。

 歩きながら伊藤が問いかけた。

「さて、本イベントに参加するのは二人だと、古城様からは承っておりますが、お一人多いようですね」

「あ、申し訳ございません。迷惑でしたら、こいつは帰らせますが」

 来世が軽く頭を下げると、伊藤は笑って首を振った。

「いえ、それには及びません。食料は多めに用意しているので、多少人数が増えるくらいでしたら対応できます。さあ、こちらへ。ペンションがある場所は、大変スリルがあるので、びっくりなさると思いますよ」

 伊藤は、やや速足でドアに駆け寄り、開け放った。

 ふわりと、潮の匂いが風に乗って鼻腔をくすぐる。

 差し込む光に三人は目をつむり、ゆっくりと目を開く。

(なるほど、スリルね)

 来世は、内心頷いた。

 テニスコートを横に四面、縦に三面ほどの広いスペース。そこに洋風の洒落たペンションが六つ並んでいる。

 左右に三つずつ規則正しく並んでいるペンションそのものに、スリルは感じない。だが、周りを見渡せば頷ける。このペンションは、崖の上に建っている。

「ご覧のとおり、ペンションの周囲は崖ですから、落ちないように注意してください。下は海とはいえ、水面まで百メートルありますし、岩がごろごろしているようですので、落ちれば無事ではすまないでしょう」

「え、ええ。皆さん気を付けましょうね」

 瞳が、青ざめた顔でそう呟いた。

 心配そうに里香が彼女に駆け寄ったので、来世は言葉をかけずペンションへ目を向けた。

 来世たちを見下ろす空は、雲一つない晴天である。

 彼らはまだ知らない。こんなにも晴れ上がった空とは対照的に、悲劇の幕がこれから開こうとしていることに。

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