第26話 ケース2 死神の足音②

文字数 1,748文字

「どうぞ」

 里香は、湯気が立ち上るティーカップを、ソファに座る男の前に差し出した。

 男は、茶色いカフェオレを一瞥もせず、会釈する。

 目ざとくそれを確認した里香は、拳をギリギリと握りしめた。

「それで、ご用件は?」

 男の対面に座る来世がそう切り出すと、男は視線を左右に揺らす。

 落ち着きがない男なのだろうか? 初めはそのように考えた来世は、すぐに違うと判断した。

 ……どこか、余裕がない感じがする。本来は、こんな人物ではないかもしれない。なにかトラブルがあったのだろう、と来世は結論付けた。

 男は、意を決した様子で話す。その内容に、来世は目を細めた。

「私は、そろそろ、いえ今日にでも殺されてしまうかもしれない」

「……なぜ? 人の恨みでも買いましたか?」

 男は首を振る。

「恨みを買うような覚えはありません」

「では、殺されるとなぜ思うのですか?」

「そ、そのう。頭がおかしいと思う、いえ、私はおかしいのかもしれませんが、……るかもしれません」

 あまりにも小声で聞き取れない。来世が、もう一度言うように促すと、今度は先ほどよりも大きな声が、事務所内に響いた。

「だから、幽霊に殺されるんですよ!」

 ププ、と来世の隣に座る里香が笑う。

「痛!」

 里香の頭をはたく来世。ゴホン、とわざとらしく咳をした来世は、ゆっくりと言葉を選びつつ、質問を投げかけた。

「幽霊に殺される、と思う人はそうそういません。だが、あなたはそう思った。ということは、はっきりとそうとしか説明できない事態に直面している?」

 男は頷く。

「あれは、ひと月前のことでした。仕事が終わって、夜道を一人で歩いている時、背後からテン、テンと何かが弾む音が聞こえたんです。初めは、気にもしませんでした。けど、ずっと私の背後から聞こえてくるので、気味が悪くて……。だから、思い切って振り向いた。はは、びっくりですよ。そこには着物姿の手まりをついた五歳くらいの女の子がいました」

 ここから男の声は、徐々に大きくなっていった。

「時代錯誤っていうんですかね。どことなく、江戸か明治のお子さんって印象でした。こんな時間に、女の子が一人いるなんて大変だって思って、話しかけたんです。

 大丈夫かってね。はあ、返事がなくって、そ、それでもう一度問いかけたら、ニコリと笑いかけてくれたんですよ。ホッと、しました。……でも、次の瞬間、恐ろしいことを言われました」

「……なんと?」

 来世の問いの答えは、じっくり二十秒近くかかって返ってきた。その間に、里香はギュッと来世の服の裾を掴む。



――お兄ちゃん、死んじゃうよ。私が、お兄ちゃんの肩を叩く頃に、あの世へ連れていかれちゃうわ。鈴の音が鳴る前に、どうにかしないとね。



「少女は、そう言い残し、私の前から姿を消しました。文字通り消えたんですよ。あんなの……幽霊っていうしかないじゃないですか。それに、それにですよ、あの女の子は、毎日僕の背後に現れては、そう言い残して消えるんです。な、なんだか初めに聞いた頃よりも、近づいてきている気がして。もう、どうしたらいいか」

 悲痛な叫びが、暖房の利いた室内を寒くする。

 里香は、そわそわと身体を動かしていたが、来世はいたって冷静に思考する。

 幽霊自体は……いる。来世は、霊媒師でもなければ、霊感もないが、仕事上、何度もかかわってきた。問題は、どうやって対処するかだ。

「……お話は分かりました。基本料金が五十万円、あとは危険度に応じて料金が上乗せされていきます。決して安い金額ではありませんが、怨霊が相手となるとこちらもそれなりのリスクを負う。ですから――」

「構いません。百万だろうが、二百万だろうが払います。幸い、貯金ならしている。お願いします。私を助けてください。し、死にたくないんだ」

 男は、テーブルに額を叩きつけ、壊れたように死にたくない、死にたくない、と連呼した。

 来世は立ち上がり、依頼人の肩を叩く。

 俺の事務所に来る奴は、たいてい訳ありだ。やれやれ、どの依頼も気が抜けないので困る。

 そう心の中でつぶやき、細く細く息を吐いた。
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