第63話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い①

文字数 936文字

 ――誰か、ワシの言葉を聞いてくれ。

 無駄なことだと知っている。だが、思わずにはいられなかった。

 もう時間が残り少ないのだ。

 何としても、あの人の無事を確かめたい。確かめなければ、きっとこの心の内に巣くう泥のような焦燥感は消えはしないだろう。

 ――もし、そこの方。もし。

 あらん限り叫んだ。ああ、だが悲しいかな。ワシには口がない。伝えたくとも言の葉を、空気に乗せることができないのだ。

 こんなにも世界は陽光に満ちているのに、寒風のような寒さが体の隅々まで行き渡っていく。

「ちちち、ちゅん、ちゅん」

 ああ、恨めしかな。自由気ままな小鳥が、枝に止まり、ワシを見下ろしておる。お主のように空を羽ばたけたならば、どんなに良いだろうか。

 せめて、この想いだけでも連れて行ってほしい。

「ちゅ、ちゅん」

 想いを受け取ってくれたのだろうか? 小鳥は空をかけ、風に乗っていずこかに消えゆく。

 ――むう、あの伸び伸びとした顔、きっと知らぬ存ぜぬに違いない。

 やはり人任せ、あ、いや、鳥任せはいかん。

 うん、諦めてなるものか。

 やや身体を揺らし、めげずに叫ぶ。

 意味のないこと。だが、衝動は理性で止まるものではない。

 ――もし、少しで良いのだ。ワシの話を。……おや?

 風に乗らぬ言の葉を止める。止めている時間などないはずだが、気になってしょうがない。

 穏やかなる景色に似合わぬ、騒がしい影。数は三つ。通行人を蹴散らして、こちらへと駆けてくる。

 ――慌ただしい人々だ。あの人らに言葉を投げても聞く耳を持たぬだろう。いや、待てよ。

 もしかしたら、あれだけ全力疾走しておるのだ。こちらに到着する頃には、疲れて立ち止まってくれるやもしれぬ。

 よし、よし、ならば、もし、そうなったならば。ワシは声をかけてみようと思う。

 強固な岩の如く意思を固める。これは、きっと決意と呼ばれるものだろう。

 うむ、決意した。

 ふふ、不思議なものだ。初めて目にした時は、凄まじく彼らの動きが速いと感じたが、今は早く来い、遅いではないか、という心持ちになっている。

 距離にして五尺。現代風にいえば、百五十センチメートルといったところか。

 その距離が、ひどく遠い。……うん、そうだ。そうそう早く来い。

 あまり待たせてくれるなよ。

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