第62話 ケース2 死神の足音㊳~完~

文字数 4,919文字

 右を、左を、血走った目で堀は周囲を探る。

「ど、どこにいらっしゃるのですか? お目にかかりたい。兄にとって妹のような存在ともなれば、私にとっても家族です。さあ、遠慮なさらずに」

 ――テン、テン。

 手毬を鳴らし、浜 幸子が来世の背後に現れた。

 堀は、彼女の姿を目視し、瞳に涙を浮かべながら子供のように両手を叩いた。

「ああ、ようやくお目にかかれた。私は、堀 茂と申します。はは、兄さんの言ったとおりだ。可愛らしい御姿で」

 浜 幸子は、来世の肩に手を置き、静やかに堀へ問うた。

「兄さんは変わってしまったのね。……ねえ、あなた。私を家族というなら答えて。あなたのやっていることは、世の中を良くするどころか、悪くしてしまう。手段が特殊というだけで、武器を振り上げ人を殺す殺人鬼となにも変わらないわ。もう、こんなことはやめて」

 堀は、はじめ何を言われているのか分からない様子で口を開けたまま固まったが、やがて心底残念だ、と言いたげに肩を落とした。

「あなたは幼いうちに亡くなったから、人の悪意をはっきりと理解できなかったようだ。……はあー残念だ。しかし、ご安心ください。私があなたをサポートいたします。

 お喜びください。あなた様を呼ぶ場所を、この会社以外にもご用意いたしました。今後活躍の場は広がっていく予定です。実はですな、邪破教の信者数名と接触しておりまして、依然と同じ、いいやそれ以上の規模で信者を増やしていく計画も進めているのです」

 キラキラと目を輝かせ、堀は両手を広げた。彼は思い描く。未来の展望を。悪が消滅した理想の社会があると夢見て。

「なあ、良いか?」

「え、どうしました? もしや、あなたも我々の教えに興味があるのですか?」

 堀の言葉を無視し、来世は幸子に振り向いた。

「君にとっては辛い話だろう。だが、このまま放置することはできない。……分かるな?」

「……はい、分かります。どうかお願い。もう終わりにしたい。これは、神様としてではなく、浜 幸子という人間としての願いです」

 深く深く少女は頭を下げる。

 来世は、「分かった」と呟き彼女の頭を優しく撫でた。

「あなた、神に対して馴れ馴れしいのでは?」

「黙れ!」

 来世は拳を握りしめる。

「貴様と浜 勝平は辛さから逃れるために、邪破教に縋っただけだ。貴様は勝平から虐待された事実に正当性を見出すため、浜 勝平は辛い過去を復讐によって清算するために。

 お前たちの過去は確かに苦しいものだろう。他人の俺では計り知れないほどに。だが、どうして考えてやらなかった。お前らが、幸子の家族だというなら、彼女の苦しさをなぜ理解してやれない。望まない死神の役を与えられ、人を殺める辛さは、幸子を追い詰めている。理不尽な暴力にさらされたからこそ、彼女は人が心に感じる痛みを知っているんだ。それを、誰かに与えてやろうという復讐心がないからこそ、幸子は死ぬ間際、両親に対して恨み言をいわず、浜 勝平に感謝の気持ちだけを抱き死んだ。

 くそったれ、最低な気分だ。他人の俺が偉そうに言うような話じゃない。誰よりも寄り添ってやれるお前らが、理解してやろうと思うべきだったんだ。お前らは世のため人のためとほざきながら、自分たちのことしか考えられない人間になってしまった。鏡で自分の姿をよく見てみろ。お前らが嫌った悪意がそこにあるぞ」

 堀は、よろりと身体を揺らめかせた。

「な、なにを世迷言を。幸ノ神、こんな男のデタラメを聞いてはいけない。私と一緒に、兄さんの意思を引き継ごうではありませんか」

 来世は、懐から金の鈴を取り出し、堀に放り投げた。

 咄嗟にそれを受け止めた堀に、来世は氷のような声で命じる。

「それは黒い鈴と呪いの品々の呪力を無効化する鈴だ。お前が鳴らして、あと片付けをするんだ」

「は、ふざけたことを。私がそれに従うとでも。壊してやる、うう!」

 堀は金縛りにあったように動けない。彼の視線の先には、来世の目が映っている。

「裁きを与えよう。お前はある意味、被害者だ。だが、過去がどうであれ、犯した罪に目を背ければ、不幸な人々が増える。だから、甘んじて受けるがいいさ」

 来世の両目が黄金色に変化し、天秤のような模様が浮かび上がった。赤く鮮明な天秤は鮮血に似ている。

 堀は、逃げようと身体を動かすが、尻もちをつくのがやっとだった。

「【審判ノ眼】よ。罪を暴き、裁きを下せ」

 そう彼が言い終わるのを待っていたかのように、鐘の音が鳴り響く。

「鐘? どうして。どこから鳴っている」

 すっかり取り乱した堀は、耳を塞いだ。だが、音は拒絶を許さず、堀の頭の中を飛び交った。

「ああ、気持ち悪い。一体何なんだ。うひあ! 色が」

 世界は色彩を忘れ、景色の全てが白と黒で表現される。モノクロな世界は、現実でありながら現実味がない。――そんな世界で、来世はただ一人。色彩を失わず佇む。

「色がある。あなただけどうして?」

 来世は何も語らない、手足すら動かさない。代わりに鐘の音に合わせて目が輝いていき、やがて堀の視界を奪い去った。

「ああ、見えない。助けて、助けてくれ。嫌だ、もう私を殴らないでくれ。兄さん、痛いよ。信じる、兄さんの話を信じるから」

 腕を振り回し、堀はここにはいない者へ許しを請う。

 色彩のない世界は意に介さず、男の罪を暴き、然るべき罪を選定する。

 鐘は高らかに鳴り続け、白い羽がどこからともなく、ひらりひらりと舞い降りた。

 裁定者たる来世は、人差し指を男に突きつけ、低く重さのある声で告げる。

「判決を言い渡す」

 ――カーン、カーン、カーン、……結論は出た。

 重々しい鐘の音が鳴り響き、堀は床に額を擦りつけ、子供のように泣きじゃくった。

 ――静かに事の成り行きを見守っていた少女は、目を閉じ、「馬鹿」と呟く。

 その言葉は、堀 茂に対してか、それとも……。

 来世は知らない。答えは少女の胸の中に秘められるのみ。

 ※

 来世は、湯気が立ち上るコーヒーカップをデスクの上に置き、腰を下ろした。

 しばらく寒い日々が続いていたが、今日ばかりは神様も気まぐれを起こしたのか、冬にしては随分と暖かい日だ。

 来世は、先ほどコンビニで買っておいたバニラアイスを袋から取り出し、口に放り込む。冷たい物は夏にこそ似合うものだが、暖房の利いた部屋で食べる冬のアイスクリームもなかなかのもの。

 来世はわずかに緩んだ頬を引き締めもせず、甘さの占領する口内に、ブラックコーヒーを流し込んだ。

「あー、こんな時期に冷たいもの食べて。お腹壊しても知りませんよ」

 事務所のドアを開けるなり、開口一番、里香が人差し指を突き付けて叱った。

 来世は返事をせず、バニラアイスを口に運ぶ作業にいそしむ。

「もう、無視とか酷くない。全く、うわ、とと!」

 事務所の固定電話が鳴り響き、里香が急いで受話器を手に取った。

「はい、魔眼屋です。……え、岩崎さんが! はい、はい、かしこまりました。ええ、お大事に、良かったですホント」

 里香は受話器を置くなり、興奮した様子で来世に詰め寄った。

「来世さん、岩崎さん退院したらしいです」

「ほう、そうか。ま、呪いのシステムは無力化したからな、原因が消えれば元気になるだろうさ」

 来世は、素っ気なく返答し、テレビの電源を付けた。

 画面には、昼にいつも放送されているバラエティ番組が映し出されている。

 来世は、チャンネルをいくつか変えたが、結局そのバラエティ番組を画面に映し、ぼんやりと眺めた。

「来世さん、今日は仕事はないんですか?」

「今のところはない。夕方あたりまで誰も来なければ閉めるつもりだ。お前も、今日は早めに切り上げて良いぞ。そろそろテストが近いんじゃないか?」

「う、そうですけど。最後までいますよ。んー、それよりもたまには良いですね。こんなゆったりした日も」

 里香はソファに座り、はしたなく足をだらりと広げ、天井を眺める。と、

「こんにちは」

 里香の真横から可愛らしい声が聞こえた。

「ふぇ! は、幸子ちゃん。どうしたの?」

 幸子は、相変わらず赤い着物を着ており、手毬をポーンと投げては手に取りを繰り返している。

「お久しぶり。来世さんのおかげで、堀さんは呪いの品々を処分したから、私は晴れて自由の身になったわ」

 来世は、アイスクリームの空箱をコンビニ袋に投げ捨て頷いた。

「そうか、何よりだ。で、これからどうするつもりだ?」

「うーん、そうね。私、自由の身になったけど、あの世には行けないのよね。私を信仰している人がいる限り、完全に自由の身、とは言えないみたい。……たぶんだけど、あなた方も私を信仰している、と言っても良いかもしれないわね。だって、私の存在を認識し、いるものとして扱っているでしょう。それって、私を信じているってことじゃないの」

 うーん、と里香は腕を組み唸った。

「って、ことは幸子ちゃんは、私たちがいる限り、この世に居続けるってことですか?」

「そういうことね。……どうしようかしら?」

 幸子が、二人を交互に見て、ニヤリと笑った。

 ぞわり、とした悪寒が二人の背中を駆け抜ける。

 来世は、札を取り出すと、出口を指差した。

「出ていけ。お前に殺されてたまるものか」

「……あーははは。おっかしいったら。安心して、私が人を殺せたのは、呪いの力によるもの。私自身はただの幽霊と変わらないってば」

 弛緩した空気が漂う。

 里香は、ほうと胸をなでおろし、幸子に笑いかけた。

「そうなんだね。でも、考え方を変えたらさ、新たな人生が始まったってことでしょう。おめでとう。困ったことがあったら、相談に乗るから任せて」

 パッと幸子の顔に笑みが広がった。

「本当! 良かった。私、住むところがなくて困っていたのよね。……うん、決めた。私、ここに住むわ」

「はあ?」

「え、マジ!」

 幸子は、子供特有の邪気のない様子で飛び跳ねた。

「いえーい、今日からここが私の家。よろしくね来世さん、里香さん。んん? 待てよ。来世ちゃん、里香って呼ぼう。私の方が年上だし、来世ちゃんは顔が怖いから、ちゃんって呼んで怖さを和らげてあげるわ」

「断る。二重の意味で断る。出ていけ、今すぐに。里香、塩をまけ」

「え、ええ。幸子ちゃんにそれはちょっと。あ、それに塩は昨日私が間違って、床にぶちまけちゃったんで、捨てましたよ」

「何だと? どうりで昨日、料理をする時に塩がないと思ったんだ。買ってこい、今すぐ。ついでにそいつも捨ててこい」

「え、塩買ってくるの? じゃあ、私の洋服も買って。そろそろ和服にも飽きたの。大丈夫、洋服代は従業員として働いて返す。決まりね。じゃ、行こう里香」

 来世は、札を投げたが踊るような動作で躱される。

 ――結局、紆余曲折あったが、渋々来世は洋服代込みの代金を里香に手渡し、二人は仲良く事務所を出た。

 がらん、とした事務所の中で、来世は舌打ちを繰り返し、ソファにどっかりと身を沈めた。

 太ももに妙な感触。見れば、見事な刺繍の施された手毬があった。

 来世は、手に取り宙に放り、キャッチした、その瞬間に、手毬から文字が浮かび上がる。

「ん? よ、ろ、し、くね、だと。ふざけんな」

 来世は、手毬を投げ捨てようとして、動作を途中で止めた。

 まったく、こんな仕事をしていると、妙な出来事ばかりが起きて困る。

 頭痛がして、来世はこめかみをもみほぐすと、電話が鳴り響いた。

 来世は、ゆっくりと立ち上がり、乱暴に受話器を手に取る。

「はい、魔眼屋。……ほう、依頼ですか? ちょうどよかった。人件費が一人分増えたもので大歓迎だ。や、失敬。なんでもありません。お話を伺いましょうか?」

 来世は、手帳にペンを走らせ、受話器を置いた。

 しばし、手帳を眺めていたが、デスクに手帳を放り投げ、席に座る。

 視線は事務所の入り口をロックオン。あの二人が帰ってきたら、せいぜいこき使ってやろうと、固く揺るぎない決意を固める。

「ふん、ふふ」

 笑い声が、来世の喉から飛び出した。頬は柔らかな笑みを形作る。

「ま、そんなこともあるさ。人生ってそういうものだろう」

 独り言を呟き、来世は首をさする。

 遠くの空で心地よさそうに、小鳥が鳴いた。

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