第115話 ケース5 侵略する教え②

文字数 4,693文字

 ジリジリと焦げるような八月の暑さが、道行く人々の表情を苦痛に歪める。

 そんな人々とは隔絶した涼しい事務所に、人が三人籠っていた。

 男性二人は、向かい合ってソファに腰掛けている。女性は、二人の前にコーヒーカップを置くと、端正な顔立ちをした雇い主の横に座った。

「いやー頼むよ。何でも屋、あんたじゃねえとさ、この事件上手く解決できそうにないんだわ」

 合掌し、スリスリと両手を動かしている男は刑事だ。見た目は、非常に胡散臭い。ヨレヨレのブラウンスーツを身に纏い、無造作に生やした無精ひげと胡麻塩頭のボサボサヘアーが、およそ清潔さとは無縁であることを証明している。加えて、ヘラヘラした笑みに、あくどいことを考えていそうな垂れ目が、男から誠実やら信頼といった言葉をはぎ取り、バッジを見るまで誰も彼を刑事だと信じてくれない。

 この事務所の主である来世 理人は、顔に心底嫌だ、といった文字を張り付け、コーヒーカップに口を付けた。

「で、汚職刑事とはいえ、現役の刑事が俺に秘密の依頼をしたい、と。……めんどくさそうだな。今回は断るということで」

「いやいやいや。勘弁してよ。ねえ、里香ちゃんもそう思うでしょ?」

 刑事は、チラリと来世の隣に座る里香に視線を投げた。

 小鹿 里香は、現役の女子高校生であり、来世の助手でもある。

 艶のある茶髪をポニーテールにしており、やけにスタイルが良い。

 刑事が下心のある目で、ミニスカートから伸びた彼女の脚を眺める。

「い、いやー。どうでしょうか? 怖いのはちょっと」

 里香が両手で足を隠す。男はニヤニヤと満足げにその光景に頷き、ついでとばかりに拍手を里香に贈る。

「な、なんですか?」

「いや、可愛い。ほんと可愛い。羨ましいですな来世君。俺もこんな部下が欲しい」

「そうか。じゃあ、とっとと署に帰って仕事を頑張るんだな。昇進して警部になれば、可愛い部下ばかりを集めてハーレム人生を送れるぞ。氷室様―ってな」

「昇進してもそんな好き勝手にふるまえるわけないっしょ。あ! その手には乗らないよ何でも屋。煙に巻いて話をなかったことにしようとしてない?」

 来世は、チッと大きく舌打ちをした。

「ほらー、酷い人だ。話だけでも聞いてよ」

 氷室は、懐から厚みのある茶封筒を取り出しテーブルの上に置く。

 中身を改めなくても、来世にはそれが何か見当がついた。

「いくら入ってる?」

「五百万円。それは前金だ。成功すれば、さらに一千万円払う」

「随分気風が良いんだな。汚職刑事の悪事ってやつはそんなに儲かるのか?」

「悪事って酷いな。世の中綺麗ごとじゃ話は進まんでしょう。俺はね、来世君。ヒーローものでいうところの、ダークヒーローなんだよ。非合法なこともするが、それもこれも正義のためなんだよ」

 言ってろ、と来世は呟き、黙考する。

 世の中にはとてもではないが、表沙汰にできない事件はある。そういった闇の依頼を、魔眼屋は数多く請け負ってきた。しかし、この金額をもらうほどの依頼は、数えるほどしかない。ここで依頼を受けて、氷室に恩を売っておくのも悪くはないが……。

『此度の依頼、危険度S~C。状況による危険度の変化が顕著』

 頭の中で、悪魔の声がささやく。魔眼の力を授けるが、決して人間の味方ではない存在。――だが、申告する内容に嘘だけはないのが悪魔だ。

「来世さん?」

「ん、気にするな里香。氷室、話を聞く前に白状しろ。この依頼、決して捜査の進展だけが目的じゃないだろう」

 氷室は、僅かにだが顔を歪める。それを目ざとく察した来世の目から気まずそうに目を逸らす。

「叶わないねぇ。……ったく、そうだよ、不竜組って暴力団がいるだろ。で、そこの構成員の中に、今回依頼したい事件の被害者がいるんだよ。だから、彼らに犯人の居場所の特定を俺はお願いされてんの。ま、報酬高いし、恩売れるし、美味い話さ。なるべくはあいつらに引き渡したいけど、無理なら普通に捕まえても良い。俺の手柄になるならな」

「……なるほど、面白い」

(危険度S~Cか……)

 先ほどの言葉が、来世の頭の中でリフレインした。だが、来世の胸の内は決まっている。

「……依頼、受けても良いぜ」

「本当か!」

「ああ、ただし。不竜組に魔眼屋に依頼をしたと告げるならな」

 パチン、と派手な音が鳴り、びっくりした里香が来世の服を摘まむ。その音は、氷室が自身の額を叩いた音だ。

「あーそっか。あんた、不竜組の獅子王と因縁があるんだって? それで恩を売っとこうってわけか。……あー、別に良いか。どっちにしろ、俺一人じゃ手が余るし、何だかんだ言って、獅子王もオーケーするだろ。うんうん、話はまとまった。それじゃ、依頼の話をしようか」

 流れるように。そう、まさに流水が如く滑らかな操作でスマホを操作した氷室は、とある画像を来世に提示する。

 ――それは、腹を裂かれた女性の死体だった。

「ヒ!」

 来世は、咄嗟に里香の目を手で隠す。

「おおっと。里香ちゃんには刺激が強すぎるかな。でも、まだあるんだよね」

「……これは股間を潰された男の死体か。連続猟奇殺人事件の被害者だろう?」

 今朝、テレビのニュースで報じられていた事件だ。

 被害者四人。内、三人が男性、一人が女性だ。

「知ってるなら話は早い。これが残りの被害者。男の方は全員股間を丹念に潰され、女は腹を裂かれた状態で発見された」

「……何のために?」

「さあ? 理由は不明。ただはっきりしているのは、この犯罪を行った連中はかなり大胆だってことだ」

「単独犯じゃないんですか?」

「うん、違うよ里香ちゃん。犯人どもは、八月の三日、深夜一時過ぎに、集団で一斉に犯行を行った。女性は、仕事の帰り道で襲われ、男性二人は車で轢き殺された。……んで、不竜組の下っ端の方は、酒でべろべろになって寝ていたところをナイフで刺され死亡している。

 この事件の妙な所は、殺しを行った後、わざわざ遺体を移動させて川に投げ捨て、放置している点だ。金やキャッシュカードなどには一切手が付けられていないから、金目的ではないね」

 ああ、と来世は頷いた。

 それはニュースでも報じられていた情報だ。夕京街の中央を縦断する形で流れる夕京川は、三本の支流が合流して海へ流れる川である。女性の遺体は、夕京川へ遺棄されていたが、男性三人の遺体は、夕京街の郊外にある三本の支流にそれぞれ放置された状態で発見されている。

「……殺し方が妙だな。宗教、もしくは黒魔術のようなものを信仰する奴の犯行か?」

「恐らくな。何かの儀式としてやってんだろってのが、うちらの見解。とんだサイコ野郎どもの夜会だよ。被害者に共通点も見られない以上、殺しのターゲットはランダムで選ばれたとみるべきだろう。犯行はこれで終わりなのか、続きがあるのか……とんと分からない。

 というのもだ、殺しを実行した犯人どもは残らずお陀仏したんだよ。スマホや身分証といったものもなし。現在、死んだ奴らの身元を洗っているところだが、あんまり期待はせんでくれ。さっきお陀仏といったろ? あいつらはな、犯行に使ったミニバンごとガソリンをまいて焼死したんだ」

 来世は、どんどん自らに近寄ってくる里香を引きはがし、問うた。

「なるほどな。徹底した証拠隠滅。――で、お前ら警察は捜査に苦労しているってわけだ」

「まーね。そも、最近はこの街物騒だろう。幼女誘拐事件とか、通り魔殺人とか。地方都市だから人手が足りてなくてね。そんなに犯罪者どもがハッスルしちゃうと、俺たちも首が回らねえのよ。

猫の手も借りたいってことで、よろしくね来世君。君に依頼したいのは、犯人どもの特定、および新たな犯行の阻止。――阻止するためなら手段は問わないよ」

 感情が欠落した冷たい目と氷の微笑。それが、氷室の表情を構築していた。

 来世は、氷室の胸倉を掴む。

「俺は、殺しはしない。前にもそういったはずだ」

「怖いなー。別に殺せとは言ってないよ。ま、殺してくれても構わないけど。世の中は人が多すぎる。そんな世界に余分な存在はいらない。……ま、つまりさ、犯罪者は、手っ取り早く消したほうが良いと思うんだよね」

「……お前が汚職刑事な理由を垣間見た気がしたよ」

 押し殺したような笑い声が、室内に響く。氷室はひとしきり笑うと、来世の手をどかし、満足そうに事務所を去っていった。

「チィ。里香、塩撒いとけ」

「いや、悪霊じゃないんですけど……」

 構うものか、と不満げな魔眼屋の主は、台所から『お徳用 海の恵み』と書かれた塩を取り出すと、里香の手に押し付け、自身のデスクに向かった。

「あの、来世さん。今回の依頼はどうするんですか?」

「あ? ああ。まずは情報収集だな。といっても、犯人がまた動き出して被害者が出るかもしれん。悠長にやっている暇はないから、二手に分けて対応するぞ。俺は氷室から共有された情報に目を通しておく」

 えー、と里香の不満げな声。来世の助手をやってそれなりの期間が経過した。だからであろう、この流れは、来世は涼しい事務所でデスクワーク、里香は外で汗水流してのデスロード(調査)になると助手は当たりがついている。

「もうー私、また外で聞き込みですか? 運動は得意ですけど、来世さんばっかりずるいですよ」

「うるさい。じゃあ、デスクワークができるのか?」

「で、できません。苦手です……」

「フン、お前の取り柄は体力だけなんだから上手に活かせ。後で幸子も向かわせる」

 幸子とは、邪破教事件で魔眼屋の従業員となった女の子だ。見た目は小さな女の子だが、実際は幸ノ神と呼ばれる邪破教の神でもある。

 そういえば、朝から姿が見えないな、と里香は首を傾げた。

「ん? ああ。幸子には、買い物を頼んでおいたんだ。アイツが買い物に行くと、店員が可愛がっておまけをつけてくれるんでね。しょうもないクーポンよりよっぽどお得だ」

「せっこ。来世さん、かなりお金を稼いでるくせに大阪のオバちゃんみたいなとこありますよね」

 来世は椅子から立ち上がり、里香の頭を手でグワングワンと回した。

「め、目が回りますー」

「うるさい。金があるからってバカスカ使うと、いざという時に困るだろうが。ともかく働け。お前は、俺の助手なんだろうが」

 パッと里香は弾けるように笑った。が、すぐに俯き、両手で顔を隠した。

「あ? なんだ」

「わー、わー。乙女の秘密は覗き込まない。常識ですよ」

 どんな常識だ、と言いたげに来世は肩をすくめる。

 里香は顔を隠したまま、逃げるように「行ってきます」とだけ告げて、事務所を出て行った。

 疲れたように来世はため息を吐き、デスクに戻る。

 最近新調したばかりのデスクトップパソコンの電源を入れ、茶封筒の封を開けると、逆さまにして振った。

 分厚いお札と一緒に、黒いUSBメモリが落ちてくる。

 来世は、USBポートにメモリを差し込み、慣れた手つきで中のファイルを閲覧していく。中身は、捜査資料と事件現場の写真、それと監視カメラの映像データだ。

 クリック音が二回鳴る。すると、4Kにも対応したモニターには相応しくない、酷く解像度の悪い映像が映し出された。

 来世は、眉間に皺を寄せてそれを眺める。事務所の外では、必死に命を紡ごうとセミが鳴いている。だが、画面に映る登場人物たちには、明日がないらしい。惨たらしく殺され、物を運ぶような雑さでミニバンに積まれどこかへと連れ去られていく。

「こんな映像、お前には見せられんな」

 独り言に答える声はない。

 外ではまだ蝉がせわしなく鳴いている。だが、何者かに襲われたように断末魔を上げ、辺りはひっそりと静まり返った。

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