第89話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い㉗

文字数 1,185文字

 創太は、自動ドアをくぐり抜けると、近くにいる店員に声をかけた。

 あらかじめ話を聞かされていたのだろう。店員はすぐにレジ奥にある個室に創太を案内した。

「すぐ担当者が参りますので」

「う、うす」

 椅子に座り、そわそわとしていると、店員の言う通りすぐにドアが開き、見慣れた顔が現れた。

「元気か、創太よ」

 しわがれ声は、創太の記憶にある声と寸分たがわず。それだけに、高校を辞めた時の情けなさが胸に蘇る。

「お、お久しぶりです」

「ほ、慣れんことを。お前が敬語を話すなんぞ虫唾が走る」

 武藤の浅黒く皺の刻まれた顔は、蛍光灯の下だとより黒く見える。そのことを意識すると、少しだけ創太の気持ちが軽くなった。

「お前、高校を辞めてどうしてた? ろくな噂しか聞かんかったから心配したぞ」

「や、あんまり良い生活ではねえかな」

「噂通りってところか。全く、俺を見習え。店の中を見たろう? あんまり広い店じゃないが、それなりの品ぞろえで評判良いんだぞ」

「そ、そうだな。うん」

 正直な話、創太は緊張で店内の様子など見る余裕はなかった。

 武藤は、ニタニタとした顔でタバコに火をつけた。

「お、おい。面接じゃねえのかよ」

「へ、どうせお前じゃまともな面接にはならんって。ほら、吸うか? あん頃は立場上怒鳴ってたが、今なら堂々と吸っても問題ない。俺が許そう。この店の責任者がな」

 創太は、武藤から差し出されたタバコを手に取り、借りたライターで火を灯す。燃ゆるタバコの先から、緩やかに紫煙が立ち上り、あっという間に室内は煙で満杯になった。

 この光景は既視感がある。夕暮れ時の赤い光が斜に窓から差し込み、部室で仲間たちとタバコを吸っていた時、どこで察知したのか武藤がやってきて怒鳴り散らす。

 しばらく聞かないふりをしていると、平手が飛んできて、大喧嘩になる。汗臭い部室で、タバコの臭いをまき散らして、本当に何をやっていたのだろう。

「あ?」

 創太の視界がぼやける。輪郭がぼやけた武藤が、灰皿にタバコを押し付けニッコリと笑った。

「泣いてんのか?」

「あ、泣いてねえよ。これは、煙のせいだ」

「そうか。じゃあ、俺も煙のせいだわな」

 武藤の目から涙が零れる。創太は、声にならず下を向いた。

「何でも良いから話せや。店の方は、優秀なスタッフがいるから大丈夫だ。ゆっくり聞いてやる」

「……ああ、分かった。俺さ」

 時間を埋めるように、創太は語りだす。映画の主人公みたいなカッコ良くはない人生の軌跡を。だが、武藤は黙って話を聞く。時々、「相変わらずお前の説明は聞きにくい」と愚痴りながら。

 ダサくて情けなくて、話すたびに赤面する想いだったが、不思議なことに言葉を吐き出すほど気持ちが軽くなる。

(ちぇ)

 あのいけ好かないが恩人の魔眼屋店主に乗せられたようで、気に食わないが、何となく帰ったら「ありがとう」と伝えたい。創太はそんな気分になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み