第43話 ケース2 死神の足音⑲
文字数 1,650文字
怨霊の少女は口を開き、何かを発しようとした。しかし、
「あ、うう」
言葉にはならず、より苦悶の色を深め、口をつぐんでしまう。
「ぬう、浄霊は無理か。だったら、強制的に祓うしかないな」
来世はジャケットの懐から細長い物体を取り出した。それは、縄でぐるぐるに巻かれ、護符が貼られている例のものだ。
来世は、護符と縄を取り除き、少女を見据える。封印から解き放たれたものは、木製の柄と二尺――約六十センチメートル――の刃を持つ小太刀だった。
小太刀の刀身は、時間の経過に合わせてユラリと紫色の光を宿し、妖しく夜の闇を追い払う。
「……悪く、思うな」
来世はわずかに顔を歪めると、刃を少女の背中に突き刺す。空気を切るようなあっけなさだった。
刀身に宿る紫の光が、少女の身体を瞬く間に包み、浄化の炎と化す。だが、少女は首を振った。
「ふ、じゅう、ぶんよ」
少女が袖を振るうと炎は消え失せ、背中に貼ってあった札を素手で剥がす。
「ありえない……二重結界のうえ、特製の札と世送りの小太刀を使ったんだぞ。通用、しないのか」
岩崎は、茫然と一連の流れを眺めていた。理解はできない。が、自分がとても危険な状況だということは理解できた。
「岩崎ぃぃ! 逃げろ。クソ、黄泉路報せの魔眼が」
来世が叫んでいる。彼の目は真っ白に輝き、岩崎に警告している。
――ああ、もう、紫やら白やらせわしないな。
他人事のように、岩崎はつぶやく。
緩やかに歩みを進めた少女は悲しそうに眼を細め、岩崎の肩を叩いた。
世界が急速に遠のいていく。
全身の力が抜け、白い雪が彩る夜空が目に飛び込んできた。
――ああ、冷たい。これが死、なのかな?
瞼が重い。
岩崎は、逆らわずゆっくりと目を閉じた。
――リン、リン、リン。
澄んだ鈴の音が聞こえる。その音色は遠雷のように、遠方から気持ちよく鼓膜を揺らした。
※
雲一つない青空から柔らかな朝日が降り注ぐ。
往来には、にこやかに挨拶を交わす人々が歩き、塀には呑気に欠伸をする野良猫が尻尾をゆらりと垂らしている。
昨夜の身を切るような寒さが、まるで嘘のようだ。
祝日ということもあってか、のんびりとした様子の人が多い中を、ピンクジャージ姿の里香が駆け抜けていく。
向かう先は、健日総合病院。夕京街の中で最も大きな病院だ。
綺麗に磨かれた曇りない自動ドアをくぐり、里香は院内に視線をぐるりと向けた。
一階から五階まで吹き抜けになっているエントランスは、自身が小人になってしまったように広々としている。
里香は、来世の姿を求めていた。
看護婦、老人、具合の悪そうな子供。やはり、人が多すぎて検討もつかない。
ふと、目の前を通り過ぎた看護婦に声をかけようとした時、里香は正面奥のソファに座る来世の姿を発見した。
「来世さん、大丈夫ですか? 岩崎さんはどうなったんです?」
里香は駆け寄るなり、そう声をかける。しかし、来世の視線はうつろで、普段の鋭い眼光は鳴りを潜めていた。
「ちょっと、言われた通り来ましたよ。ねえってば」
激しく来世の肩を揺さぶる。と、ようやく気付いた様子の来世は、「よう」と小さく返事をした。
里香は、胸が詰まるような想いに襲われる。
来世の服装は昨日と同じ、グレーのミリタリージャケットに、カーキのカーゴパンツ姿だ。やや薄汚れていて、彼のセミロングの髪は飛び跳ねている。清潔さにうるさい来世らしからぬ風貌だ。
「……岩崎は、ひとまず助かった。崎森は言うには、お守りの効力が不完全ながら発揮されているおかげだと。だが、いつまで持つか分からん。意識不明、徐々に衰弱していると、医師は説明していたな」
「そんなどうしてそんなことに? 準備は完全ではなかったけど、どうにかなるって話だったじゃないですか」
返事がない。里香は、「ねえ、教えてくださいよ」と言った。
「うるさい!」
ぴしゃり、と身を打つような大声に、エントランスの人々はわずかに動きを止め、来世に注目する。
「……すまん。怒鳴るつもりはなかった、悪かった」
「あ、うう」
言葉にはならず、より苦悶の色を深め、口をつぐんでしまう。
「ぬう、浄霊は無理か。だったら、強制的に祓うしかないな」
来世はジャケットの懐から細長い物体を取り出した。それは、縄でぐるぐるに巻かれ、護符が貼られている例のものだ。
来世は、護符と縄を取り除き、少女を見据える。封印から解き放たれたものは、木製の柄と二尺――約六十センチメートル――の刃を持つ小太刀だった。
小太刀の刀身は、時間の経過に合わせてユラリと紫色の光を宿し、妖しく夜の闇を追い払う。
「……悪く、思うな」
来世はわずかに顔を歪めると、刃を少女の背中に突き刺す。空気を切るようなあっけなさだった。
刀身に宿る紫の光が、少女の身体を瞬く間に包み、浄化の炎と化す。だが、少女は首を振った。
「ふ、じゅう、ぶんよ」
少女が袖を振るうと炎は消え失せ、背中に貼ってあった札を素手で剥がす。
「ありえない……二重結界のうえ、特製の札と世送りの小太刀を使ったんだぞ。通用、しないのか」
岩崎は、茫然と一連の流れを眺めていた。理解はできない。が、自分がとても危険な状況だということは理解できた。
「岩崎ぃぃ! 逃げろ。クソ、黄泉路報せの魔眼が」
来世が叫んでいる。彼の目は真っ白に輝き、岩崎に警告している。
――ああ、もう、紫やら白やらせわしないな。
他人事のように、岩崎はつぶやく。
緩やかに歩みを進めた少女は悲しそうに眼を細め、岩崎の肩を叩いた。
世界が急速に遠のいていく。
全身の力が抜け、白い雪が彩る夜空が目に飛び込んできた。
――ああ、冷たい。これが死、なのかな?
瞼が重い。
岩崎は、逆らわずゆっくりと目を閉じた。
――リン、リン、リン。
澄んだ鈴の音が聞こえる。その音色は遠雷のように、遠方から気持ちよく鼓膜を揺らした。
※
雲一つない青空から柔らかな朝日が降り注ぐ。
往来には、にこやかに挨拶を交わす人々が歩き、塀には呑気に欠伸をする野良猫が尻尾をゆらりと垂らしている。
昨夜の身を切るような寒さが、まるで嘘のようだ。
祝日ということもあってか、のんびりとした様子の人が多い中を、ピンクジャージ姿の里香が駆け抜けていく。
向かう先は、健日総合病院。夕京街の中で最も大きな病院だ。
綺麗に磨かれた曇りない自動ドアをくぐり、里香は院内に視線をぐるりと向けた。
一階から五階まで吹き抜けになっているエントランスは、自身が小人になってしまったように広々としている。
里香は、来世の姿を求めていた。
看護婦、老人、具合の悪そうな子供。やはり、人が多すぎて検討もつかない。
ふと、目の前を通り過ぎた看護婦に声をかけようとした時、里香は正面奥のソファに座る来世の姿を発見した。
「来世さん、大丈夫ですか? 岩崎さんはどうなったんです?」
里香は駆け寄るなり、そう声をかける。しかし、来世の視線はうつろで、普段の鋭い眼光は鳴りを潜めていた。
「ちょっと、言われた通り来ましたよ。ねえってば」
激しく来世の肩を揺さぶる。と、ようやく気付いた様子の来世は、「よう」と小さく返事をした。
里香は、胸が詰まるような想いに襲われる。
来世の服装は昨日と同じ、グレーのミリタリージャケットに、カーキのカーゴパンツ姿だ。やや薄汚れていて、彼のセミロングの髪は飛び跳ねている。清潔さにうるさい来世らしからぬ風貌だ。
「……岩崎は、ひとまず助かった。崎森は言うには、お守りの効力が不完全ながら発揮されているおかげだと。だが、いつまで持つか分からん。意識不明、徐々に衰弱していると、医師は説明していたな」
「そんなどうしてそんなことに? 準備は完全ではなかったけど、どうにかなるって話だったじゃないですか」
返事がない。里香は、「ねえ、教えてくださいよ」と言った。
「うるさい!」
ぴしゃり、と身を打つような大声に、エントランスの人々はわずかに動きを止め、来世に注目する。
「……すまん。怒鳴るつもりはなかった、悪かった」