第106話 ケース4 姿見えぬ殺人鬼⑭
文字数 4,322文字
「ら、来世さん」
「どうしました? 手が止まってますよ」
「い、いえ。何でも。え? どうして」
瞳は、咄嗟に手に持った包丁を投げ捨て、涙を流した。
来世は、手で山内に離れるように指示し、室内へと足を踏み入れる。
「こ、来ないで」
「……瞳さん、やはりあなたが犯人でしたね」
「ち、違うの」
首を激しく振り、瞳は吐き気をこらえるように口を手で覆った。
「どうして? あなた達は……」
「睡眠薬で寝ていないの、ですか? あなたが犯人だと疑った私は、常にあなたと行動を共にするように里香へ命じました。そして、あなたが睡眠薬らしきものを飲み物へ入れたことを確認した里香は、その飲み物を飲むふりをして捨て、それを私に知らせました。よくやった里香」
来世の背後には里香が控えており、目に涙を湛えながら立ち尽くしていた。
瞳は茫然と眺め、ギュッと唇をかみしめる。
「思えば妙でした。私は自慢じゃありませんが、どれほど疲れていてもすぐに目が覚める。しかし、木村さんが殺された時、俺は二時間眠るつもりが三時間眠ってしまった。
もちろん、私だって人間ですから、そう不思議なことではありません。しかし、西城さんが殺された時に迎えた朝も違和感がありました。体は重く、頭が上手く働かないような感覚。里香にも確認すると、彼女も体に違和感があったようです。もし、この違和感が自然現象ではなかったなら、と仮定した場合、一つ思い当たる節がありました」
来世は、キッチンへと近づきシンクに置かれたカップを手に取った。
「あなたは、俺たちによく飲み物を提供してくれました。もし、その飲み物に睡眠薬が混入されていたならば合点がいく。私が、寝過ごしてしまったのは睡眠薬によるもの。そして、体の重さは、睡眠薬が完全には切れていないことからくる体調不良です。……さて、では本題に入りましょう。なぜあなたは睡眠薬を盛らなければならなかったのか?」
来世は、懐から手帳を取り出した。
「理由は容易に想像できます。殺人の現場を万が一にも目撃されたら困るから。そうですね?」
「そ、それは」
「ここに来て隠すのはよしましょう。私が最も違和感を覚えたのは、二度目の殺人の時です。明らかにあの事件は、一度目の殺人とは何もかもが異なる。
――そう、一度目の殺人に比べて、二度目の殺人はスマートだ。丁寧に隠蔽工作がされているのだから」
瞳は、視線を来世から逸らす。しかし、彼は瞳に歩み寄ると、彼女の細い顎を手で掴み、強引に視線を交わさせた。
「筋書きはこうだ。あなたは西城を色香で油断させて室内へと入り、リビングで殺害。そのあと、犯人が窓ガラスを割って侵入し、ベッドの上で西城を殺した……とそのように見えるよう細工した」
瞳の表情が固まる。
「第一の殺人があった後で、ふつう室内へ外部の人間を招くはずがない。だが、絶世の美女で、仕事柄男を扱うことに慣れているあなたならば話は別だ。そこの山内のように女好きの西城ならば、あなたを喜んで出迎えただろう。なあ、あんたもそう思うだろ」
来世は、山内を冷ややかな目で眺めた。
「あ、何だよ? 急に人が変わったみたいになりやがって」
「黙れ。俺はな、お前のようなタイプが嫌いなんだ。正直、瞳さんがお前を殺そうとしているのを止めるのはよそうと思った。だが、やめた。瞳さん、俺はあなたにこれ以上の罪を重ねてほしくないからだ」
来世と瞳の視線が、鍔迫り合いのようにせめぎ合う。……けれども、徐々に瞳の目は揺れ動き、ついにはがっくりと項垂れた。
「……教えてください。どうして、分かったの? リビングで殺したって確証はどこから」
「確証……と呼べるものではなかったが、俺はリビングの床にあった傷が気になった」
「はあ? 傷が何だって?」
山内が舌を出し、鼻で笑う。来世は目で睨みを利かせて黙らせると、スマホを取り出し、ある画像を表示させた。
「この画像のここを見てくれ」
「……これは」
瞳が息を呑む。
「察したようだな。そう、これは割れた酒瓶の破片だ。恐らく西城が刺された時に、はずみで割れたんだ。
あんたは西城がリビングではなく、部屋で殺されたように見せかけたかった。だから、リビングに飛び散っていたであろう血と一緒に、酒瓶の破片も片付けたんだろう」
「ま、待ってください。どうしてわざわざそんな手間をかけたんです? 別にリビングで死んだままでも問題ないんじゃ?」
里香が小首をかしげる。
「容疑者を女性に絞らせないためだ。殺人があった場所で過ごすなら、誰しも窓やドアに鍵くらいはかけるだろう。当然、室内に入って殺すには窓を割ったり、ドアをピッキングしたりする必要がある。だが、そうした場合、窓の割れた音やピッキングの音で西城に気付かれ、抵抗されてしまうかもしれない。
リスクなく西城を殺すには、あのオヤジを油断させるのが一番だ。西城が女好きであることは木村の件で知っていただろうし、瞳さんならば多少怪しくても油断してくれる可能性が高い。だが」
「なーるほど。その方法で殺すとなると、オッサンを色香で騙して室内に入り殺した、と誰かが推理する可能性がある。それが怖くて、俺の瞳は隠蔽工作をしたってわけか」
ポン、と山内は手を叩く。来世は、わざとらしく舌打ちをしてから続きを引き取った。
「もちろん、リビングで遺体を放置したからといって、それだけでそのように推理されるとは断言できないだろう。だが、慎重な瞳さんは、万が一の可能性さえも排除したかったんだ。
西城をかなり苦労して部屋に運び、リビングの血と酒瓶の欠片を片付け、……そうだな、恐らく血に濡れた体をキッチンで丁寧に洗い、それから窓を割った。その時の音は、吉川さんも聞いている。こうしておけば、侵入方法の荒々しさから男性が犯人だと思われるかもしれない。だが、瞳さん。あなたは焦っていた。それが裏目に出たんだ」
一度言葉を切り、来世は手帳とスマホを懐にしまう。
「破片を完全には掃除しきることができずに残してしまった。傷跡の真新しさと掃除をしても簡単には拭えない酒の臭い、そして残された破片が、酒瓶が落ちた時にできた傷だと俺に気付かせてしまった。
恐らく破片にはかなりの血が付着していたのだろう。部屋で殺されたように見せかけるには、破片と血をリビングに一切残してはならなかった。だが、あなたは焦った。焦った要因は三つ。
一つは、酒瓶の割れた音によって人が集まってくることを危惧したからだ。実際、吉川さんは何かが割れた音を二度聞こえた、と証言してくれた。彼女は身の危険を冒してまで助けに行かなかったから、現場にはいなかったわけだが、その危惧は正しかった。
二つ目。これは俺たちが決めたルールを守るためだ。俺たちは、三時間おきに目を覚まし、交代で見張りをしていた。睡眠薬を使ったため、途中で起きる心配はないが、あまりにも時間がかかりすぎると、「どうして起こさなかったのか」と俺と里香に疑惑を持たれてしまう。だから、三時間以内に隠蔽工作を完了させなければならなかった」
来世は、瞳の手を掴んでゆっくりと立たせると、椅子に座らせた。
左右に視線を惑わせる瞳の肩に手を置いた来世は、はっきりと断言する。
「そして、三つ目。あなたは殺人を犯したのが初めてだったから動揺していた」
「な!」
「え!」
山内と里香が驚愕する。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。オッサンをやったのがこいつなら、木村をやったのもこいつだろう」
「違う」
山内の言葉を、来世は真っ向から否定した。
「この事件は瞳さんが単独で行ったものではない。恐らく、瞳さん。あなたは誰かに脅されてこんなことをしてしまったのでは?」
来世には確信があった。
言の葉の魔眼で、瞳がいた場所を読み取ると、辛い、怖い、といった残留思念が残っていた。だが、「人、美味しい」という猟奇的な思念は読み取れない。
西城の現場で魔眼を発動させても、その残留思念は読み取れなかった。
木村の部屋で感じた思念は、濃厚で背筋が凍る狂気を感じた。
もし、第一と第二の殺人が同一犯であるならば、たとえ殺害方法が異なっていても、そのような思念は残る。来世は、そう考えていた。
「……私が脅されてるって信じているんですか?」
「はい。あなたのことを俺はほとんど知らない。だが、時折見せる優しい笑顔や気遣い。あれが偽物だったとは思えない。
俺は、あなたを信じる。確信しているんです。だから、答えてください。誰に脅されたんです? どうして俺を雇ったんですか?」
来世の瞳には、強い光が宿っている。その光は、信頼という名があった。
瞳は眩しそうに目を細めた。
これまで数多くの男達に抱かれてきた。仕事の内容上、仕方がないとはいえ、男たちの目には色欲にまみれた色ばかりが宿り、その目を見るたびに瞳の心は疲労し、くたびれていった。
――あの人達とは違う。来世さんの瞳はなんて素敵なんだろう、と瞳は思う。
胸がときめくのを感じる。不謹慎だ、でも不思議だ。人を殺しておいて、こんな状況で胸が高鳴っている。
(ああ、私はこんな瞳をしている人と出会いたかった)
瞳の目から熱い涙が零れる。
「あ、ありがとうございます。嬉しい。本当に嬉しい。じ、実は」
瞳は決心した。この胸の内にドロドロに溜まった苦しいものを、全て吐き出してしまおうと。――だが、それが彼女の死を確定させた。
「え?」
何かが爆ぜる音が鳴り、瞳の口から血が流れた。初めは一筋の血だったが、やがて洪水のように夥しい血が流れて止まらない。
絶叫する誰かの声が聞こえる。
瞳は、腹部に痛みを感じて手をその場所に置く。確かに置いたはずなのに、何もない。
ギョッとして、視線を向けてみると、腹部に大きな穴が開いている。
「あ、ああ」
「瞳さん。しっかりするんだ。おい」
来世が、真摯な表情で叫んでいる。
痛みは凄まじかったが、徐々に意識が遠のいていき、それにつれて痛みが薄れていく。
心に感じるは、「やっぱり」という諦めと「残念だ」という強い気持ち。
瞳は、来世の頬に手を置く。彼はその手を強く握り返してくれた。
意識は遠のくが、来世の手だけは自分以上に強い存在感を放っている。
(残念だな。こんな人と恋に落ちて、結婚して、家庭を築きたかったのに。――ままならない人生だったな。ああ、せめてこの気持ちだけでも)
瞳は口を開く。だが、喉からは息が吐きだされるだけで言葉にならなかった。
瞳は、悔しそうに顔を歪めた後、長く息を吐き、目を閉じた。
「おい」
来世が揺り動かしても反応はない。
「まさか、来世さん」
「……くそ」
瞳は、深紅に沈みながらあの世へと旅立った。
「どうしました? 手が止まってますよ」
「い、いえ。何でも。え? どうして」
瞳は、咄嗟に手に持った包丁を投げ捨て、涙を流した。
来世は、手で山内に離れるように指示し、室内へと足を踏み入れる。
「こ、来ないで」
「……瞳さん、やはりあなたが犯人でしたね」
「ち、違うの」
首を激しく振り、瞳は吐き気をこらえるように口を手で覆った。
「どうして? あなた達は……」
「睡眠薬で寝ていないの、ですか? あなたが犯人だと疑った私は、常にあなたと行動を共にするように里香へ命じました。そして、あなたが睡眠薬らしきものを飲み物へ入れたことを確認した里香は、その飲み物を飲むふりをして捨て、それを私に知らせました。よくやった里香」
来世の背後には里香が控えており、目に涙を湛えながら立ち尽くしていた。
瞳は茫然と眺め、ギュッと唇をかみしめる。
「思えば妙でした。私は自慢じゃありませんが、どれほど疲れていてもすぐに目が覚める。しかし、木村さんが殺された時、俺は二時間眠るつもりが三時間眠ってしまった。
もちろん、私だって人間ですから、そう不思議なことではありません。しかし、西城さんが殺された時に迎えた朝も違和感がありました。体は重く、頭が上手く働かないような感覚。里香にも確認すると、彼女も体に違和感があったようです。もし、この違和感が自然現象ではなかったなら、と仮定した場合、一つ思い当たる節がありました」
来世は、キッチンへと近づきシンクに置かれたカップを手に取った。
「あなたは、俺たちによく飲み物を提供してくれました。もし、その飲み物に睡眠薬が混入されていたならば合点がいく。私が、寝過ごしてしまったのは睡眠薬によるもの。そして、体の重さは、睡眠薬が完全には切れていないことからくる体調不良です。……さて、では本題に入りましょう。なぜあなたは睡眠薬を盛らなければならなかったのか?」
来世は、懐から手帳を取り出した。
「理由は容易に想像できます。殺人の現場を万が一にも目撃されたら困るから。そうですね?」
「そ、それは」
「ここに来て隠すのはよしましょう。私が最も違和感を覚えたのは、二度目の殺人の時です。明らかにあの事件は、一度目の殺人とは何もかもが異なる。
――そう、一度目の殺人に比べて、二度目の殺人はスマートだ。丁寧に隠蔽工作がされているのだから」
瞳は、視線を来世から逸らす。しかし、彼は瞳に歩み寄ると、彼女の細い顎を手で掴み、強引に視線を交わさせた。
「筋書きはこうだ。あなたは西城を色香で油断させて室内へと入り、リビングで殺害。そのあと、犯人が窓ガラスを割って侵入し、ベッドの上で西城を殺した……とそのように見えるよう細工した」
瞳の表情が固まる。
「第一の殺人があった後で、ふつう室内へ外部の人間を招くはずがない。だが、絶世の美女で、仕事柄男を扱うことに慣れているあなたならば話は別だ。そこの山内のように女好きの西城ならば、あなたを喜んで出迎えただろう。なあ、あんたもそう思うだろ」
来世は、山内を冷ややかな目で眺めた。
「あ、何だよ? 急に人が変わったみたいになりやがって」
「黙れ。俺はな、お前のようなタイプが嫌いなんだ。正直、瞳さんがお前を殺そうとしているのを止めるのはよそうと思った。だが、やめた。瞳さん、俺はあなたにこれ以上の罪を重ねてほしくないからだ」
来世と瞳の視線が、鍔迫り合いのようにせめぎ合う。……けれども、徐々に瞳の目は揺れ動き、ついにはがっくりと項垂れた。
「……教えてください。どうして、分かったの? リビングで殺したって確証はどこから」
「確証……と呼べるものではなかったが、俺はリビングの床にあった傷が気になった」
「はあ? 傷が何だって?」
山内が舌を出し、鼻で笑う。来世は目で睨みを利かせて黙らせると、スマホを取り出し、ある画像を表示させた。
「この画像のここを見てくれ」
「……これは」
瞳が息を呑む。
「察したようだな。そう、これは割れた酒瓶の破片だ。恐らく西城が刺された時に、はずみで割れたんだ。
あんたは西城がリビングではなく、部屋で殺されたように見せかけたかった。だから、リビングに飛び散っていたであろう血と一緒に、酒瓶の破片も片付けたんだろう」
「ま、待ってください。どうしてわざわざそんな手間をかけたんです? 別にリビングで死んだままでも問題ないんじゃ?」
里香が小首をかしげる。
「容疑者を女性に絞らせないためだ。殺人があった場所で過ごすなら、誰しも窓やドアに鍵くらいはかけるだろう。当然、室内に入って殺すには窓を割ったり、ドアをピッキングしたりする必要がある。だが、そうした場合、窓の割れた音やピッキングの音で西城に気付かれ、抵抗されてしまうかもしれない。
リスクなく西城を殺すには、あのオヤジを油断させるのが一番だ。西城が女好きであることは木村の件で知っていただろうし、瞳さんならば多少怪しくても油断してくれる可能性が高い。だが」
「なーるほど。その方法で殺すとなると、オッサンを色香で騙して室内に入り殺した、と誰かが推理する可能性がある。それが怖くて、俺の瞳は隠蔽工作をしたってわけか」
ポン、と山内は手を叩く。来世は、わざとらしく舌打ちをしてから続きを引き取った。
「もちろん、リビングで遺体を放置したからといって、それだけでそのように推理されるとは断言できないだろう。だが、慎重な瞳さんは、万が一の可能性さえも排除したかったんだ。
西城をかなり苦労して部屋に運び、リビングの血と酒瓶の欠片を片付け、……そうだな、恐らく血に濡れた体をキッチンで丁寧に洗い、それから窓を割った。その時の音は、吉川さんも聞いている。こうしておけば、侵入方法の荒々しさから男性が犯人だと思われるかもしれない。だが、瞳さん。あなたは焦っていた。それが裏目に出たんだ」
一度言葉を切り、来世は手帳とスマホを懐にしまう。
「破片を完全には掃除しきることができずに残してしまった。傷跡の真新しさと掃除をしても簡単には拭えない酒の臭い、そして残された破片が、酒瓶が落ちた時にできた傷だと俺に気付かせてしまった。
恐らく破片にはかなりの血が付着していたのだろう。部屋で殺されたように見せかけるには、破片と血をリビングに一切残してはならなかった。だが、あなたは焦った。焦った要因は三つ。
一つは、酒瓶の割れた音によって人が集まってくることを危惧したからだ。実際、吉川さんは何かが割れた音を二度聞こえた、と証言してくれた。彼女は身の危険を冒してまで助けに行かなかったから、現場にはいなかったわけだが、その危惧は正しかった。
二つ目。これは俺たちが決めたルールを守るためだ。俺たちは、三時間おきに目を覚まし、交代で見張りをしていた。睡眠薬を使ったため、途中で起きる心配はないが、あまりにも時間がかかりすぎると、「どうして起こさなかったのか」と俺と里香に疑惑を持たれてしまう。だから、三時間以内に隠蔽工作を完了させなければならなかった」
来世は、瞳の手を掴んでゆっくりと立たせると、椅子に座らせた。
左右に視線を惑わせる瞳の肩に手を置いた来世は、はっきりと断言する。
「そして、三つ目。あなたは殺人を犯したのが初めてだったから動揺していた」
「な!」
「え!」
山内と里香が驚愕する。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。オッサンをやったのがこいつなら、木村をやったのもこいつだろう」
「違う」
山内の言葉を、来世は真っ向から否定した。
「この事件は瞳さんが単独で行ったものではない。恐らく、瞳さん。あなたは誰かに脅されてこんなことをしてしまったのでは?」
来世には確信があった。
言の葉の魔眼で、瞳がいた場所を読み取ると、辛い、怖い、といった残留思念が残っていた。だが、「人、美味しい」という猟奇的な思念は読み取れない。
西城の現場で魔眼を発動させても、その残留思念は読み取れなかった。
木村の部屋で感じた思念は、濃厚で背筋が凍る狂気を感じた。
もし、第一と第二の殺人が同一犯であるならば、たとえ殺害方法が異なっていても、そのような思念は残る。来世は、そう考えていた。
「……私が脅されてるって信じているんですか?」
「はい。あなたのことを俺はほとんど知らない。だが、時折見せる優しい笑顔や気遣い。あれが偽物だったとは思えない。
俺は、あなたを信じる。確信しているんです。だから、答えてください。誰に脅されたんです? どうして俺を雇ったんですか?」
来世の瞳には、強い光が宿っている。その光は、信頼という名があった。
瞳は眩しそうに目を細めた。
これまで数多くの男達に抱かれてきた。仕事の内容上、仕方がないとはいえ、男たちの目には色欲にまみれた色ばかりが宿り、その目を見るたびに瞳の心は疲労し、くたびれていった。
――あの人達とは違う。来世さんの瞳はなんて素敵なんだろう、と瞳は思う。
胸がときめくのを感じる。不謹慎だ、でも不思議だ。人を殺しておいて、こんな状況で胸が高鳴っている。
(ああ、私はこんな瞳をしている人と出会いたかった)
瞳の目から熱い涙が零れる。
「あ、ありがとうございます。嬉しい。本当に嬉しい。じ、実は」
瞳は決心した。この胸の内にドロドロに溜まった苦しいものを、全て吐き出してしまおうと。――だが、それが彼女の死を確定させた。
「え?」
何かが爆ぜる音が鳴り、瞳の口から血が流れた。初めは一筋の血だったが、やがて洪水のように夥しい血が流れて止まらない。
絶叫する誰かの声が聞こえる。
瞳は、腹部に痛みを感じて手をその場所に置く。確かに置いたはずなのに、何もない。
ギョッとして、視線を向けてみると、腹部に大きな穴が開いている。
「あ、ああ」
「瞳さん。しっかりするんだ。おい」
来世が、真摯な表情で叫んでいる。
痛みは凄まじかったが、徐々に意識が遠のいていき、それにつれて痛みが薄れていく。
心に感じるは、「やっぱり」という諦めと「残念だ」という強い気持ち。
瞳は、来世の頬に手を置く。彼はその手を強く握り返してくれた。
意識は遠のくが、来世の手だけは自分以上に強い存在感を放っている。
(残念だな。こんな人と恋に落ちて、結婚して、家庭を築きたかったのに。――ままならない人生だったな。ああ、せめてこの気持ちだけでも)
瞳は口を開く。だが、喉からは息が吐きだされるだけで言葉にならなかった。
瞳は、悔しそうに顔を歪めた後、長く息を吐き、目を閉じた。
「おい」
来世が揺り動かしても反応はない。
「まさか、来世さん」
「……くそ」
瞳は、深紅に沈みながらあの世へと旅立った。