第76話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い⑭
文字数 1,414文字
病室から廊下へ、廊下から階段へしだれが移動したところで来世は、彼を捕まえた。
「おい、どうして逃げる? 会いたかった人なんだろう」
しだれは、決まりが悪そうに肩をすくめた。
「いや、そうなんじゃが。実際、人間として会うと、上手く言葉が出てこんもんじゃ。……それに」
「彼女の体が芳しくないのが気になったのか?」
しだれは深く頷いた。
「……何となくじゃが、可能性としては考えておった。天気が悪い日を除けば毎日来ておったのに、急に来なくなったのは、どこか体を悪くしたからではと。……外れててほしかった予想じゃ。別に引っ越しでもして、元気に暮らしておるなら良かったのだ。な、なあ、怖い小僧よ。彼女の体はどんな具合なのじゃ? しばらく横になっとけば治るのか?」
来世は、黙り込む。あいにく答えを持ち合わせてはいない。そんな彼の代わりに、
「お袋は心臓が悪いんだよ」
重苦しい声で創太が答えた。
しだれは、血の気の引いた顔でよろめく。
「ど、どのくらい悪い?」
「……あんまり良くねえってよ。でも、大丈夫だ。最近は調子が良いんだ。後は、そう、ちゃんと治療費さえ俺が用意できれば、まともな治療を受けられる。そうすりゃ良くなる決まってんだ」
後半にいくにつれて、創太の声は自己暗示じみた色を帯びる。しだれは、創太にしがみついた。
「治療費とは、金のことだろう? お主、金はちゃんと用意できるのだろうな? な、なあ? 問題ないのだろう?」
「うっぜーな、離れろや! 何なんだてめえはよお。赤の他人だろうが、すっこんでろ」
創太はしだれを突き飛ばし、舌打ちを残して去っていった。
来世は、しだれを助け起こすと、彼の目をのぞき込む。
「おい、良いか。徳大寺 創太については俺に任せておけ。お前は、小百合さんに負担をかけない程度に話し相手になってやれ」
「そ、そうじゃな。ワシにはそのくらいしかできんしの。あ、でも」
しだれは、バツの悪そうな顔で俯いた。
「お主への依頼はこれでしまいじゃ。小百合さんは見つかったのだからな。そ、そしたら、ワシは桜の木に戻ってしまう。小百合さんの、話し相手になってやれん。……なあ、小僧」
「継続だ」
きょとん、とした様子のしだれの肩に、来世は手を乗せた。
「今回の依頼は予想以上に簡単だったからな、お前のもらった報酬分、俺はまだ働いていない。きっちりもらった金額分は働くさ」
「お、お主。案外良い奴じゃないか」
「ただし」
来世は、人差し指をしだれの眼前に突き出す。
「怖い小僧と呼ぶのはやめてもらおう。俺には来世 理人という名がある」
「なんじゃ? 気に入らんかったか。お主の個性を一言で表現できる呼び名じゃというのに」
「ふざけるな。怖い小僧と呼ばれるたびに、周囲の奴らからクスクス笑われるのは性に合わない。良いな、継続してお前の依頼を受ける条件だ」
そう言い残し、来世は立ち去っていく。
しだれは彼の背中がエレベーターの中に消えるまで眺め、首をひねった。
「ぬうう、何が気に食わんかったのか。結構イケてる名じゃと思ったのに。まあ、良い。来世、と呼べば良いのだろう」
しだれは、言いにくそうに来世の名を連発する。
「ら、来世。うーん、忘れそうじゃのう。ら、ら、来世―。走れよ来世ー」
しまいには歌になってしまう。下駄をリズミカルに鳴らし、なかなかに愉快な歌が病院の廊下に流れる。
――来世は知る由もないが、しばしこの歌が病院で流行ったとかいないとか。
「おい、どうして逃げる? 会いたかった人なんだろう」
しだれは、決まりが悪そうに肩をすくめた。
「いや、そうなんじゃが。実際、人間として会うと、上手く言葉が出てこんもんじゃ。……それに」
「彼女の体が芳しくないのが気になったのか?」
しだれは深く頷いた。
「……何となくじゃが、可能性としては考えておった。天気が悪い日を除けば毎日来ておったのに、急に来なくなったのは、どこか体を悪くしたからではと。……外れててほしかった予想じゃ。別に引っ越しでもして、元気に暮らしておるなら良かったのだ。な、なあ、怖い小僧よ。彼女の体はどんな具合なのじゃ? しばらく横になっとけば治るのか?」
来世は、黙り込む。あいにく答えを持ち合わせてはいない。そんな彼の代わりに、
「お袋は心臓が悪いんだよ」
重苦しい声で創太が答えた。
しだれは、血の気の引いた顔でよろめく。
「ど、どのくらい悪い?」
「……あんまり良くねえってよ。でも、大丈夫だ。最近は調子が良いんだ。後は、そう、ちゃんと治療費さえ俺が用意できれば、まともな治療を受けられる。そうすりゃ良くなる決まってんだ」
後半にいくにつれて、創太の声は自己暗示じみた色を帯びる。しだれは、創太にしがみついた。
「治療費とは、金のことだろう? お主、金はちゃんと用意できるのだろうな? な、なあ? 問題ないのだろう?」
「うっぜーな、離れろや! 何なんだてめえはよお。赤の他人だろうが、すっこんでろ」
創太はしだれを突き飛ばし、舌打ちを残して去っていった。
来世は、しだれを助け起こすと、彼の目をのぞき込む。
「おい、良いか。徳大寺 創太については俺に任せておけ。お前は、小百合さんに負担をかけない程度に話し相手になってやれ」
「そ、そうじゃな。ワシにはそのくらいしかできんしの。あ、でも」
しだれは、バツの悪そうな顔で俯いた。
「お主への依頼はこれでしまいじゃ。小百合さんは見つかったのだからな。そ、そしたら、ワシは桜の木に戻ってしまう。小百合さんの、話し相手になってやれん。……なあ、小僧」
「継続だ」
きょとん、とした様子のしだれの肩に、来世は手を乗せた。
「今回の依頼は予想以上に簡単だったからな、お前のもらった報酬分、俺はまだ働いていない。きっちりもらった金額分は働くさ」
「お、お主。案外良い奴じゃないか」
「ただし」
来世は、人差し指をしだれの眼前に突き出す。
「怖い小僧と呼ぶのはやめてもらおう。俺には来世 理人という名がある」
「なんじゃ? 気に入らんかったか。お主の個性を一言で表現できる呼び名じゃというのに」
「ふざけるな。怖い小僧と呼ばれるたびに、周囲の奴らからクスクス笑われるのは性に合わない。良いな、継続してお前の依頼を受ける条件だ」
そう言い残し、来世は立ち去っていく。
しだれは彼の背中がエレベーターの中に消えるまで眺め、首をひねった。
「ぬうう、何が気に食わんかったのか。結構イケてる名じゃと思ったのに。まあ、良い。来世、と呼べば良いのだろう」
しだれは、言いにくそうに来世の名を連発する。
「ら、来世。うーん、忘れそうじゃのう。ら、ら、来世―。走れよ来世ー」
しまいには歌になってしまう。下駄をリズミカルに鳴らし、なかなかに愉快な歌が病院の廊下に流れる。
――来世は知る由もないが、しばしこの歌が病院で流行ったとかいないとか。