第64話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い②
文字数 2,193文字
夕京街の中央を縦断する形で、夕京川は流れている。北から南に縦断するこの川は街の人々の憩いであり、穏やかなる日の光を浴びてキラキラと煌めく。
下流には川沿いに見事な桜並木が続き、多くの人々を大いに楽しませた。
海の匂いが混じった風が鼻孔をくすぐり、あと少しで花開く桜の蕾が春の到来を予感させる。
まさに幸福と呼べるような街の営みに待ったをかけるように、ガラガラとした声で喚く男の声が天を衝く。
「追っかけてくるんじゃねええーよ。しつけー、ざっけんなよ、オラ」
黄色いニット帽に鼠色のパーカー、だぶついた紫のスウェットパンツの足元に茶色いワークブーツ。愛嬌のある団子鼻に左右に離れた丸い目。男の見た目は、それらの要素で構成されている。
「くそ、止まれ」
「ら、来世さん、ひ、は、待って」
男を追いかける追跡者が二人。
一人は、射抜くような視線で前方を見据える魔眼屋の店主。名を来世らいよ 理人りひとという。その少し後ろを現役高校生かつ来世の助手見習いである小鹿こじか 里香りかが走っている。
川沿いのこの道は、休日であるためか人通りが多い。そのような中であっても、男は器用に間をすり抜け、着実に来世たちを置いてきぼりにする。
(チィ、だったら)
来世は、歩道から路肩に足を踏み入れ、人込みを避ける。
あらゆる荒事を乗り越えてきた彼の脚力は並ではない。風を追い越すような勢いで、男へ迫る。
「あ、そんなとっから来るとか卑怯じゃねえか」
「うるさい。逃げるな」
「はあ、はあ、嫌だね。どうせ、借金返せってことだろ? へへ、返すもんなんか一円も持ってねえよ」
――あと少し。会話をしている最中にも距離は縮まり、来世は男と並走する。
「ほら、大人しく」
「しねえよ」
男が目の前を歩いていた初老の女性を突き飛ばした。
「危ない!」
咄嗟に来世は初老の女性を受け止めた。
女性は驚いていたが、見たところ怪我らしきものは見当たらない。
来世はホッと胸をなでおろし、前を向く。だが、男がいない。
瞬時に視線を左右に振り、……見つけた。男はタクシーに乗車している。
来世は急ぎ立ち上がったが、相手の方が早い。タクシーは急発進し、あっという間に西方面へ走り去ってしまった。
舌打ちをした来世は、女性を助け起こすと長々とため息を吐いた。
「ぜえ、ぜえ、う、やっと追いついた。は、吐きそう」
息を切らし、里香が追いついた。
「え、あの人は?」
「逃げられた。不健康そうな奴なのに、たいそうな健脚だ。……ぬう、やっと見つけたのに、また振り出しか」
やっと見つけたターゲットだった。
ターゲットの名は、徳大寺とくだいじ 創太そうたという。
創太は複数の知人・友人から金を無心し、一向に返済する素振りがない困った男である。
「お願いします。あいつから金を回収してください。皆困っているんですよ。ほら、これ、あいつから金を返してもらいたい奴らから集めたお金です。依頼金はこれで足りますよね。はあ、とんだ出費だ」
と、苦虫を噛み潰した顔の依頼人が魔眼屋に訪れたのが一週間前のこと。
すぐに見つかるだろうと来世は思っていたのだが、なかなかどうして創太は身の危険に対する高性能なアンテナを張っているようで、あの手この手で雲隠れを続けていたのだ。
「さて、どうするかな。また、パチンコ屋にでも張り込むか」
「ええ、嫌ですよ。そりゃ、ギャンブル依存症らしいですから、いつかは見つかるかもしれないですけど、あんなに長時間外でぼんやりと過ごすのはちょっと……」
何をふざけたことを、仕事だぞ、といつもなら怒鳴り散らす来世も、里香の意見には同意する。
正直な話、あまりうま味のある依頼ではないのだ。手間なく片付けてしまいたいのが、来世の偽りのない本音だった。
「もし、そこの。もし」
「ん? 呼んだか?」
「え? いいえ」
来世は、周りを見渡す。先ほどの女性はもう立ち去った。道行く人々の中で、来世たちに声をかけたらしき人物はいない。
気のせいか? そう思った来世の耳に、
「もし、そこの逃げられてしまった方」
耳に痛い言葉が投げかけられた。
「言っていることは正しいが、俺は猛烈にイラついているんだ。あまり挑発的なことは言ってくれるな。どこにいる」
「お主の右斜め前方におる」
言われるがまま、来世はその方向を向くと、巨大な桜の木がそびえ立っている。街路樹、として植えられたのだろうが、それにしても大きい。
「お化け桜か」
誰が呼び始めたかは分からないが、ともかくそう呼ばれるこの枝垂れ桜は、桜並木の列からはみでるように、歩道の半分ほどを埋め尽くす巨木だ。
風にそよぐ枝が揺れ動き、なかなかに風情がある。
来世は、速足で近づき、ぐるりと幹の周囲を歩く。だが、人らしき姿はない。来世は、目を見開いた。
「まさか、お前が?」
「おお、聞こえた。ワシの声が聞こえるのだな」
声は、お化け桜から聞こえる。
「ら、来世さん。どうしたんですか急に? さっきから独り言やばいですって」
心配そうに問いかける里香。来世は、彼女に説明をしていないことを思い出した。
「そういや、言ってなかったな。今回の魔眼は人外疎通の魔眼だ。人以外の意思を持つ者と対話ができる。対象を一度でも良いから視認する必要はあるがな。……そうだ、この魔眼は感覚共有の力もあったな。手を握るぞ」
「へ?」
ギュッと来世が里香の手を握る。
下流には川沿いに見事な桜並木が続き、多くの人々を大いに楽しませた。
海の匂いが混じった風が鼻孔をくすぐり、あと少しで花開く桜の蕾が春の到来を予感させる。
まさに幸福と呼べるような街の営みに待ったをかけるように、ガラガラとした声で喚く男の声が天を衝く。
「追っかけてくるんじゃねええーよ。しつけー、ざっけんなよ、オラ」
黄色いニット帽に鼠色のパーカー、だぶついた紫のスウェットパンツの足元に茶色いワークブーツ。愛嬌のある団子鼻に左右に離れた丸い目。男の見た目は、それらの要素で構成されている。
「くそ、止まれ」
「ら、来世さん、ひ、は、待って」
男を追いかける追跡者が二人。
一人は、射抜くような視線で前方を見据える魔眼屋の店主。名を来世らいよ 理人りひとという。その少し後ろを現役高校生かつ来世の助手見習いである小鹿こじか 里香りかが走っている。
川沿いのこの道は、休日であるためか人通りが多い。そのような中であっても、男は器用に間をすり抜け、着実に来世たちを置いてきぼりにする。
(チィ、だったら)
来世は、歩道から路肩に足を踏み入れ、人込みを避ける。
あらゆる荒事を乗り越えてきた彼の脚力は並ではない。風を追い越すような勢いで、男へ迫る。
「あ、そんなとっから来るとか卑怯じゃねえか」
「うるさい。逃げるな」
「はあ、はあ、嫌だね。どうせ、借金返せってことだろ? へへ、返すもんなんか一円も持ってねえよ」
――あと少し。会話をしている最中にも距離は縮まり、来世は男と並走する。
「ほら、大人しく」
「しねえよ」
男が目の前を歩いていた初老の女性を突き飛ばした。
「危ない!」
咄嗟に来世は初老の女性を受け止めた。
女性は驚いていたが、見たところ怪我らしきものは見当たらない。
来世はホッと胸をなでおろし、前を向く。だが、男がいない。
瞬時に視線を左右に振り、……見つけた。男はタクシーに乗車している。
来世は急ぎ立ち上がったが、相手の方が早い。タクシーは急発進し、あっという間に西方面へ走り去ってしまった。
舌打ちをした来世は、女性を助け起こすと長々とため息を吐いた。
「ぜえ、ぜえ、う、やっと追いついた。は、吐きそう」
息を切らし、里香が追いついた。
「え、あの人は?」
「逃げられた。不健康そうな奴なのに、たいそうな健脚だ。……ぬう、やっと見つけたのに、また振り出しか」
やっと見つけたターゲットだった。
ターゲットの名は、徳大寺とくだいじ 創太そうたという。
創太は複数の知人・友人から金を無心し、一向に返済する素振りがない困った男である。
「お願いします。あいつから金を回収してください。皆困っているんですよ。ほら、これ、あいつから金を返してもらいたい奴らから集めたお金です。依頼金はこれで足りますよね。はあ、とんだ出費だ」
と、苦虫を噛み潰した顔の依頼人が魔眼屋に訪れたのが一週間前のこと。
すぐに見つかるだろうと来世は思っていたのだが、なかなかどうして創太は身の危険に対する高性能なアンテナを張っているようで、あの手この手で雲隠れを続けていたのだ。
「さて、どうするかな。また、パチンコ屋にでも張り込むか」
「ええ、嫌ですよ。そりゃ、ギャンブル依存症らしいですから、いつかは見つかるかもしれないですけど、あんなに長時間外でぼんやりと過ごすのはちょっと……」
何をふざけたことを、仕事だぞ、といつもなら怒鳴り散らす来世も、里香の意見には同意する。
正直な話、あまりうま味のある依頼ではないのだ。手間なく片付けてしまいたいのが、来世の偽りのない本音だった。
「もし、そこの。もし」
「ん? 呼んだか?」
「え? いいえ」
来世は、周りを見渡す。先ほどの女性はもう立ち去った。道行く人々の中で、来世たちに声をかけたらしき人物はいない。
気のせいか? そう思った来世の耳に、
「もし、そこの逃げられてしまった方」
耳に痛い言葉が投げかけられた。
「言っていることは正しいが、俺は猛烈にイラついているんだ。あまり挑発的なことは言ってくれるな。どこにいる」
「お主の右斜め前方におる」
言われるがまま、来世はその方向を向くと、巨大な桜の木がそびえ立っている。街路樹、として植えられたのだろうが、それにしても大きい。
「お化け桜か」
誰が呼び始めたかは分からないが、ともかくそう呼ばれるこの枝垂れ桜は、桜並木の列からはみでるように、歩道の半分ほどを埋め尽くす巨木だ。
風にそよぐ枝が揺れ動き、なかなかに風情がある。
来世は、速足で近づき、ぐるりと幹の周囲を歩く。だが、人らしき姿はない。来世は、目を見開いた。
「まさか、お前が?」
「おお、聞こえた。ワシの声が聞こえるのだな」
声は、お化け桜から聞こえる。
「ら、来世さん。どうしたんですか急に? さっきから独り言やばいですって」
心配そうに問いかける里香。来世は、彼女に説明をしていないことを思い出した。
「そういや、言ってなかったな。今回の魔眼は人外疎通の魔眼だ。人以外の意思を持つ者と対話ができる。対象を一度でも良いから視認する必要はあるがな。……そうだ、この魔眼は感覚共有の力もあったな。手を握るぞ」
「へ?」
ギュッと来世が里香の手を握る。