第37話 ケース2 死神の足音⑬

文字数 1,230文字

 事件は、昭和六十三年『夕日村』で起こった。夕日村は、夕京街の前身にあたる村で、岩崎が働く会社の近くにあったらしい。

 夕日村は当時、ここら一帯で自生する月花を染料として用いる織物、夕日織の生産地として栄えていた。全国的にも展開しており、今日まで伝わる夕日織がもたらす富は、村人たちの生活を豊かにしたが、十一月二十五日に起こった事件が暗い影を落とす。

 事件当日、雨の降る夜に、人の命が三人分散った。現場は村長であった浜 健一の家。

 浜 健一とその妻、浜 久美子が、寝室で首や腹部を鋭利な刃物によって切り裂かれ死亡。娘である浜 幸子も廊下で死亡していたが、奇妙なことに幸子だけは全身をくまなく殴打されていた。

 当日は雨が降っていたこともあり、翌日の朝、友人の家に泊まりに行った祖父・祖母が帰宅するまで誰も気づいた者はおらず、犯人の目撃情報もなかった。当然、祖父・祖母も疑われただろうが、アリバイがあったので容疑者から外されたと思われる。残念ながら警察の必死の捜査むなしく、事件は迷宮入りとなる。

 事件のあまりの凄惨さ、目撃情報のなさから、土地神の呪いと騒がれたらしいが、結局真相は分からずじまい。

 ――そして、最も惨たらしく亡くなった浜 幸子こそ、岩崎を呪い殺そうとしている怨霊その人だ。新聞の写真はお世辞にも見やすいとは言えないが、顔立ちと着物をじっくりと確認する限り、まず間違いないだろう、と来世は判断した。

 ――だが、やはり腑に落ちない。

 これだけ悪辣な目に遭えば、怨霊になるのも理解はできる。しかし、来世には、脳裏にちらつく浜 幸子の姿と怨念という言葉が、どうしてもイコールに結びつかなかった。

 手毬をつき、律儀に毎日岩崎の背後から近づいてくる。美しい着物を着る彼女は、死を宣告する死神のごとき存在。されど、その目に宿る色は、どこか……慈愛のような柔らかさを放っている。

「ふん、そう思うのは焦りからか」

「何か言いました?」

 いや、と首を振った来世は、首をさする。……ひとまず、怨霊と戦う準備だけはできた。ひとまず、というのが不安だが。

 ――お兄ちゃん、死んじゃうよ。私が、お兄ちゃんの肩を叩く頃に、あの世へ連れていかれちゃうわ。鈴の音が鳴る前に、どうにかしないとね。

 リフレインする言葉。現れるたびに彼女が訴えかける『鈴』が、何を指すのかが分からない。

 万全ではない、理解はできなかった。しかし、やるしかないだろう。

 来世は、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 と、妙なうめき声がトイレの方から聞こえてくる。

「な、なな! もう来たんですか」

「いや、あのうめき声は岩崎のだ。ずっとあの調子でな」

「た、大変。胃薬とか買ってきたほうが良いですか?」

「……ほっとけ。薬を飲んでも、どうせ吐いて終わりだ」

 来世が嘲るように言うのと、トイレから盛大な嘔吐の音が聞こえたのは同時だった。

「本当だ」

 里香がクスリと笑う。

 来世は肩をすくめ、再びコピー用紙に目を落とした。
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