第124話 ケース5 侵略する教え⑪

文字数 5,055文字

 来世は、細い通路を走る。このトンネルは直進すれば川に突き当たるが、左側の壁に脇道があるのを見つけていた。

 残響する音、そしてカビの繁殖した臭いとジメジメとした空気。決して居心地が良い空間ではない。だが、

「いかにもコソコソとした悪党にぴったりな場所だな。ん?」

 右手に扉が見えた。錆びて汚れている以外には特に何の変哲もない扉だが、音が聞こえたのだ。来世は、慎重にドアを開ける。

 六畳ほどの広さ。真ん中に朽ちた椅子とテーブル。ライトで光を照らしながら、慎重に足を踏み入れる。

「……誰かいるのか?」

「え、その声」

 テーブルの下から何かが飛び出してきた。来世は鋭くナイフを向けるが、動きを止めた。

「里香」

 胸に飛び込んできた里香を、来世は受け止める。

 ガタガタとした震えが手から伝わってきた。だが、怪我をしている様子はなく、来世は安堵したように息を吐く。

「どうした、お前だけか?」

「は、はい。崎森さんと幸子ちゃんは、わ、私を庇って捕まりました」

「そうか。どこに行ったか分かるか?」

 彼女は泣きながら首を振る。来世はゆっくりと彼女の背中を撫でながら、耳に口を寄せ小声で問いかけていく。

「どうやってここを突き止めた?」

「実はサードって人が私たちの前に現れたんです」

「何?」

「な、なんか。サードって人と崎森さん知り合いだったみたいで」

 来世は、苦々しい顔で呻く。崎森は昔から仕事で付き合いがある。助けてもらったこともある。だが、素性はまるで知らない。出会った時から彼女は凄腕の霊媒師として完成していた。

「考えたくはないが、まさか裏切ったのか? もしそうならば、俺のことを敵が知っていたのも頷ける」

「ち、違います」

 里香は懸命に首を振る。

「あの人はそんな人じゃありません。それは、来世さんがよく知っているでしょう?」

「それは、そうだが、あいつは何を考えているか分からん。里香、裏稼業の人間は大抵まともな人間じゃない。それは、あいつにだって当てはまる」

「こ、この、分からず屋!」

「わ、分からず屋だと……」

 ドン、ドンと結構な力で、来世は胸を叩かれる。

 ただ茫然とそれを受け止める来世は、困惑する。

「あの人は、あの、人は私を助けてくれたんです。私たちはサードに捕まって、ここに連れて来られました。でも、崎森さんが激しく抵抗して、その隙に私だけ逃げれたんです。さ、崎森さんは暴れる前にこう言いました。理人に嫌われたくないから、君だけは何としても逃がすからねって。ごめんなさい。本当は、私、逃げた時点で連絡すべきだったんです。でも、スマホとられちゃったし、周りは敵だらけで。……ここで、こうして震えてることしか。私は役立たずです。私は」

 ギュッと来世は里香を抱きしめる。彼の胸に口を閉じられる形となった里香は、声にならない嗚咽を漏らすしかできなくなった。

「いい、一度に言わなくても良い。分かったから」

「は、はい」

「お前はこのままここに隠れていろ。氷室も警官と一緒に合流する手はずになっている」

「嫌です」 

 顔を起こした里香の瞳は、ぎらついた強い光が宿っている。ああ、これは……と、来世は諦めたように目を瞑った。

「分かったよ。お前も付いてこい。一緒に、あいつへお礼を言うとしよう」

「はい! きっと無事です。幸子ちゃんも一緒でしたから」

 来世は頷き、里香を立たせる。

 さあ、どうしたものか。慎重かつ急いで行動する必要がある。来世が、頭を巡らせた時、足音が外から聞こえてきた。

 怯える里香を背後に庇い、来世はナイフを眼前に突き出す。

 不気味に空間を味わうように鳴っていた足音は止まり、扉が開いた。

 ※

 遠くから川のせせらぎが聞こえた。

 広く、そして薄暗いこの部屋に、一人の女が囚われている。天井に取り付けられたスポットライトが女に降り注ぎ、彼女の存在を誇示していた。

「――う、ううん」

 崎森は目を開ける。ぼんやりとまどろみの中にあった意識が、徐々に鮮明さを取り戻す。

「う、痛」

 口の中が切れ、鉄の臭いが口内を満たす。服は所々破け、血が埃と混ざり、べっとりと体を汚している。

 体の痛みを無視して動こうとするが、ジャラジャラと不快な音がなるだけで、身動きは取れない。ゆっくりと痛みをこらえて上を見上げ納得した。

 天井から垂れた鎖に手首を縛られ、つるし上げられている。辛うじて足が地面に届くが、ほとんど宙吊りのような状態で、手首から鋭く不快な痛みが生じ彼女を苛む。

「お目覚めかな」

 声がした後、足音が鳴り、男が姿を現す。ほとんど開いていないような細目に、剃り上げたスキンヘッドが目に付く男だ。長い黒ローブを身に纏った姿は、ゲームの魔法使いに似ている。

「……最悪な目覚めね。モーニングコーヒーを用意してくれるかい?」

「そういうと思って用意しといたよ。ほら」

「ぐうう」

 バシャリと浴びせられたコーヒーからは、湯気が迸っている。引きつるような鋭い痛みに、顔を歪めそうになるが、ニヤリと不敵に彼女は笑った。

「ほう、熱湯だったがよくそんな顔ができるものだ。相変わらず大した精神力だよ。――ああ、あの時もそんな顔をしていたはず。フ、フハハ」

 男は心地よさそうに、崎森の殺意を受け止める。

「清塚 将、あの時と変わってない屑野郎」

「今はサードと呼んでいる。気を付けてくれたまえ」

 サードは、にやけた笑みで崎森に近づくと、彼女の豊満な胸に手を置いた。

「触るな!」

「あんなにも愛を語り合った仲なのに冷たいじゃないか」

「うるさい。君があんな人間だと知っていれば、私は……」

 サードは、左手に持っていたカッターナイフで、少しずつ彼女の服を切り裂いていく。肌が露になるほど、崎森の顔は苦渋に歪む。

「あー、んん、良い表情だ」

「う……ねえ、幸子ちゃんは?」

「ああ、彼女か。彼女はスペシャルな場所に眠っているとも。我々にとって彼女は古い教えを広める悪だ。しかし、教えは違えど神であることに変わりはない。故に、最大の敬意を払い、見てもらうことにする。古き世界と自らの滅び、そして新たな世界の生誕をね。

 んーん、待ちきれん。あの漆黒の時間はまだか。全くもどかしいものだ。ん?」

 足音がした方へサードが向くと、真っ白いお面をした二人組がゆっくりと現れた。

「おお、お前たち。侵入者どもは?」

「来世、里香の二名を抹殺。残る一人の行方は不明で、現在捜索中でございます」

 嘘、と絞り出すような声を崎森はこぼす。

「出鱈目を言うな! だって、あの人が死ぬはずない。それに、里香もだって。私は、私は……」

「ん、動揺が見られるな。そうか、そんなに来世 理人を愛していたか。性に奔放なくせに、意外と一途なところは変わっていないか。おお、そうだお前たち。約束の時間が来るまで、ちょっとした昔話をしようじゃないか。

あれはそう、私が高校生だった頃だ。私は一人の自由な女に恋をした。その女は私の想いに応え、瞬く間に恋へ落ちた。若いとは恐ろしいもので、どこまでも深く愛の奈落へと落ちていったよ。なあ?」

 サードの手が、崎森の顎を掴む。彼女は歯をギリギリと鳴らし、瞳から涙を零した。「フフフ」と愉快そうに笑った教主は、女の泪を指で拭い、長い舌でなめとった。

「当時の私は、素晴らしき教えを知ったばかりの小僧でしかなかったが、誰よりも教えに傾倒し、身を捧げる気持ちは強かった。なぜならば、教えによって私の空虚さは埋まり、救っていただいたからだ。

 だからこそ、愛すべき女にも救いを与えたかった。なのに、愚かにもこの女は、私の手を払いのけた」

「黙れ! 君は私を愛してなんかいなかった。ただ単に教えの生贄として使えそうな女だったから篭絡しただけだろう。クソ、私は、私は本気だったんだ。それを踏みにじったお前を、何よりあの人を殺したことを許さない」

 サードは両手を広げ、高らかに笑った。

「ほう、それでどうする? 貴様は囚われの身。何ができる? そぅら、抵抗してみせてくれ」

 サードの人差し指が、崎森の喉に触れ、それからゆっくりと下に下がっていく。不快げに彼女の口からうめき声が漏れ、サードの顔が喜びに彩られる。

「おい、お楽しみはそこまでだ」

「なに?」

 硬いものがサードの顔面を捉えた。派手に飛ばされ、地面に尻もちをついたサードは、頬の痛みで殴られたのだと理解する。

「一体、何のつもりだ?」

 サードを殴った相手は、なんと白仮面の一人だった。彼は崎森に歩み寄ると、彼女の手枷を細い針金のようなもので解除する。

「鍵は私が持っている。何者だ!」

「何者? もう忘れちまったか? 俺だよ俺」

 仮面が地面に落ちて砕けた。

 セミロングの髪にキツイ目と黒い瞳、整った顔には不敵な笑みが浮かぶ。露になった男の顔に、サードは苦々しい表情を向けた。

「貴様、来世 理人」

「おいおい、死人と会ったような顔だぞ」

「あ……」

 崎森は、涙を流しギュッと来世に抱きついた。

 来世は、上着を彼女の肩に被せると、崎森は嬉しそうに笑う。

「良かった。死んだと。あ、猛烈激烈にキスしたい」

「駄目でーす」

 もう一人の白仮面、里香が崎森の口を手で覆い、強引に来世から引き剝がした。

「ちょっと、助けてあげたでしょ」

「限度ってものがあります」

 和やかな会話を尻目に、来世はサードに近寄り胸元を掴んだ。

「もうチェックメイトだ。続きは、警察署かヤクザの事務所かで話そうじゃないか。さて、誰が一番乗りでくるか」

「フ、さすが愚か者。神の声が聞こえぬか」

 サードは、拳を握り締め、上空に突き上げた。

「この拠点にどれくらいの数がいると思う? 百人だ! 貴様らがどれほど強かろうが、武装した百人がいれば話にならんよ」

「ほう、では賭けようか。しばらくすると向こうの通路から氷室か獅子王のどちらかが来る。お前の仲間は誰も来ないさ」

 嘲るように頷きサードは目を閉じた。よほど自信があるのか、子気味良く高らかに鼻歌まで歌い出す。

 ――コツ。

 足音が鳴った。来世はナイフを左手に握り、里香に目配せをする。

(私自身が選りすぐった百人だ。間違いなく来る。さあ、殺せ)

 サードは穏やかな顔で目を開け、足音の主を見た。その瞬間、彼の顔は驚愕に染まる。

「な、誰だ!」

「あ? 俺の名は獅子王だ。そいつが親玉だな、理人」

 猛獣の瞳が、サードの姿を捉える。

 来世がサードの胸倉を引っ張り、獅子王に向かって突き放つ。よろけるように移動を余儀なくされたサードの顔面に、獅子王の豪快な拳が突き刺さった。

「ほう、相変わらず良いパワーだ」

 面白いくらいサードは身体を回しながら、優に二メートルは飛び、地面へとめり込むように着地した。ぐったりと動かなくなったサードを見て、獅子王は豪快に笑う。

「うっし。あとはこいつをぶっ殺して終わりだな。お」

 先までの恐ろしい顔はどこへいったのか。獅子王はにやけた笑みで、崎森に近づき、突如顎を掴んだ。

「凄まじい美女だ。どうだい? 俺の女にならないかい。うお!」

 崎森の拳が獅子王の頬を叩く。呆然となった男に、崎森は人差し指を突き付けた。

「あいにくだけど、私の心は理人に独占されていてね。君、暴力で何でも解決してきた口だろう? 私はそんなものに屈したりはしない。ああ、でも気が向いたらちょっとくらいは遊んであげるよ。理人に嫌われない程度にねえ」

「く……」

 獅子王の体がブルブルと震える。里香の顔は青ざめ、来世は拳を握り締めた。

 獅子王がキレれば、暴力の嵐が巻き起こり、死人が出ることも珍しくはない。来世は、とんだ敵が現れたことに、頭痛を覚えた。

「惚れた」

「は?」

「最高の女だ。俺は、お前みたいな女に会いたかった」

 獅子王は、人差し指を崎森に突き付けると、高らかに宣言した。

「お前は俺の女にする。理人なんぞより、俺のほうが良い男だと認めさせてやる」

「あー、ちょっとぐいぐい来る男は好きじゃないんだよね。そんなことよりもさ、サードのヤツをって! あれ?」

 サードの姿がない。

 来世は舌打ちをした。

「クッソ、逃げたな。時間は」

「零時です」

「……もうそんな時間か。儀式まで時間がない。入口は氷室たちが固めている。考えられるとすれば、川の方だ」

「そうか。川にボートでも用意している可能性がある。儀式の場所へ移動するために。理人、行こう」

 一斉に、来世たちは駆けた。

 街は暗い闇に閉ざされている。酒に溺れる者もいたが、大半の人は明日に向けて眠りについていることだろう。――だが、来世たちの夜はまだ終わらない。
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