第60話 ケース2 死神の足音㊱
文字数 1,408文字
影の背面に、深々と矢が突き刺さっている。鈴は矢の中ほどで結ばれており、風に揺られて澄んだ音を響かせた。
「どうなる?」
影は答えない。だが、返答の代わりに、砂のように散り散りになって消滅した。
膝から崩れ落ちた来世は、額の汗をぬぐう。寒々とした風が、火照った身体を冷やして心地よい。
「終わったみたいね」
振り向けば、浜 幸子が佇んでいる。
軽やかな笑みが、幼い顔の頬に浮かぶ。憑き物が落ちた様子、といったところだろう。
「ああ、だがまだ安心できない。会社にある呪いの品の無力化。そして堀と話をしなければならない」
来世は立ち上がり、矢と鈴を拾い上げた。
「この鈴があれば、呪いの品々は無力化できる。特に黒い鈴には効果てきめんだろうさ」
「聖なる鈴で、悪い鈴に対抗するってところかしら? 面白いわ」
見た目の幼さ通りに、神は笑う。
「来世さん、無事ですか?」
「ああ、問題ない、っと!」
里香がギュッと、来世に抱きついた。
暖かな体温と爽やかな匂いのする……これは香水だろうか? ともかくそれらの情報が里香から感じられた。
(――人の感触。さっきはやばかったがなんとか生き残れたか)
心にふと湧いた生きた実感が、来世の体中を巡り染み渡った。
「へへ、すいません。無事が嬉しくて抱きついてしまいました」
「あ、ああ。今回はお手柄だ。よくやった」
ポンポン、と里香の頭を叩き、来世はスマホを取り出した。
「……今日はもう遅い。堀のところには、明日行くとしよう。里香、荷物を回収しに行くぞ。フフ、それにしても、どうなるかな?」
「うわ!」
「わあ、怖い」
里香と幸子が、そっと来世から離れる。
「どうした? なぜ離れる」
彼は知る由はないが、来世の顔には、悪鬼のような笑みが広がっていた。
里香と幸子は顔を見合わせ、クスクスと笑う。
雲一つない夜空には、満天の月が彼らを見下ろしていた。
来世は空を見上げ、やれやれと首をさすった。
※
まだ太陽が昇っておらず、人通りもまばらな中、自転車をこいで掘 茂は白髪が混じりだした頭を風に撫でつけながら出勤する。
今年四十一歳。忙しい業務の中、唯一健康維持に努められるのは、自転車通勤のこの時間だけだ。
彼は駐輪場に自転車を停めた。鍵は備え付けの鍵を閉めるのみ。どうせ安物のママチャリだ。盗まれたところでどうでもいい。
ポケットからハンカチを取り出し、軽く汗をぬぐう。
今日は、昼頃から営業の手伝いをしなければならない。社長とはいえ、零細企業のトップでしかないのだ。限られた人数の中、業務を回すためには、社長も現場で動かなくてはならない。
営業部門は、岩崎が生死を彷徨う病気によって入院することが決まり、大忙しだ。……たまに、そういう者がこの会社では現れる。ま、仕方ない。
「ああ、今日も忙しそうだ。ん?」
会社の入り口に誰かが立っている。黒のモッズコートと青いジーンズ、茶色の革靴という出で立ち。
(ほー、手足が長い。メンズ雑誌のモデルみたいだ)
暗いこともあって初めは誰だか分からなかった。しかし、顔を見た瞬間、ああ、という気持ちとどうして? という驚きが心に渦巻いた。
キツイ射抜くような目で堀を睨むように眺めている男は、この前会社に来た男だ。
「刑事さん。こんな時間にどうなさいました?」
「やあ、堀さん。内密に少々話したいことがあります。十分ほどお時間をいただけませんか?」
男は手を挙げて、堀を出迎えた。
「どうなる?」
影は答えない。だが、返答の代わりに、砂のように散り散りになって消滅した。
膝から崩れ落ちた来世は、額の汗をぬぐう。寒々とした風が、火照った身体を冷やして心地よい。
「終わったみたいね」
振り向けば、浜 幸子が佇んでいる。
軽やかな笑みが、幼い顔の頬に浮かぶ。憑き物が落ちた様子、といったところだろう。
「ああ、だがまだ安心できない。会社にある呪いの品の無力化。そして堀と話をしなければならない」
来世は立ち上がり、矢と鈴を拾い上げた。
「この鈴があれば、呪いの品々は無力化できる。特に黒い鈴には効果てきめんだろうさ」
「聖なる鈴で、悪い鈴に対抗するってところかしら? 面白いわ」
見た目の幼さ通りに、神は笑う。
「来世さん、無事ですか?」
「ああ、問題ない、っと!」
里香がギュッと、来世に抱きついた。
暖かな体温と爽やかな匂いのする……これは香水だろうか? ともかくそれらの情報が里香から感じられた。
(――人の感触。さっきはやばかったがなんとか生き残れたか)
心にふと湧いた生きた実感が、来世の体中を巡り染み渡った。
「へへ、すいません。無事が嬉しくて抱きついてしまいました」
「あ、ああ。今回はお手柄だ。よくやった」
ポンポン、と里香の頭を叩き、来世はスマホを取り出した。
「……今日はもう遅い。堀のところには、明日行くとしよう。里香、荷物を回収しに行くぞ。フフ、それにしても、どうなるかな?」
「うわ!」
「わあ、怖い」
里香と幸子が、そっと来世から離れる。
「どうした? なぜ離れる」
彼は知る由はないが、来世の顔には、悪鬼のような笑みが広がっていた。
里香と幸子は顔を見合わせ、クスクスと笑う。
雲一つない夜空には、満天の月が彼らを見下ろしていた。
来世は空を見上げ、やれやれと首をさすった。
※
まだ太陽が昇っておらず、人通りもまばらな中、自転車をこいで掘 茂は白髪が混じりだした頭を風に撫でつけながら出勤する。
今年四十一歳。忙しい業務の中、唯一健康維持に努められるのは、自転車通勤のこの時間だけだ。
彼は駐輪場に自転車を停めた。鍵は備え付けの鍵を閉めるのみ。どうせ安物のママチャリだ。盗まれたところでどうでもいい。
ポケットからハンカチを取り出し、軽く汗をぬぐう。
今日は、昼頃から営業の手伝いをしなければならない。社長とはいえ、零細企業のトップでしかないのだ。限られた人数の中、業務を回すためには、社長も現場で動かなくてはならない。
営業部門は、岩崎が生死を彷徨う病気によって入院することが決まり、大忙しだ。……たまに、そういう者がこの会社では現れる。ま、仕方ない。
「ああ、今日も忙しそうだ。ん?」
会社の入り口に誰かが立っている。黒のモッズコートと青いジーンズ、茶色の革靴という出で立ち。
(ほー、手足が長い。メンズ雑誌のモデルみたいだ)
暗いこともあって初めは誰だか分からなかった。しかし、顔を見た瞬間、ああ、という気持ちとどうして? という驚きが心に渦巻いた。
キツイ射抜くような目で堀を睨むように眺めている男は、この前会社に来た男だ。
「刑事さん。こんな時間にどうなさいました?」
「やあ、堀さん。内密に少々話したいことがあります。十分ほどお時間をいただけませんか?」
男は手を挙げて、堀を出迎えた。