第83話 ケース3 春、去り際に燃ゆる想い㉑

文字数 1,397文字

 獅子王の巨体が、重力を失ったかのような軽やかさで来世に迫る。

 姿勢は低く、這うような体勢から剛腕が振るわれた。来世は、平手で受け流し、拳を獅子王の顔面に叩きこむ。

 ――捉えた。

 そう思った来世の拳から鈍く重みのある痛みが迸る。獅子王の鼻に叩きこまれたはずの拳は、彼の額に受け止められていた。

「この野郎」

「どうだい。前回やられた仕返しだ」

 ワニように獰猛に笑う獅子王は、来世の腕を掴み、背負い投げの要領で投げ飛ばす。だが、来世は完璧に受け身を取り、地面に仰向けになった体勢から蹴りを放つ。

 蹴りは今度こそ獅子王の顔面を捉え、盛大にのけ反った。

「剛さん!」

 黒ぶち眼鏡の男が、駆け寄ろうとするのを、獅子王は手で制する。

「心配するな。良いか、結果が出るまで動くんじゃねえ。俺に恥をかかせるつもりか?」

「い、いえ、そんなつもりは」

 獅子王は、鼻から滴り落ちた血をぬぐい、笑みを浮かべる。

「嬉しいねえ。オメーさんは、本当に腕っぷしがつえ―。柔術、空手をかじってるのかと思ったが、他にも様々な武術が混じってやがる。一体ぜんたい、どこでそんなに習ってきたのやら。その才能だ。多くの道場主を泣かしてきたんじゃねえかい?」

「そんなに大層なものじゃあないし、泣かしてもいない。色々と習って、自分が使いやすいように改良しただけだ」

「へ、簡単に言ってくれるねえ」

 獅子王は、ボクシングのような構えを取り、少しずつ前進する。

 来世は長身で、街を歩けばほとんどの人よりも大きい。だが、獅子王は来世を上回る背と強靱な肉体を持つ。人というよりも山が迫ってくるような光景に、横から眺めていた創太は顔じゅうから冷や汗を流した。

(だ、大丈夫なのかよ)

 創太は来世に視線を移し、目を丸くした。

来世は、迫りくる破壊の化身に対して、慌てた様子はない。ゆっくりと呼吸を繰り返し、両手を平手のまま前に突き出した形で静止する。

 ――張り詰めた空気が、場を支配した。

 音は息遣いと獅子王の足音のみ。じりじりとにじり寄っていた獅子王は、足を止めた。

 互いの間合いに両者はいる。いつ始まってもおかしくはない。固唾を呑んで二人を見守る人々の緊張が、目に見えて高まっていく。

「……はあ!」

 先に動いたのは来世だ。左手を獅子王の顔面に突きだす。獅子王は頭を振って躱し、右フックを放つ。一撃必殺、当たれば頭蓋が砕ける一撃は、空を切る。

 獅子王の視界に、来世はいない。

 ――見失った。どこだ?

 焦りが獅子王の心を焦がす。だが、彼の心は二の次を紡げなかった。

 獅子王の真横に滑り込むように移動していた来世の手が、獅子王の顎に触れる。およそ攻撃の意思がないような触れ方だった。

「つあ!」

 裂ぱくの声と共に、来世の掌底が顎を打ち抜く。脳を激しく揺さぶられた獅子王は、白目をむき、膝から地面に崩れ落ちた。



「は、はあ?」

 創太には理解ができなかった。彼の目には、両者の戦力差は明らかだった。しかし、蓋を開けてみれば、鬼と恐れた獅子王 剛を来世は素手であっという間に倒してしまった。

 場にいるほとんどの人間が、似たことを思っていたのかもしれない。その証拠に、大半の人々は口を開けたまま固まっている。

「さて、どうしたものか。出てこい」

 鋭い声の主は来世だ。彼は、薄暗い虚空を眺めている。……否、虚空ではなかった。

 どこに隠れていたのか、スーツ姿の男たちがゾロゾロと現れた。
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