第120話 ケース5 侵略する教え⑦

文字数 4,829文字

「ここらだな」

 車を路駐し、周囲を見渡す。

 彼が降り立った場所は、夕京街の中心街から外れたブロックにある住宅地だ。里香たちが手帳を見つけた住宅地とは違い、ここ一帯は古い住宅が軒を連ね、ノスタルジックな雰囲気が漂う。

(実行犯が一切通っていないエリアだ。ここはスーパーやコンビニの数が少なく、監視カメラを導入していない家も多い。ここに潜伏している可能性はある)

 来世は、監視カメラが全くない場所を中心に、手当たり次第聞き込みを開始する。――だが、

「さあ?」

「そうですか。ご協力ありがとうございます」

 来世は、中年女性に頭を下げた。聞き込み開始から一時間。

 正直、一人で聞き込みなど埒が明かない。

 スマホを見るが、氷室から連絡はなく、苛立ちを吐き出すように深く息を吐く。

(里香たちを呼び戻すべきか?)

 そう考えながら、インターホンを押した。

 大きくもない平屋だが、壁にびっしりと張り付いたツタを見るに、長年ここに住んでいそうである。

「はい?」

 若い女の声。来世は、僅かにため息を零し、問いかけた。

「あの私、探偵をしている来世という者です。ちょっと人を探しておりまして、お話を伺えないでしょうか?」

「人探し……ですか? ああ、それなら祖母の方が詳しいかもしれません。少々お待ちを」

 時間にして数分ほど。茶色いドアから腰の曲がった八十代ほどの老婆が出てきた。

 さっきは若い声に落胆したが、この老婆ならば知っていることがあるのでは? と来世は期待に満ちた目を煌めかせた。

「人探しをしているとか?」

「はい。最近、ここらで見慣れない人が引っ越してきませんでしたか? あるいは昔から住んでいるが、妙な連中と付き合いだした人がいる、だとか」

「んん? ちょーとお待ちください。最近、物忘れが激しくて」

「ああ、ゆっくりで構いません」

「あ! そうじゃ」

 なんです、と食いつく来世。

「火を消したかの? ちょっと待っててくだされ」

 戸が閉められた。来世は、歯ぎしりをし、塀を拳で殴りつける。

 落ち着け、イラつくな。小声でつぶやきながら、深呼吸を繰り返す。あまりにも遅い場合は、そのまま立ち去ってやろう、と心に決めたところで、老婆が再登場を果たす。

「あ、すまん。大丈夫だった」

「それは何よりです。で、先ほどの質問なんですが」

「おお、そうだ。さっきキッチンに戻った時、まな板に置いておいたジャガイモを見て思い出したんじゃ」

「ジャガイモ? は、はあ」

「この家から二軒隣に住んでる田切さんなんじゃが、何か月も家から出てきてないんじゃ。ちょくちょく、宅配の車が止まってるから、たぶん通販で食料品を買い込んでるんじゃないかって孫と話してましてな」

「何ですって!」

 来世の食いつきように、老婆は一瞬面食らった様子だ。

「いや、ま、だから何じゃって話なんだけどね。あのお宅、お父さんが亡くなってからは息子さんが一人でずっと暮らしてましてな。

 結婚もせずに、家で在宅ワークとかいう妙な仕事をしておるようで。まったく、草食系とかって、最近では言うんでしょう? 世も末、日本の未来が心配だわ」

「……あの、宅配便はどのくらいのペースで来るんでしょうか?」

「んあー、だいたい週に二度ほど? 沢山注文しているらしく、荷物が毎度沢山ですわ。あんなに食べる子だったかの?」

 臭う、臭うじゃねえか、と来世はほくそ笑んだ。

 獲物を見定めた獣は、己が能力全てを狩りにつぎ込む。

 来世は、老婆に礼を言って、足早に田切の家へ向かう。

 黒塗りの外壁、怪しげな指紋認証の入り口……といった、いかにも悪の組織と判別できる雰囲気はない。

 田切邸は、二階建てのどこにでもある一戸建て住宅である。

 来世は、外からさりげなく庭を覗き、防犯設備がない事を確かめてからそっと中へ足を踏み入れた。

 カーテンは閉じられており、部屋の中は覗けない。足音を立てないようにグルリと裏手に回ると、人ひとりがどうにか入り込めそうな小窓があった。

(トイレか? ……人の気配はないな)

 面格子が取り付けられているが、お世辞にも防犯性に優れた逸品ではない。来世は、懐から取り出したねじ回しで速やかに格子を取り外し、スルリとトイレの中に侵入した。

 ツン、と不愉快な臭いが鼻を突く。カビや汚れに汚染され放題で、とても人が住んでいるようには思えなかった。だが、トイレットペーパーや手洗い場にある石鹸を見るに、どうやら使用しているらしい。

 来世は、耳を澄まし、それからドアを少しだけ開ける。耳障りな音が微かにしたが、特に反応はない。

(ならば)

 息をひそめ、廊下へと足を踏み入れる。室内は真っ暗で、カーテンから差し込む陽光だけが来世の味方だ。

 廊下は荷物が散乱し、歩きにくいことこの上ない。加えてこの蒸し暑さは、さながらサウナのようだ。額から汗が流れ、喉の渇きを覚える。

(留守か? 人がいる気配がしないな)

 一階から二階へと上がり、また一階へと下りた。

 目ぼしいものは一部を除いてなかった。掃除は行き届いておらず、廃墟のようだが、一階の冷蔵庫には食料品がぎっしりと詰まっている。キッチンに無秩序に放り出された有名通販サイトの段ボールが、悲しそうにひしゃげていた。

(どうもな。一度外に出てて様子をみるか?)

 来世は、トイレへと足を向けた。――だが、すぐにその足は止まる。大きな物が割れる音が下から聞こえたからだ。

 眉を顰め、素早くナイフを取り出し、それからキッチンの小窓にかかるカーテンをずらした。陽光が差し込み、少し鮮明さが増したキッチンは、薄汚れた食卓テーブルがあるだけで異変はない。

 来世は、ゆっくりとしゃがみ板張りの床をつぶさに観察する。

(ん? ここだけ変だな)

 床張りの一角に、小さな穴が開いており、その周辺に傷が複数刻まれている。ニヤリと笑った来世はナイフを穴に差し込み、左右に動かした。

「……お」

 僅かに床の一部が浮かび上がる。そのままテコの原理で持ち上げ、指を差し込み、床を外した。

 数枚の板を剥がし終え、露になったのは階段だ。十段ほど降りた先には扉が見える。

 しばし、彼は考える素振りを見せていたが、何を思ったのか音を立てて階段を降り、扉を蹴破った。

「あ、何だコイツ」

 手に凶器を携えた男女が五人。アッとした表情で来世を見やる。

 来世からは手前の二人しか見えなかったが、何も問題はない。

 ――カキン。

 細長い鉄の塊が、地下室に投げ込まれる。

「これ、なんだ?」

 間抜けな誰かの声が響き、遅れて膨大な光の奔流とやかましい音が五人の耳と目に襲い掛かった。

 彼らはゾンビのように、呻き、蠢き、地下室であてもなく彷徨っている。

 それを見逃す来世ではない。チーターの如く滑らかさで室内へと侵入し、瞬く間に四人を無力化する。

 残る一人を来世は、殴り、地面に組み伏せた。

「い、いてえ。なんだ?」

「うるさいな。スタングレネードによる不調は? もうない? ならば俺の質問に答えてもらおうか」

「う、まだ耳がキーンとしやがる。な、なんだテメエは勝手に人んちに入って来やがって。警察呼ばれたいのか?」

「ほう、呼んで良いのか?」

 男は、顔を苦渋に歪める。

「……お前は、田切か?」

「そうだ。ど、どうして気付けた?」

 怪訝な顔をする来世。だが、すぐにこの男が言いたいことに思い当たる。

「ああ、どうして待ち伏せに気付いたのかって? 簡単な話だ。この家には至るところに監視カメラがあっただろう」

 といった来世に「ゲッ」と田切は呻く。

 トイレにはなかったが、廊下や部屋、玄関などに監視カメラが設置されていた。来世は、ずっと気付かぬふりをしていたが、詳細に設置場所を把握していたのだ。

「お前らは、ずっと俺を監視していたな。そして、俺を捕える、もしくは殺すためにわざと大きな音を鳴らして俺を誘い出した。ん? ああ、あの割れたツボで音を出したのか」

「ち、ちっきしょう。何だってんだ。何の用だ?」

「単刀直入に言う。貴様らは、この街で起きている連続猟奇殺人事件の関係者か?」

 返答はない。来世は、ため息をついて部屋を見渡す。

 部屋は来世に奇襲をするためか薄暗い。来世は、田切の関節をきめたまま立ち上がらせ、明かりを付けた。

 数瞬、眩しさに目が眩む。部屋の大きさは八畳ほど。入口から見て正面の壁に監視カメラのモニターが、左右に簡易テーブルとパイプ椅子がある。

 テーブルには、資料が散らばっており、そのうちの一枚を来世は拾った。

「見るな!」

「……教主様へ。報告書か? やはり、お前らは宗教団体だったか。お!」

 来世は、赤褐色の分厚い書物に目を止めた。表紙には、【波及の書・神の降臨】と書かれている。字をスーとなぞった来世の瞳が、大きく見開かれた。

「【波及の始まり】の教典か。チィ、厄介な連中がこの街に来たもんだ。おい、田切。お前は、この連中といつ知り合った」

「……素晴らしいんだ」

「はあ?」

「だから、すばらしいんだよ。神はいないんじゃない。まだ、ここにいないだけなんだ。いらぬ教えがあるおかげで、神は現れることができない。……浄化だ。そう浄化なんだよ。淀みを払い、場を整えなければならない。そうさ。こんな世界、いらねえんだよ。人を馬鹿にすることしかできねえこんな世界なんかいらない。神だ。この世界には神が必要なんだ」

「神か……。神なんてそんな仰々しいことしないでも、身近にいるけどな」

 田切は、血走った眼を見開くと、くぐもった笑い声で室内を穢した。

「楽しいのか?」

「ああ、愉快だね。あんた、来世 理人か?」

 来世の眉根が中央に寄り、深い渓谷のような皺を形作る。田切は心底愉快そうに、まるでそう、ピアノを愉快に鳴らす子供のような雰囲気で快調に言った。

「俺たちが名前知ってるのが意外って顔だろそれ? あ、ははは。教主様は凄いお方だ。神の啓示により、我らにあだ名す敵の名と正体を知っておられるのだ。邪破教の神、幸ノ伸とその信者である来世 理人。この土地に住まう癌だ」

「チイ、ならばお前らの目的は……ん?」

 田切のジーンズのポケットが震えている。

 来世がポケットの中にあったスマホを取り出すと、画面には教主と表示されていた。あまりにもタイミングが良すぎる。来世は、慎重に指を動かし通話を開始した。

「……お前が、教主とやらか?」

「ウム。私のことは、サードと呼べ。貴様の自己紹介は不要だ。神の声により知っている。貴様が、我が信者の住居に忍び込み、暴力のかぎりを尽くしたことも」

 サード? 教主は一人ではないのか? そう思ったが、問いただすのは避けた。

背中がヒリつくような感覚が、どうも落ち着かない。

「へ、偉そうに。どうせこの部屋か、もしくは信者のスマホに盗聴器を仕込んであるんだろう。教主直々にお電話とは、よほど重要な場所らしいな」

「ああ、とても。……貴様という危険分子を葬る場所として」

「何?」

 ヒリつく感覚は全身へと回った。冷や汗がこめかみから流れて、地面へと落ちる。

「神は理解しておられた。貴様の能力であれば、その場所を突き止めると。……私はただ、神の意志に基づき、行動するのみ」

 ピ、と何かの音が部屋のどこかで鳴った。

「何だ。何をした!」

「信徒たちよ。お前らはよくやった。神の国に旅立つがよい。じき、この街は神が降臨する場となる。神の国で、その様を眺めておけ」

 通話が切れた。

「おお、ありがたき言葉。生誕の成功を!」

田切が目から涙を一筋零す。

 来世は、先ほどから感じていた感覚が、生存本能が発する警告だと悟った。

「クッソ」

 来世は、テーブルにあった資料を片っ端から手に取り、階段に向けて走る。――その瞬間、轟音と焔が土流の如く広がった。

 爆発は地下だけでなく、一階も二階も全てを飲み込んだ。崩れ落ちる建物、揺れる地面、爆発に気付いた近隣住民たちの悲鳴。

 全ては瞬く間に起こり、……やがて騒がしいサイレンの音が鳴り響いた。
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