第119話 ケース5 侵略する教え⑥
文字数 3,045文字
「ふう……」
来世は、疲れを滲ませた吐息を吐く。
魔眼屋の事務所内は、静けさが陣取っている。
窓に設置したブラインドの隙間から差し込む日差しが、彼の背中を照り付けていた。
ギイ、と椅子が軋み、それからブラインドを動かす音が鳴った。
来世は、しばしブラインドを眺めていたが、やがてゆっくりと目を閉じる。
氷室からもたらされた防犯カメラの映像は、とても見られたものではない。通り魔のように突拍子もなく殺される人々。それをまるで物でも扱うように、車に乗せ走り去っていく犯人たち。
ふと、来世は自身が右手を強く握りしめていたことに気付く。
「ハ、真っ当な正義感があるつもりか」
自嘲気味に笑い、デスクの上に置いてあった冷めたコーヒーを飲み干す。
暖かさはなく、ただひたすら苦さだけが味蕾を刺激する。コーヒーとしては酷く不出来だが、彼はじっくりと舌で黒い液体を味わった。
――暖かかったものが熱を奪われ消え去る。もう、被害者である彼らはいない。死んだんだ。
心でそう思い、感じ、そして来世は黙とうする。
来世はリアリストだ。しかし、それとは別のところでそうしなければならない気がした。
――ブウウウウウウ。
スマホの振動は、静かな事務所内には十二分に騒がしい。
静寂を破った不心得者は、氷室であった。
「来世だが」
「ああ、来世君。ちょっと気になることが分かったから電話した。ったくう、相変わらず不機嫌そうだね」
「うるさい。とっとと要件を話せ」
「おーこわ。あー、事件に直接関係あるか全くわからん。ただ、共有しなければならないという気がした」
氷室という男は、掴みどころのない雲のような男である。一見役に立たなそうな風貌であるが、この実カミソリのように切れるところがあるのだ。
さて、何を話す? 少しでも情報が欲しい。来世は手帳を開き、先を促した。
「さっき、被害者に共通点も見られない以上、殺しのターゲットはランダムで選ばれるって話したろ。あれは、間違いかもしれん」
「まさか、共通点が見つかったのか!」
「まあ、ね。あー、被害者全員の関係者に話を聞きに行った。大抵は「悲しい」だとか「信じられない」とかお決まりの文句だ。ああ、こりゃ収穫ねえなって思ったの。けど、面白い事実が分かってね」
「あ?」
「どうやら、被害者全員が処女・童貞らしい」
……は? と来世の間抜けな声がスマホの画面に叩きつけられる。
「いや、だから未経験ちゃんだったの被害者たち。最近の若者は駄目だねー。奥手っていうか、もっとこう若さを生かしてだね。に、してもヤクザの中にもそんなヤツいるんだねー。純情派ってか」
「うるさい。まさか、それが報告したかったことか?」
「不満かい? でも、俺は重要だと思うよ。これがただの一致なら問題はねえよ。けど、意図的だったとしたらどうだい? 例えば、性交未経験者を生贄に捧げる儀式だとかね」
来世は顎に手を当て、なるほどと呟く。
「その可能性は否定できないかもしれん。生贄、人柱。そういった話は過去にいくらでもある。例えば、邪馬台国の女王卑弥呼が亡くなった後、かなりの人々が殉葬したと言われている。卑弥呼の魂を鎮めるため、多くの人が生贄として後を追ったわけだ」
「ほう、そいつぁ凄いね。……生贄、なんぞロクなもんじゃねえが、ともかくだ。生贄のターゲットには何らかの条件があるもんだろう? 処女の美しい娘なんぞよく聞く話じゃねえか。……被害者の若生 桃はかなりの別嬪さんだった。男どもは、必ずしもそうじゃなさそうだが。あー、来世君、コイツは当たりじゃねえかな。ま、証拠となる情報がねえから、憶測に過ぎんが」
その割には、氷室の声は確信に満ちた様子だった。来世としては、彼ほど確信を持てていないが、臭うのは同感できる。
「ま、一応心の片隅にでも置いててよ。なんかあれば連絡頂戴ねー」
ああ、と短く返答し、通話を切った。
仮に氷室の予想通り、犯人の動機が生贄欲しさだったとすれば厄介だ。
法治国家である日本で、人を殺すのはかなりのリスクを伴う。それすらも考慮に入れず、否、入れてもなお生贄という手段に走る集団は、危険で思考が読めない。
何をするのが目的なのか、これからどのようなアクションを起こすのか。もう、終わりなのか。
赤く淀んだ狂気は、黒いベールで包まれて不透明。故に不気味だ。
「チイ、座りっぱで肩いてえ」
肩を大きく回しながら、室内をゆっくりと歩く。
――仮定、そう仮定だ。
彼らはそもそもどこにいる?
実行犯が自殺した。ならば、それを指示した者がいるのでは?
「そいつは、この街にいるのか?」
いない、かもしれない。だが、一連の凶行が全て儀式のためだとするならば、この街に潜伏している可能性が高いのでは?
……否定はできない。生贄を用意するほどの儀式であるならば、犯人側にとってかなり重要なものであるはず。
教主、もしくは高い位にいる人物が儀式の成功を直に確認するはずだ。重要なものほど、人任せにしてはいけない。……そう考えるのは突拍子もない話ではないだろう。
ならば、どこに潜伏している?
事件が発生して二週間。未だ動きがないのであれば、動けない理由があるはずだ。そして、理由が何であれ潜伏しているのであれば、見つからないように注意しているのは間違いなかろう。
「隠れている。息をひそめて……」
稲妻が脳を貫く。来世は、パソコンに飛びつくと、防犯カメラの映像をはじめから再生させた。
地図を取り出し、ペンを走らせる。
赤い軌跡が平面の夕京街を蹂躙していく。
来世はさらに、捜査報告書をはじめとした各種書類に目を通し、線を紡ぎ出していく。
「……やはりな」
犯人たちが目撃された場所は、夕京街の広範囲に位置する。一見無秩序で最後に遺体を川に捨てること、それ以外は共通点がないように思えた。しかし、来世の黒い瞳ははっきりと共通点を捉えていた。
「……なるほどな。お前らはそこか?」
来世は、笑いながら事務所を駆け足で飛び出した。
駐車場に駆けながら、スマホを取り出す。
「……はい、氷室です。電話には出れないから、後で連絡頂戴ねー」
「クッソ留守電かよ。氷室、来世だ。犯人の居場所が判ったかもしれん。今からいう住所に人を寄こせないか? 大人数は目立つから、数人で頼む」
最後に舌打ちをスマホに叩きつけ、来世は愛車に乗り込む。
鍵を差し込み、エンジンを眠りから叩き起こす。冷房をつける手間さえ惜しい。
シフトレバーを軽やかに操作し、車道へ飛び出した。
来世の頭の中で、赤線に汚れた地図が思い出される。
実行犯たちは自決をした。それは、証拠を残さないための措置だ。そこまで徹底するのだから、当然犯行時の行動も全て証拠を残さないために細心の注意を払うだろう。
――その完璧主義が狙い目だ。犯人たちは、全てミニバンで移動している。
現代の日本では、防犯カメラの導入以来、かなりの台数が街のあらゆる箇所で見られるようになった。
スーパーやコンビニはもちろんのこと、個人の住宅でも設置されるケースは増え、死角は日々無くなっている。
つまり、どれほど証拠隠滅をしたとしても、街中で殺し、車で移動して川に遺棄する、といった犯罪を行う以上、監視カメラにその姿は映し出される。
ならばこそ、犯人たちはそれを逆手に取った。実行犯が辿ったルートは、儀式の遂行であると同時に、本拠地を匂わせないためのブラフの意味合いもある、と。
来世はそう結論を下した。
来世は、疲れを滲ませた吐息を吐く。
魔眼屋の事務所内は、静けさが陣取っている。
窓に設置したブラインドの隙間から差し込む日差しが、彼の背中を照り付けていた。
ギイ、と椅子が軋み、それからブラインドを動かす音が鳴った。
来世は、しばしブラインドを眺めていたが、やがてゆっくりと目を閉じる。
氷室からもたらされた防犯カメラの映像は、とても見られたものではない。通り魔のように突拍子もなく殺される人々。それをまるで物でも扱うように、車に乗せ走り去っていく犯人たち。
ふと、来世は自身が右手を強く握りしめていたことに気付く。
「ハ、真っ当な正義感があるつもりか」
自嘲気味に笑い、デスクの上に置いてあった冷めたコーヒーを飲み干す。
暖かさはなく、ただひたすら苦さだけが味蕾を刺激する。コーヒーとしては酷く不出来だが、彼はじっくりと舌で黒い液体を味わった。
――暖かかったものが熱を奪われ消え去る。もう、被害者である彼らはいない。死んだんだ。
心でそう思い、感じ、そして来世は黙とうする。
来世はリアリストだ。しかし、それとは別のところでそうしなければならない気がした。
――ブウウウウウウ。
スマホの振動は、静かな事務所内には十二分に騒がしい。
静寂を破った不心得者は、氷室であった。
「来世だが」
「ああ、来世君。ちょっと気になることが分かったから電話した。ったくう、相変わらず不機嫌そうだね」
「うるさい。とっとと要件を話せ」
「おーこわ。あー、事件に直接関係あるか全くわからん。ただ、共有しなければならないという気がした」
氷室という男は、掴みどころのない雲のような男である。一見役に立たなそうな風貌であるが、この実カミソリのように切れるところがあるのだ。
さて、何を話す? 少しでも情報が欲しい。来世は手帳を開き、先を促した。
「さっき、被害者に共通点も見られない以上、殺しのターゲットはランダムで選ばれるって話したろ。あれは、間違いかもしれん」
「まさか、共通点が見つかったのか!」
「まあ、ね。あー、被害者全員の関係者に話を聞きに行った。大抵は「悲しい」だとか「信じられない」とかお決まりの文句だ。ああ、こりゃ収穫ねえなって思ったの。けど、面白い事実が分かってね」
「あ?」
「どうやら、被害者全員が処女・童貞らしい」
……は? と来世の間抜けな声がスマホの画面に叩きつけられる。
「いや、だから未経験ちゃんだったの被害者たち。最近の若者は駄目だねー。奥手っていうか、もっとこう若さを生かしてだね。に、してもヤクザの中にもそんなヤツいるんだねー。純情派ってか」
「うるさい。まさか、それが報告したかったことか?」
「不満かい? でも、俺は重要だと思うよ。これがただの一致なら問題はねえよ。けど、意図的だったとしたらどうだい? 例えば、性交未経験者を生贄に捧げる儀式だとかね」
来世は顎に手を当て、なるほどと呟く。
「その可能性は否定できないかもしれん。生贄、人柱。そういった話は過去にいくらでもある。例えば、邪馬台国の女王卑弥呼が亡くなった後、かなりの人々が殉葬したと言われている。卑弥呼の魂を鎮めるため、多くの人が生贄として後を追ったわけだ」
「ほう、そいつぁ凄いね。……生贄、なんぞロクなもんじゃねえが、ともかくだ。生贄のターゲットには何らかの条件があるもんだろう? 処女の美しい娘なんぞよく聞く話じゃねえか。……被害者の若生 桃はかなりの別嬪さんだった。男どもは、必ずしもそうじゃなさそうだが。あー、来世君、コイツは当たりじゃねえかな。ま、証拠となる情報がねえから、憶測に過ぎんが」
その割には、氷室の声は確信に満ちた様子だった。来世としては、彼ほど確信を持てていないが、臭うのは同感できる。
「ま、一応心の片隅にでも置いててよ。なんかあれば連絡頂戴ねー」
ああ、と短く返答し、通話を切った。
仮に氷室の予想通り、犯人の動機が生贄欲しさだったとすれば厄介だ。
法治国家である日本で、人を殺すのはかなりのリスクを伴う。それすらも考慮に入れず、否、入れてもなお生贄という手段に走る集団は、危険で思考が読めない。
何をするのが目的なのか、これからどのようなアクションを起こすのか。もう、終わりなのか。
赤く淀んだ狂気は、黒いベールで包まれて不透明。故に不気味だ。
「チイ、座りっぱで肩いてえ」
肩を大きく回しながら、室内をゆっくりと歩く。
――仮定、そう仮定だ。
彼らはそもそもどこにいる?
実行犯が自殺した。ならば、それを指示した者がいるのでは?
「そいつは、この街にいるのか?」
いない、かもしれない。だが、一連の凶行が全て儀式のためだとするならば、この街に潜伏している可能性が高いのでは?
……否定はできない。生贄を用意するほどの儀式であるならば、犯人側にとってかなり重要なものであるはず。
教主、もしくは高い位にいる人物が儀式の成功を直に確認するはずだ。重要なものほど、人任せにしてはいけない。……そう考えるのは突拍子もない話ではないだろう。
ならば、どこに潜伏している?
事件が発生して二週間。未だ動きがないのであれば、動けない理由があるはずだ。そして、理由が何であれ潜伏しているのであれば、見つからないように注意しているのは間違いなかろう。
「隠れている。息をひそめて……」
稲妻が脳を貫く。来世は、パソコンに飛びつくと、防犯カメラの映像をはじめから再生させた。
地図を取り出し、ペンを走らせる。
赤い軌跡が平面の夕京街を蹂躙していく。
来世はさらに、捜査報告書をはじめとした各種書類に目を通し、線を紡ぎ出していく。
「……やはりな」
犯人たちが目撃された場所は、夕京街の広範囲に位置する。一見無秩序で最後に遺体を川に捨てること、それ以外は共通点がないように思えた。しかし、来世の黒い瞳ははっきりと共通点を捉えていた。
「……なるほどな。お前らはそこか?」
来世は、笑いながら事務所を駆け足で飛び出した。
駐車場に駆けながら、スマホを取り出す。
「……はい、氷室です。電話には出れないから、後で連絡頂戴ねー」
「クッソ留守電かよ。氷室、来世だ。犯人の居場所が判ったかもしれん。今からいう住所に人を寄こせないか? 大人数は目立つから、数人で頼む」
最後に舌打ちをスマホに叩きつけ、来世は愛車に乗り込む。
鍵を差し込み、エンジンを眠りから叩き起こす。冷房をつける手間さえ惜しい。
シフトレバーを軽やかに操作し、車道へ飛び出した。
来世の頭の中で、赤線に汚れた地図が思い出される。
実行犯たちは自決をした。それは、証拠を残さないための措置だ。そこまで徹底するのだから、当然犯行時の行動も全て証拠を残さないために細心の注意を払うだろう。
――その完璧主義が狙い目だ。犯人たちは、全てミニバンで移動している。
現代の日本では、防犯カメラの導入以来、かなりの台数が街のあらゆる箇所で見られるようになった。
スーパーやコンビニはもちろんのこと、個人の住宅でも設置されるケースは増え、死角は日々無くなっている。
つまり、どれほど証拠隠滅をしたとしても、街中で殺し、車で移動して川に遺棄する、といった犯罪を行う以上、監視カメラにその姿は映し出される。
ならばこそ、犯人たちはそれを逆手に取った。実行犯が辿ったルートは、儀式の遂行であると同時に、本拠地を匂わせないためのブラフの意味合いもある、と。
来世はそう結論を下した。