第118話 ケース5 侵略する教え⑤

文字数 1,898文字

 事務所に着くと、入り口の鍵はかかっていた。

 里香が開錠すると、誰よりも先に崎森が中へ入る。

「やあ、理人! あれ……いないじゃない」

「本当だ。幸子ちゃん、どこ行ったか聞いてる?」

「いいえ。さっき手帳の件についてメールは送ったから電話来ると思ったけど、来ないわね。ちょっと待って、電話してみる」

 普段、エアコンによって快適な環境に保たれている楽園は、蒸し風呂のように暑く地獄であった。どうやら来世が外出してかなりの時間が経っているらしい。

 里香は額の汗を拭い、エアコンのスイッチを入れた。

 熱気が悪魔の吐息だとすれば、エアコンの吐くブレスは神の息吹である。競うように女たちは冷ややかな風が当たる位置を占拠。

 ほう、と心地よさげに三人が目を細めたあたりで、スマホから男の声が発せられた。

「あ、来世ちゃん。今どこ? って、わ!」

「ごめーん、幸子ちゃん。んん、あ、私、私」

「新手のオレオレ詐欺なら切るが」

「あん、もういけず。私だよ、君の愛しきヒナだよ」

 チッ、と音が強めの舌打ちが霊媒師の鼓膜を叩く。

「気持ち悪いことを言うな。なぜお前がいる?」

「ずいぶんなご挨拶だね。ま、良いか。あのね、報酬をもらいにきたんだ。ほら、前回助けてあげたでしょう? そん時、お金以外の報酬を要求して良いって言ったからね」

「あ? 覚えてないな」

「すっとぼけようったってそうはいかない。ちゃんと覚えているんだから。……でね、何をしてもらおうかずっと考えていたんだ。んー、やっぱり、これしかない。セックスしよう」

 里香が真っ赤な顔で叫ぶ。それを横目に、崎森が舌なめずりをする。

「駄目だ。報酬といっても無理なものがある」

「えー、駄目? じゃあ、デートしてよ」

「あ? デートだあ?」

「そう、デート。それなら良いでしょ。決まり」

 里香は、スマホを奪い取ろうと手を伸ばす。数多の運動部から最強の助っ人と名高い里香。奪い取れる自信があったが、あいにく伸ばした手はすぐに止まる。

 ――花が咲いていた。ホストを篭絡した時は、妖艶な笑みを浮かべる女性であったが、それが今やどうだろう。頬を赤らめ、腰まで伸びた髪の先端を指でいじくり回している。

「……ま、良いだろう。それより、いたのなら少し聞きたいことがある」

「何? 何でも聞いて」

 しばし、電話越しで会話が続く。里香は面白くなさそうに頬を膨らませ、その風船を幸子がつつくやり取りが始まる。

「え、その名は」

 うん、うんと弾むような声で美貌の霊媒師は頷いていたのだが、突如華やかな笑顔は散り、スウと凄みのある微笑に変化した。それは、霊媒師としての顔であり、隣で見ていた里香が息を呑む。

「……ねえ、私も手伝って良いかい。……私の敵みたいだからさ、君の相手。報酬はいらないから、ね、お願い」

「……良いだろう。普段ならお前の手を借りるのは、寒気がするが、今回の依頼は猫の手も借りたいからな。ありがたいよ」

 刹那、霊媒師の酷薄な微笑が、柔らかな月明かりのような笑みに変わる。

 こんなにコロコロ変わるなんて忙しい人ね、と幸子が呆れたように肩をすくめた。

「君にお礼を言われるのは嬉しいね。俄然、やる気が出てくるってもんさ」

「妙なところでやる気になる女だ。今回の依頼は、スピードが命だ。二手に分かれる。俺は単独で動くから、うちの里香と幸子を上手く使って調査してくれ。

 ああ、それと、くれぐれも里香に無茶はさせるなよ。幸子は神だし、結構実年齢も高いから頼りになる。だが、里香はまだ女子高生だ。安全には最大限配慮してくれ」

「妬けちゃうわ。……ん、でもおっけい。私だって、別に里香ちゃんは嫌いではないし。まあ、苦手、かもしれないけど」

「そうか。お前が人に対してそういうのは珍しい」

 来世はそういうと、小さく声を上げて笑った。

「ちょっと、笑わないで」

「……ふう。ああ、調査の情報は常に共有してくれ。俺のほうも、後で情報を共有する。基本的に情報はお前と幸子にのみ共有する」

「え、どうして?」

「あまり、あいつには報せたくない情報もあるからだ。大人なんだろ? そこらへんは配慮してやれ」

 そう言うなり通話が切れた。

 間髪入れず幸子と崎森のスマホが振動する。

 サッと崎森はスマホの画面を確認して、深く頷いた。

(なるほどね。助手ちゃんには報せたくないかもね。……でも、この子は納得しないんじゃないかしら)

 チラリ、と崎森は里香の顔を盗み見る。

「どうして……私には連絡来てないよ」

 里香は自身のスマホ画面を眺め、不満そうに眉根を寄せている。その様は、まるで小動物のようだ。崎森はクスリと声もなく笑い、里香の眉間を人差し指で軽く突いた。

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