第78話 嫌なヤツ
文字数 900文字
別にラーメンが食べたかったわけでもないけれど、あまり金を使わせたくなかった。
親戚の工場だろうが何だろうが、樹が自分で働いて稼いだ金なのだ。
「
ラーメンをすする
目だけを動かして樹の顔を見上げる。ラーメンの丼から立ちのぼる湯気が眼鏡のレンズを曇らせて、ぼんやりと映る樹の慈愛に満ちたまなざしが、まるで、この世ではない別の世界から注がれているように感じられた。
「美味いで」
幸弥はぼそりと答える。
樹は安心したように、自分も箸をとって勢いよくラーメンをすすった。
「ほんまに、美味いにゃあ! お前、この店は初めてや言うちょったけんど、誰かに教えてもろうたがか?」
「そうやない。誰っちゃあ聞かんじゃち、美味い店は匂いで分かるがぞ」
しらじらしい台詞がひとりでに口をついて出る。
そんな自分を、幸弥は心底嫌な人間だと思った。
「そうながか? やっぱり、お前はたいしたヤツやにゃあ」
ひとかけらの疑いも抱くことなく、樹は幸弥のことばを受け入れている。
(お前は、こんな俺の、どこが良うて一緒におるがや?)
そんないじけた想いが幸弥の胸に浮かんだとき、唐突に、樹が言った。
「大﨑さんは、お前のこと、ほんまによう分かっちょうがやにゃ……」
幸弥は驚いて樹の顔を見やった。
何かを思いめぐらすように、しばらく沈黙したあと、樹はゆっくりと口を開く。
「俺に向かって、お前をよろしく頼むち、あのひとは言うたがよ。ちぃと気難しいとこもあるけんど、根は素直な、えいヤツや言うてにゃあ……」
その瞬間、幸弥のなかで何かが弾けた。
それまで溜めこんでいた涙が、堰を切ったようにあふれだし、頬を濡らす。
周りの客たちが怪訝そうにこちらを見ているのが分かったが、止めることができなかった。
「すまらった。いらんこと言うてしもうた」
樹の大きな手のひらが、幸弥の背中にそっと触れる。
そのぬくもりに励まされるようにして、幸弥はどんぶりに残った麺をすする。
樹がご馳走してくれたのだ。最後の一本まで、きちんと食べなければと思った。