第79話 変わり者
文字数 908文字
樹は無言で幸弥を見つめている。その目からは、まるで、世の親が我が子に注ぐ惜しみない愛情が漏れだしているかのようだった。
樹の腕が幸弥の肩を抱いた。じんわりとしたぬくもりが、身体の芯まで伝わってくる。
「にゃあ……」
ちょっぴり湿りけを帯びたような、樹の声が、幸弥の耳元でささやく。
「お前には、弟みたいに大事に思うてくれちょう大﨑さんがおる。ちぃとクセはあるけんど、ケンカ仲間の徳弘もおる。それに……俺が、おるろう?」
幸弥はこっくりとうなずく。
幸弥がずっと探し求めてきた、父の形見の小説を語り合える存在ではないけれど、自分を大切に思ってくれているひとはいる。それがどれほど幸せなことか、いまの幸弥には十分に分かっていた。
「やけん、もう、忘れたや。女らぁおらんじゃち、俺が、お前を幸せにしちゃるけん……」
「はぁ⁉」
反射的に、幸弥は樹の腕をふりほどく。
「お前……まさか、俺が女にフラれて落ちこんじゅうち、思いゆうがか?」
幸弥を見つめる樹の顔が、図星だと語っていた。
「そんなわけあるか!
幸弥はとっさに自転車に飛び乗った。いくらも走らないうちに、樹に合わせてサドルを上げたままだったと気づき、いったん自転車を停める。
こっそり背後をうかがうと、樹がぼうぜんと立ち尽くしている。
すっかり日の暮れたうす闇のなかで、その姿はやけに小さく見えた。
(また、やってしもうた……)
怒りが静まるにつれて、後悔が押し寄せる。
サドルを元の高さに戻してから、幸弥はゆっくりとうしろを振り返った。
「ほいでも、今日は、ありがとう」
精いっぱいの想いをこめて、それだけを言い、手をふった。
樹の顔が輝きを取り戻すのが、遠目にも分かる。
「気ぃつけて帰りや!」
声を張りあげ、大きく手をふり返す樹を見て、幸弥は安堵の息をついた。
(あいつも、案外、変わりモンながかもしれんねや……)
ふいに、そんな考えが浮かんできて、幸弥はくすりと笑った。