第11話 壁
文字数 993文字
父親を亡くしていること。母親は再婚して、父親の違う兄弟がいること。家族と離れて、母方の叔母と暮らしていること。
こうした家庭の事情は、断片的に聞かされていた。けれど、そのたびに負ったであろう心の傷のことを、幸弥は決して語ろうとしない。
——今やったら、母さん、家におるがや
——くそ
あれはいったい、どういう意味だったのか?
今度、電話したときにでも
お前には関係ないき、気にするな——
幸弥には、どこか、身構えているようなところがあった。好き勝手にしゃべっていたかと思うと、樹が少し踏みこんだ質問をしたとたん、口をつぐんでしまったりする。
——
吐き捨てるように言われたひとことが、耳にこだまする。
樹の家は、幸弥の言うような、裕福な家庭ではない。
それでも、「高知市の高校へ行きたい」と望めば、聞き入れてもらえるような環境で育った樹は、確かに、「ボンボン」なのかもしれない……
そういえば、幸弥がバイトをするのは、県外へ出るための資金作りだと言っていた。
——どこじゃちえいけんど、なるべく遠くへ行きたいなぁ……
夢見るような目つきで語っていた幸弥が、まぶたに浮かぶ。
生まれ育った土地から出たいと願う幸弥の気持ちが、樹には理解できない。
樹は故郷が好きだった。集落を囲む山々も、縫うように流れる川も、そこで暮らす仲間たちも。幸弥のことがなければ、離れようなどとは思いもしなかったろう。
おそらくは、それが幸弥と樹を隔てる壁なのだ。
何の不満もなく生きてきた人間に、何ひとつ思い通りにならない者の気持ちなど、わかるはずがない。
幸弥はきっと、そう信じているのだろう。
胸の奥がぎゅっと絞めつけられるような寂しさを感じた。次の瞬間、口惜しさがこみあげる。
幸弥の苦しみを理解することができないのなら、ふたりのあいだに立ちふさがる壁を叩き壊して、幸弥を苦しめている世界から救い出したい。
思いのままに生きられる、こちら側の世界へ、幸弥を連れてきてやりたい。
それこそが、樹がここにいる本当の理由のように思えた。