第2話 月
文字数 1,059文字
速度を増すにつれて、樹の胸の鼓動も加速してゆく。
(ようやく、ここまで来れたがやにゃ……)
あの日の出来事が、まるで昨日のことのように鮮明に浮かんでくる。それでいて、まだほんの子どもだったころの懐かしい記憶のようにも思える。
夏のなごりをとどめた初秋のことだった。初めての県大会、互いに二年生の先輩とダブルスのペアを組んで、ふたりは対決した。
中学からテニスを始めた樹に対して、幸弥は一年生とは思えないほど卓越した技能の持ち主だったが、惜しいことに持久力がなかった。見るからに
とっさに駆け寄り、助け起こそうとした樹の手を、幸弥は荒々しく振り払った。
——こんなんで勝った気になるな!
子どもじみた甲高い声だった。
——お前らぁデカいだけちや! 次はぜったい負かしちゃるき、覚えちょけ
実力ではるかに劣る相手に苦戦を強いられたこと。あまつさえ、憐れむように手を差しのべられたこと。幸弥にしてみれば、耐えがたい屈辱だったに違いない。
(かわいそうなこと、してしもうたにゃあ……)
あのとき、樹の頭からは、試合中ということが完全に消えていた。
テニス部へは、決して望んで入ったわけではない。選手に選ばれたときも、少しも嬉しくなどなかった。ペアを組んだ先輩への義理だけで、試合に挑んでいたようなものだった。
そんな樹に、初めてテニスを楽しいと感じさせてくれたのが、幸弥だった。
感謝と激励の気持ちを込めて、樹はことばを返した。
「楽しみにしちょうけん、早うけがを治せ」
ラケットの当たった片目は腫れあがっていたが、間近で見た幸弥は、ハッとするほど整った顔立ちをしていた。
その綺麗な顔が、樹のことばを聞いたとたん、くしゃくしゃにゆがんだ。
樹のまぶたの裏で、満月が光りだす。
あの日以来、夜空に月を見るたび、幸弥を思い起こした。
冴え冴えと冷たく、どこか寂しげな輝きが、涙に濡れた幸弥の瞳に重なるのだ。
なんとなく、しんみりした気分になった樹は、気を取り直すように車窓へ目をやった。
昼間に見る月は何とも頼りなげで、ふいに心もとない気分になる。