第57話 抜け駆け
文字数 1,068文字
妹の愛子の、楽しげな声が聞こえたので、てっきり佑介の妹の
「恵のヤツ、愛子ちゃんに会いたいけんど、受験勉強の邪魔になるかもしれんち、迷っちょうがよ」
「そんなん、気にせんでえいに。勉強ばぁしちょると、なんや、頭がおかしゅうなってくるがで。私も会いたいけん、遊びにきてち、愛子ちゃんに伝えちゃって」
内気な愛子が、なぜか佑介にだけは自然な笑顔を見せる。
つくづく不思議な男だと、誠は思った。
「こんな朝早うから押しかけてしもうて、すまんにゃあ。ちっと、話があるがやけんど、
誠に気づいた佑介が、遠慮がちに尋ねる。
「バイトがあるけんど、十分ばぁやったらかまんでぇ」
玄関の
お座りの状態で玄関を凝視していた金四郎が、誠の姿を認めたとたん、ちぎれんばかりに尻尾を振る。誠はしゃがみこんで金四郎を撫でた。その背中へ、佑介が意を決したように語りかける。
「あの…俺にゃ、文枝に、手紙書こう思いようがや……」
一瞬、誠の手が止まる。満足そうに目を細めていた金四郎が、ハッとしたように誠を見やる。
(大丈夫や。何ちゃない……)
何ごともなかったように、ふたたび金四郎を撫でまわす。
「いちいち俺に報告せんじゃち、好きにしたらえいろう?」
振り返りもせず、淡々と答える誠に向けて、佑介は食い下がるように言う。
「けんど、俺ぁ……もう、抜け駆けするがは、嫌ながや……」
抜け駆け——
誠の胸に、苦いものがこみあげる。
バカなヤツ……抜け駆けも何もあるものか。岡林は、初めから佑介しか眼中になかったのだ。
岡林、文枝。
誠が、岡林を下の名で呼ぶことは、おそらく、この先もないだろう。
自分から別れを切り出したくせに、未だに、平気な顔で呼びつけにしている。無神経で、おめでたくて、思慮の浅い佑介……
岡林のことを、こいつは、どこまで理解しているのだろうか?
彼女の生い立ちも、横暴な父親の存在も、きっと佑介は知らない。
目立つことを嫌い、常に誰かの陰に隠れているような彼女が、猛り狂う海のような激しさと、不動の大岩のごとき頑固さを内に秘めていることなど、佑介には想像もできないに違いない。
——この世は、不公平ながや
以前、
誠は岡林を知っている。誰よりも深く理解している。
それだけは、胸を張って言える。
それでも、岡林が選ぶのは、誠ではなく佑介なのだ。