第80話 懇願
文字数 1,040文字
夏はもうすぐ終わろうというのに、太陽が沈んでもなお、アスファルトに染みこんだ熱が排気ガスと人いきれにまみれた空気を気怠く温めている。
幸弥を知りたい——
その一心で、生まれ育った故郷を離れて高知へ来た。
それなのに、知れば知るほど、幸弥という人間が分からなくなる。
幸弥が突然怒りだしたのは、図星を差されたからだろうか? それとも、的外れだったから? だとしたら、なぜ、幸弥は泣いたのだろう……
出口のない迷路のように、思考は同じ所をぐるぐると回りつづける。
深いため息をひとつついて、樹は駅へ向かい、停車中の電車に乗りこむ。
闇が濃くなるにつれて、街の灯りは明るさを増してゆく。
やがて、電車が走りだす。ゆっくりと流れていく車窓の景色を見ていると、つい、幸弥のことばかり考えてしまう。
大﨑に言われたことのすべてを、幸弥に伝えてはいなかった。
話の途中で泣かれたせいではない。
大﨑が、幸弥には知られたくないと思っていることに、樹は気づいていたからだ。
——水田はきっと、
幸弥が青少年センターの事務所へ備品を返しに行ったとき、大﨑は樹のそばまでやってきて、秘密の打ち明け話でもするように、そっとささやいた。
——あいつの、家庭の事情は、知っちゅうがですか?
樹がうなずくのを確かめてから、大﨑は話を継いだ。
——あいつは、いらん苦労をしたせいで、他人を警戒して本心をさらせんような、妙に気難しい人間になってしもうたがです。けんど、ほんまは
まさにその通りだと樹は思った。同時に、ただの生真面目なお人好しに見えた大﨑が、こんなにも深い洞察力を持っていたことに、驚きを隠せなかった。
——そんなあいつが、あんたにだけは心を許しちゅう。それはほんまに嬉しいことながやけんど、心配でもあるがです。あいつは、人と触れ合うことに慣れちょらんき、加減が分からんがです。
ためらうような、短い沈黙のあと、大﨑はつづけた。
——もし、あいつが、我慢ならんばぁ失礼な態度をとったときには、はっきりそう言うちゃってください。根は素直なヤツやき、あたらめるはずです。どうか、黙って離れていくようなことだけは、せんでやってほしいがです。
そう言って、大﨑は深々と頭を下げたのだった。