第63話 荷緒の朝
文字数 1,112文字
急いで服を着替えると、
庭からつづく坂道をくだって表の道へ出たとたん、香り米のこうばしい匂いが風に乗って流れてくる。茂の大好物なので、祖父母の家でもよく炊いているのだが、稲からただよう香りは格別だった。
いつだったか、耕太郎の遠い親戚だという県外から来た男が、「こんなん、米の匂いやない。ポップコーンみたいやんか」と文句を言っていたことを、ふと思い出す。
香り米は高級品だ。かわいそうに、普段からロクな米を食っていないに違いないと、樹は勝手な想像をした。
まだ寝ているだろうと思ったけれど、誠の家へ行ってみる。
朝の早い誠の祖母が庭で草むしりをしていた。
「たまぁ! びっと見ない間に、また太うなったがやなぁい?」
樹を見た婆さんは驚いたように声をあげ、それにつられた金四郎も、あいさつ代わりにひと吠えする。そうこうするうちに、半分眠っているような顔をした誠が、のそのそと玄関から出てきた。
「勘弁しぃや……何時や思うちょう?」
「ごめんちや。なんや、目ぇ覚めてしもうて、居ても立ってもおれんなったがで」
「顔洗って目ぇ覚ましてくるけん、夜明けのツーリングと洒落こむかや?」
「それもえいけんど、ちぃとその辺を歩いてみたいがよ。お前んくの田んぼの方まで行ってみんか?」
樹たちは道の両側から生い茂った木々がトンネルをつくる山道を登っていった。しだいに明るさを増していく空を見上げながら、身体の底に溜まっていた、祭りの夜の怪しく濃密な空気をすべて吐きだして、清涼な山の空気を存分に吸いこむ。
「たまぁ、生き返った心地がするでぇ」
満面の笑みを浮かべる樹を、誠は冷ややかに見つめる。
「大げさやにゃ。山らぁ高知にじゃちあるやいか」
「荷緒の山は違うがや。なんや、こう…目には見えん何かがおるような気がするがで……」
「今度はなんな? オカルトかよ」
小ばかにしたように笑ったあとで、誠はぽつりと言った。
「何がおるにしたち、きっとロクなモンやないで……」
誠の家の田んぼへ着くと、沢の縁へ腰かけて、身が引き締まるほど冷たい水に足をひたす。
「台風が来るたんび、お前と一緒に倒れた稲を起こしに来たわにゃあ」
「今年も来よったでぇ。年中行事ぞ」
「そうやったにゃあ……お前ひとりで片づけたがか?」
「何ちゃあじゃない。これっぱぁの田んぼ、半日もかからんわえ」
さらりと答える誠に、樹はなんだか申し訳ないような気持ちになる。