第82話

文字数 2,320文字

「――やはり持っていたか」
 背後から声がした。驚いて振り返ると、ダークスーツに身をつつんだ背の高い男が立っていた。目つきの鋭い、四十がらみの男だ。
「まさか、こんなところへ隠していたとはな」
 僕は驚いて尋ねた。
「あなたは誰です。ひとの家の敷地へ勝手に上がり込んで、失礼じゃないですかっ」
「そう吠えるな」
 男は冷笑を浮かべ、首から下げている身分証を提示した。
「関東厚生局、呪術取締部のものだ。知ってるよな、呪術Gメン。たまに大捕物をやって、テレビのニュース番組を賑わせているから」
「呪術Gメンですって?」
「そうだ。法律で厳しく規制されているにも関わらず、おまえのように違法な呪術に手を染めるやつが後を絶たん。おかげでこっちは有給休暇を返上し、こうして朝から晩まで捜査に駆けずり回ってるわけさ」
 僕は立ちあがり、その男の顔をまじまじと見た。
「僕が呪術に関わっているというのですか。冗談じゃない。呪術になんて興味ないし、触れたこともないですよ」
「しらばっくれるな」
 男の顔から笑みが消えた。
「おまえは気づいてないだろうが、こっちは何年もまえから内偵を進めているんだよ。おまえら足谷家は平安時代からつづく呪術の名門だ。大戦後は蘆屋から足谷へと姓を変え存在をくらませていたが、それ以前は貴族院のお抱え陰陽師として日本の裏社会を暗躍してきた、そうだろう?」
 男の視線が、僕の手のなかで虹色に輝く箱へそそがれる。
「ずいぶんと不思議な箱じゃないか。もしかするとそれが、おまえら足谷の人間がその呪力の根源としてきた……朱器台盤なのか?」
 すうっと体温が下がってゆくのを感じた。自分でも驚くほど感情のない声が出る。
「この箱のことは本当に知らないんですよ。おおかた父か祖父の持ちものが、引越しの荷物に紛れ込んでしまったのでしょう。それより、あなたたちが朱器台盤の存在を知っていることに驚きました。あれは日本の呪術界に君臨してきたわが蘆屋一族のレガリア、秘宝ちゅうの秘宝です。そんじょそこらの法具とはわけが違うんですよ」
「フン、ついに馬脚を現したか。おまえには色々と訊きたいことがある。悪いがうちの取調室まで……」
 不意に男が息を飲んだ。石のように動かなくなった自分の足を茫然と見つめる。
「おまえ、なにを……」
 僕の両手がムドラーを結んでいるのに気づき、男は怒声を張りあげた。
「き、きさま、なにをするかっ。俺は政府機関の人間だぞっ。これは立派な公務執行妨害だっ!」
「朱器台盤のことを知られてしまった以上、あなたをこのまま帰すわけにはいきませんね。残念ですが今までに知り得た情報を残らず消去させてもらうか、もしくは存在自体この世から消えていただきましょう」
「おい、待てやめろ――」

 あめつちに きゆらかす さゆらかす かみわがも きねきこゆ
 ひと ふた みい よう いい むゆ なな や ここの とお もも ち よろず なりけるや
 ふるべ ゆらゆらと ふるべ――

 ガハッと息を吐いて白目を剥くと、男はだらしなく両膝をついた。そのまま地面へ倒れ込む。くの字に折れ曲がったからだが、ときおり陸へ打ち上げられた魚のようにバタバタ暴れる。

 生玉 足玉 魂留玉 国常立命
 掛けまくも 畏き産土の神等より 真白玉の分霊を 授かり得て
 常磐に 堅磐に 守り幸はへ給へと 恐み恐みも白す
 布瑠部 由良由良止 布瑠部――

 金切り声とともに口から泡を吹き、やがて男は動かなくなった。死人のようにピクリともしない。激しく地面を掻きむしったせいで、男の爪はすべて指から剥がれ落ちていた。
「フフ、根は善良そうな気がしたから、命だけは助けてあげましたたよ。ただし目が覚めたら、これまでの記憶を一切失ってますけどね」
 横たわる男をその場に残し、僕は居間へ戻った。今どきめずらしいダイヤル式の固定電話へ手を伸ばす。
「ああ父さん、僕だよ。うん元気にやってる。悪いけど盗聴されないようそっちでも結界を張ってもらえるかな。うん。ちょっと大変なことになってさ。じつは今しがた厚生労働省の役人が来て……」




『廃品回収』【りきてっくす→るうね】


 夕暮れの住宅街に朗々と、廃品回収のアナウンスが流れる。

――こちらは資源回収車です。ご家庭でご不要になりました、テレビ、エアコン、冷蔵庫、パソコン、ミシン、洗濯機、CDラジカセ、バッテリー、アルミホイール、老人などはございませんか。ございましたら車まで合図願います――

 玄関先で、風呂敷包みひとつ提げた義母がゆっくりと家族を見まわす。
「みんな、本当にお世話になったねえ」
 私に向かって笑いかける。
「とくに妙子さん。あなたには、面倒をかけたわ」
「いえいえ、こちらこそお母様には色々と良くしていただいて」
 神妙な顔をしつつ、心のなかで舌を出す。
 末娘の愛理が、涙声で義母の腰に抱きついた。
「お婆ちゃん、行っちゃヤダよう」
「あらあら、この子ったら」
 孫に泣かれ、義母も目を赤くする。
「お婆ちゃんはね、これからとっても良いところへ行くんだよ。だから心配しなくていいの」
「……また会える?」
「そうねえ、愛理ちゃんもいずれ来るところだから、そのうちきっと会えるわよ」
「ホント?」
「本当だとも、お婆ちゃん約束するよ」
 枯れ枝のような指を、孫の指と絡める。
 そこへ、車を呼び止めに行っていた夫が戻ってきた。
「おうい、連れてきたぞ」
 つづいて、グレーの作業服を着た回収業者のひとが入ってきて、義母を指差した。
「ええと、回収品はこちらのかたですね」
「そうです」
「粗大ごみ処理券はご購入済みですか?」
「はい、買ってあります」
 私は730円と書かれたシールを、義母のひたいにペタンと張り付けた。
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