第30話
文字数 2,132文字
「なんです、これ?」
「だから恋人ができるDVDなのです」
「いや、意味わかんないし」
困惑する俺に、老婆は自信たっぷりで微笑んでみせた。
「このDVDには、LOVERS.exeというソフトが収録されています。独自のアルゴリズムにより、あなたのようなモテない男でも恋人ができるようプログラムされているのです」
俺は思いっきり疑わしげな目を老婆に向けた。
「なんか嘘くさいなあ」
「信じるものは救われる」
「ちなみに、コレいくら?」
「三万円」
「いらない」
「あ、ウソです、本当は五百円」
「急に安くすんなよ。マジだいじょうぶなのかコレ?」
「ワンコインで買えるし、たとえインチキだとしても笑い話のタネくらいにはなると思いますよ」
「おまえが言うなよ!」
怪しさ満点だったが、けっきょく俺はそのDVDを買うことにした。
「おそらく仮想の恋愛体験ができるバーチャル・リアリティ的な何かだろう」
家に帰りさっそく起動してみる。
「……なにコレ?」
予想に反して、モニターに映し出されたのは気色悪い映像の数々だった。
鏡に向かって髪を梳く女。
噴火する三原山。
大写しになった「貞」の文字。
しょうもんばっかしとると ぼうこんがくるぞ
「これってもしかして……」
最後に、打ち捨てられた古井戸の様子が映し出される。
俺は青くなった。
「リングに出てくる呪いのビデオじゃん!」
やがてその井戸から、痩せた女が這い出してきた。女はお決まりの白いワンピース姿で、ざんばら髪を振り乱している。俺はあわててソフトを終了しようとした。しかしパソコンが全く操作を受け付けない。
「やべーよ、どうしよう」
女は平蜘蛛のように地面を這いながら徐々に近づいてきた。試しにコードを引っこ抜いてみたが、やはりパソコンの電源は落ちない。そうこうするうちに、モニターから細い腕がヌッと突き出してきた。
「ひいっ、こっち来んな!」
せまい穴から這い出すように、女の上半身がモニターから侵入してくる。ざんばら髪のあいだから皿のように見開いた目がじっとこちらを凝視していた。俺はすっかり腰が抜けて、その場でへなへな尻もちをついた。
「もうダメだ……たぶん呪われた」
やがて女がモニターからその全貌をあらわした。骨ばった肩を左右へ揺するたび、だらりと垂れた髪が床のうえを撫でる。俺はもはや死を覚悟した。相手はホラー小説の金字塔「リング」の貞子なのだ
「……はじめまして」
女がきちんと正座して、俺に向かいお辞儀をする。
「今日からあなたの恋人になります、サダ子です。サダピーって呼んでもいいよ、ダーリン」
「だーりん?」
女は色っぽい仕草で前髪をかき分けると、ポケットから取り出したリボンで後ろに結わえた。今まで髪に隠されていてわからなかったが、めちゃめちゃ美人だ。
「か、可愛い……」
「やだもうダーリンったら、お世辞が上手なんだから」
「いやお世辞じゃないよ。貞子ちゃんがこんなに可愛い女の子だなんて今まで知らなかった。リングと全然違うじゃん」
「だってあっちはホラー小説だもん」
けらけらと笑ってからサダ子は、急に真顔に戻って言った。
「でもこれと同じソフトを他の人にも使わせてやらないと一週間後に死んでしまうという設定は、そのままだから注意してね」
「……え」
というわけで俺は今日も、恋人がいなさそうな男にこっそり声をかけまくっている。
「もし……そこのお方。このDVDを買いませんか?」
『父かえる』【りきてっくす→るうね】
寝苦しい夏の夜半である。
今年六つになる長女の寿々が、突然目を覚ました。彼女はしばらく闇をぼんやり見つめていたが、やがて隣にいる幸恵の肩を揺すった。
「おっ母、おっ母」
野良仕事で疲れていた幸恵は、不機嫌な声を出した。
「どうしたん……厠へならもう一人で行けるべえ」
「厠じゃねえよ」
寿々はつぶやくように言った。
「ぽっとかして……おっ父帰えってきたかもしんね」
寿々の父である喜三郎は、二年まえ軍に召集されたきり沙汰がない。もそもそと寝返りをうちながら、幸恵がため息をついた。
「そんなわけあんめえ。夢でも見たんだがね、早よう寝やっせ」
「違がァがな……ほれ」
ふと、かまどに汲み置いてある水を、だれかが柄杓ですくって飲む音が聞こえた。幸恵がはっとして息を止める。泥棒か? そう思い身を固くした瞬間、特徴のある湿った咳の音が聞こえてきた。
幸恵の目が徐々に見開かれた。
「……あんた?」
かい巻きを跳ねのけ、障子を開いた。
「あんたァ、戻ったんきゃ?」
下駄をつっかけ土間へ転がり出た。しかし雨戸を立て切ったくりやの土間には、だれもいなかった。水を張った甕にも、波紋ひとつ立っていない。幸恵はへなへなとその場に座り込んだ。
「おっ父見えねえよ、どこ行ったなん?」
背後で、今にも泣きだしそうな声がした。幸恵がちからなくつぶやく。
「……そんなもん、はじめからいねえ」
「うそだっ。おら、おもて見てくる」
寿々が外へ駆け出そうとする。幸恵はその腕を必死でつかんだ。
「だめだ、行っちゃなんねっ」
「だから恋人ができるDVDなのです」
「いや、意味わかんないし」
困惑する俺に、老婆は自信たっぷりで微笑んでみせた。
「このDVDには、LOVERS.exeというソフトが収録されています。独自のアルゴリズムにより、あなたのようなモテない男でも恋人ができるようプログラムされているのです」
俺は思いっきり疑わしげな目を老婆に向けた。
「なんか嘘くさいなあ」
「信じるものは救われる」
「ちなみに、コレいくら?」
「三万円」
「いらない」
「あ、ウソです、本当は五百円」
「急に安くすんなよ。マジだいじょうぶなのかコレ?」
「ワンコインで買えるし、たとえインチキだとしても笑い話のタネくらいにはなると思いますよ」
「おまえが言うなよ!」
怪しさ満点だったが、けっきょく俺はそのDVDを買うことにした。
「おそらく仮想の恋愛体験ができるバーチャル・リアリティ的な何かだろう」
家に帰りさっそく起動してみる。
「……なにコレ?」
予想に反して、モニターに映し出されたのは気色悪い映像の数々だった。
鏡に向かって髪を梳く女。
噴火する三原山。
大写しになった「貞」の文字。
しょうもんばっかしとると ぼうこんがくるぞ
「これってもしかして……」
最後に、打ち捨てられた古井戸の様子が映し出される。
俺は青くなった。
「リングに出てくる呪いのビデオじゃん!」
やがてその井戸から、痩せた女が這い出してきた。女はお決まりの白いワンピース姿で、ざんばら髪を振り乱している。俺はあわててソフトを終了しようとした。しかしパソコンが全く操作を受け付けない。
「やべーよ、どうしよう」
女は平蜘蛛のように地面を這いながら徐々に近づいてきた。試しにコードを引っこ抜いてみたが、やはりパソコンの電源は落ちない。そうこうするうちに、モニターから細い腕がヌッと突き出してきた。
「ひいっ、こっち来んな!」
せまい穴から這い出すように、女の上半身がモニターから侵入してくる。ざんばら髪のあいだから皿のように見開いた目がじっとこちらを凝視していた。俺はすっかり腰が抜けて、その場でへなへな尻もちをついた。
「もうダメだ……たぶん呪われた」
やがて女がモニターからその全貌をあらわした。骨ばった肩を左右へ揺するたび、だらりと垂れた髪が床のうえを撫でる。俺はもはや死を覚悟した。相手はホラー小説の金字塔「リング」の貞子なのだ
「……はじめまして」
女がきちんと正座して、俺に向かいお辞儀をする。
「今日からあなたの恋人になります、サダ子です。サダピーって呼んでもいいよ、ダーリン」
「だーりん?」
女は色っぽい仕草で前髪をかき分けると、ポケットから取り出したリボンで後ろに結わえた。今まで髪に隠されていてわからなかったが、めちゃめちゃ美人だ。
「か、可愛い……」
「やだもうダーリンったら、お世辞が上手なんだから」
「いやお世辞じゃないよ。貞子ちゃんがこんなに可愛い女の子だなんて今まで知らなかった。リングと全然違うじゃん」
「だってあっちはホラー小説だもん」
けらけらと笑ってからサダ子は、急に真顔に戻って言った。
「でもこれと同じソフトを他の人にも使わせてやらないと一週間後に死んでしまうという設定は、そのままだから注意してね」
「……え」
というわけで俺は今日も、恋人がいなさそうな男にこっそり声をかけまくっている。
「もし……そこのお方。このDVDを買いませんか?」
『父かえる』【りきてっくす→るうね】
寝苦しい夏の夜半である。
今年六つになる長女の寿々が、突然目を覚ました。彼女はしばらく闇をぼんやり見つめていたが、やがて隣にいる幸恵の肩を揺すった。
「おっ母、おっ母」
野良仕事で疲れていた幸恵は、不機嫌な声を出した。
「どうしたん……厠へならもう一人で行けるべえ」
「厠じゃねえよ」
寿々はつぶやくように言った。
「ぽっとかして……おっ父帰えってきたかもしんね」
寿々の父である喜三郎は、二年まえ軍に召集されたきり沙汰がない。もそもそと寝返りをうちながら、幸恵がため息をついた。
「そんなわけあんめえ。夢でも見たんだがね、早よう寝やっせ」
「違がァがな……ほれ」
ふと、かまどに汲み置いてある水を、だれかが柄杓ですくって飲む音が聞こえた。幸恵がはっとして息を止める。泥棒か? そう思い身を固くした瞬間、特徴のある湿った咳の音が聞こえてきた。
幸恵の目が徐々に見開かれた。
「……あんた?」
かい巻きを跳ねのけ、障子を開いた。
「あんたァ、戻ったんきゃ?」
下駄をつっかけ土間へ転がり出た。しかし雨戸を立て切ったくりやの土間には、だれもいなかった。水を張った甕にも、波紋ひとつ立っていない。幸恵はへなへなとその場に座り込んだ。
「おっ父見えねえよ、どこ行ったなん?」
背後で、今にも泣きだしそうな声がした。幸恵がちからなくつぶやく。
「……そんなもん、はじめからいねえ」
「うそだっ。おら、おもて見てくる」
寿々が外へ駆け出そうとする。幸恵はその腕を必死でつかんだ。
「だめだ、行っちゃなんねっ」