第72話

文字数 2,935文字

「またかよ……」

 メールの文章を読んで、ぼくはため息をついた。

 すぐにお断りの返信をしようとしたが、ドメインが偽証されているらしく何度やっても相手に届かない。

 そうこうするうちに、宅配業者が荷物を運んできた。

「はァい」

 印鑑を持って応対に出た妻が、大声でぼくを呼ぶ。

「ちょっと、あなたっ!」

 あわてて玄関へ行くと、妻が鬼のような形相になっていた。

「なんなのよ、これ!」

「ああ、もう来ちまったか」

「どういうことなのか説明してちょうだい」

 腕を組んで仁王立ちする妻に、ぼくはオロオロしながら身ぶり手ぶりを交えて弁明した。

「いやあ、じつは一方的に送りつけてきちゃってさ……」

「はあ?」

「仕方ないだろう、送り返そうにも、ほら相手の住所ちゃんと枝番まで書かれてないし。これきっと架空の住所だよ」

「それで?」

「いや、だからさ……き、君まさか保健所へ連れてゆけとか言わないだろうね? そりゃいくらなんでも可哀想すぎるだろう」

 ぼくの腕のかなで、真ん丸い瞳を輝かせてパピヨンが、わんと鳴いた。

「考えてもみてよ。悪いのは飼い主であって、こいつにはなんの罪もないんだからさ」

「あのねえ、これでもう五匹目よ。冗談じゃないわ、あなたが仕事へ行ってるあいだ、いったいだれがこの子たちの面倒みてると思ってるのよ」

 ぼくは妻に向かって両手で拝むマネをした。

「頼む、このとおりっ。もうこれで最後にするから。ブログも削除する。だから、ね? ね?」

「まったくあなたってひとは、どうしてそうお人好しなの?」

「ごめん、ほんとごめんっ」

 土下座せんばかりの勢いで拝み倒すぼくに、妻はあきれ顔で大きくため息をついた。

「いい? あくまで一時的に引き取るだけよ。うちでは飼えませんからね。早急に里親を探して、順次引き取ってもらってちょうだい。それまでしばらくの猶予を与えるけど、長くは待ちませんからね。状況が改善されないようなら、私はこの家を出てゆきます。それだけは覚悟してちょうだい」

 それだけ言い置いて、妻はリビングへ引き返していった。ぼくはパピヨンを抱きしめたまま、背中にびっしりと冷たい汗をかいていた。

「いやあ、参ったね……」

 一年前、自分のブログに捨て犬を拾ったという記事を載せたのが始まりで、以来うちの犬も貰ってくれないかというメールが頻繁に来るようになった。もちろん、これ以上飼えないと断っているのだが、なかにはどこでうちの住所を調べたものか、強引に送りつけてくる飼い主もいる。

 そんなこんなで、わが家には今、四匹の犬がいるのだ。そして、こいつでとうとう五匹目。まあ、妻が怒るのも無理はない。

「よしよし。心配しなくてもちゃんとうちで飼ってやるからな。長旅で疲れたろう。みんなと一緒にごはん食べよう」

 あたまを撫でてやると、パピヨンは嬉しそうにしっぽを振って、ぼくの顔をペロペロなめた。

「わはは、くすぐったいよ」

 最後まで世話できないようならペットなんて飼うんじゃないと、切に言いたい。







『八百万』【りきてっくす→るうね】



「だれかある」

 神々の住まう高天原の御殿で、光り輝く大神がひとを呼ばわった。

「だれかおらぬか?」

 しばらくして美しい女神がこれに応えた。

「まあ、これはアマツヒコヒコホホデミノミコト様、いかがなされました?」

「おお、そなたはヒメタタライスケヨリヒメノミコト」

 天津日高日子穂穂手見命は、嬉しそうに目を細めた。

「いつもながら美しいのう」

「あら、いやですわそんな……」

 軽くしなをつくってから、比売多多良伊須気余理比売命は言った。

「で、アマツヒコヒコホホデミノミコト様、なにか御用?」

「おお、そうであった」

 天津日高日子穂穂手見命は、ポンと手を打った。

「じつは先程から、ホノトバタヒメコチヂヒメノミコトを探しておるのだが、どこにも見当たらぬのだ。そなたホノトバタヒメコチヂヒメノミコトの居場所を知らぬか?」

「あら、ホノトバタヒメコチヂヒメノミコト様でしたら、朝早くにアメシルカルミズヒメノカミ様のところへ遊びにゆかれましたけど」

「なに? アメシルカルミズヒメノカミのところへ。大祓の儀式で使う装束を頼んであったというに、まったく仕方のないやつだ。ヒメタタライスケヨリヒメノミコトよ、悪いがアメシルカルミズヒメノカミのところへ行ってホノトバタヒメコチヂヒメノミコトを呼んできてはくれまいか」

「あらでもホノトバタヒメコチヂヒメノミコト様は、たしかアメシルカルミズヒメノカミ様を誘ったあとで、ハリマノイナビノオオイラメ様のところへ行くと言ってましたわよ」

「なに? アメシルカルミズヒメノカミは、ホノトバタヒメコチヂヒメノミコトを誘ってハリマノイナビノオオイラメのところへ行くのか」

「違います。ホノトバタヒメコチヂヒメノミコト様がアメシルカルミズヒメノカミ様を誘ってハリマノイナビノオオイラメ様のところへ行くのです」

「ううむ、だんだん混乱してきた。いったい、なにしに行ったのだ?」

「なんでも、イタリア料理店で女子会をするとか……」

「けしからん! 日本の神のくせに毛唐の料理を食うとは。なぜ和食にせんのだ、和食に!」

 そのとき狩衣をまとった伝令の神が、天津日高日子穂穂手見命のもとへ馳せ寄ってきた。

「申しあげます。アマツヒコヒコホノニニギノミコト様が至急アマツヒコヒコホホデミノミコト様にお目にかかりたいそうです」

「なに? ニニギノミコトが?」

「あ、省略した」

「あ、省略した」

「ぐぬぬ……」

 天津日高日子穂穂手見命は言いなおした。

「で、アマツヒコヒコホノニニギノミコトがわしに何の用だ?」

「さあ? わたくしは伝言をことづかっただけですので」

「そうか……ところでおぬし名はなんという」

「わたくしですか? キマタカミと申しますが」

「……」

「……」

「……短いな」

「……はあ、申し訳ありません」

 木俣神はこうべを垂れた。天津日高日子穂穂手見命は、気を取りなおして言った。

「ともかく、こうしていても仕方がない。ヒメタタライスケヨリヒメノミコトよ」

「いえわたしは、ホトタタライススギヒメノミコトです」

「違うのか?」

「まったくの別神です」

「ヒメタタライスケヨリヒメノミコトはどこへ行った?」

「ネイルサロンの予約があるとかで、下界へ天降ってゆかれましたが」

「くっ、まったく、どいつもこいつも落ち着きのないやつばかりだ」

 天津日高日子穂穂手見命は大きく嘆息したあと、富登多多良伊須須岐比売命に向かって言った。

「では改めて、ホトタタライススギヒメノミコトよ。これよりアマツヒコヒコホノニニギノミコトのもとへ参るゆえ、わしと同道いたせ」

「え、なんでわたしが」

「ここへ居合わせたのが運の尽きだ」

「そんなご無体な……」

 そのとき宇麻志阿斯訶備比古遅神が息せき切って駆け込んできた。

「た、大変ですっ。フタジノイリヒメノミコト様とヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト様が喧嘩なされているところへマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコト様が仲裁に入られて、今大騒ぎになっております」

 天津日高日子穂穂手見命がたまらず、あたまを掻きむしった。

「ちょっと待て! だれがだれやら、もうわけがわからん、一度状況を整理してみようじゃないか」
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