第7話

文字数 2,010文字

「いったいぜんたい、どうしたんだい?」
 祐一は、娘に連れてこられた廃屋で、彼女に問うた。
「フィルアッチュン、だよ」
「フィルアッチュン?」
 祐一が首を傾げると、娘は真剣な口調で、
「吸血鬼のこと。それも高位の」
「吸血鬼……」
「昼歩く、という意味。昼でも出歩ける高位の吸血鬼なんだ。この島は吸血鬼の島なの」
「君も?」
 祐一の問いに、娘は一瞬、ぽかんとした顔をした。
「信じるの? こんな話」
「嘘なのかい?」
「違うけど……」
 ふふ、と娘は笑った。
「ニィニィは、おかしな人だね」
「よく言われる。で、君も吸血鬼なの?」
「わたしは人間だよ」
「吸血鬼の島に住んでいるのに?」
「ほら、吸血鬼って血を吸うじゃない? 人間の。そのために生かされている人間が何人かいるんさァ」
 家畜みたいなものよ、娘は言う。諦念と言うよりは、達観したような口調だった。
「君は、それでいいの?」
「いいも悪いもない。人間であるわたしたちに、奴らに抗う術なんてないばァよ。それに、大体の人は家族を人質に取られているから。わたしも両親が」
「ふぅん」
「それより、さっきフェリー会社の人が話しているのを聞いたんだけど、夕方に一隻、本土へのフェリーが出るみたい。それに乗って帰った方がいいよ」
「分かった、そうするよ」
「そうだ、この島で撮った写真を見せて」
 娘は祐一が首から下げた一眼レフのデジタルカメラを指差した。
「それって、撮った写真をプレビューできるタイプのカメラでしょ?」
「よく知ってるね」
「実は、わたしも写真が好きなんだ。こんな島に生まれなかったら、写真家を目指してたかも」
「大事に扱ってくれよ」
 そう言って、祐一は娘にカメラを渡す。カメラを受け取った娘は、そこに彫られた言葉に首を傾げた。
「なにこれ、英語?」
「いや、アイヌ語」
「アイヌ」
「祐一は日本名でね。もともと、僕はアイヌの生まれで、トカプ・アプカシ、って名前なんだ」
「へぇ、なんかかっこいいばァね」
 そう言いながら、娘はカメラを操作して、画面に写真を映し出した。
「わぁ、すごい」
 思わず、といった感じで娘の口から感嘆の声が漏れる。
「すごく綺麗な写真」
「そんなこと、初めて言われた」
「ほんとに綺麗」
 娘の表情が、ほんのわずか、一瞬だけ悲しそうになるのを祐一は見た。
「島はこんなに綺麗なのに……」
 その後に続く言葉はなかった。
 祐一も聞かなかった。


 夕方になった。
「来てたよ、フェリー」
 船着場まで、様子を見に行っていた娘が帰ってきて、そう言った。
「そう」
「お別れだね」
 祐一は、うつむく娘をじっと見つめた。
「この島から出たい?」
 娘は無言。だが、その唇は見ている方が痛いほど、噛みしめられている。
「そう」
 祐一は小さくうなずくと、
「分かった。僕がそのフィルアッチュンを倒してあげる」
「え?」
 娘が顔を上げた。ぽかんとした表情で、
「なに、言ってるの?」
「島を支配しているフィルアッチュンは一人なんだろ?」
「そうだけど……無理だよ! いままであいつを倒そうとして、何人もの人が犠牲になった。人間じゃ、あいつには勝てないんだよ!」
「大丈夫。僕も人間じゃないから」
 え。
 と、娘は目を見開いた。
 祐一は微笑みかけ、
「トカプ・アプカシ。アイヌ語で昼歩く、という意味さ」
「そ、それじゃ」
「そう、僕も吸血鬼だ。多分、この島の吸血鬼より高位の」
 それだけ言って、祐一は外に通じる扉を開けた。
「ま、待って!」
 娘が慌てたように、祐一に声をかける。
「どうして、助けてくれるの?」
「僕の写真を褒めてくれたから」
 祐一は肩越しに振り返ると、照れくさそうに笑った。
「初めてだったんだ、実は」


『道場破り』【るうね→りきてっくす】

 源左衛門は、ぬるりとした汗が額から滴り落ちるのを感じていた。
 目の前には、竹刀を構えた一人の浪人。場所は源左衛門の道場である。
 いきなり、ふらりとやってきた浪人が看板をかけて勝負しろと言ってきたのが半刻前。なぜその時に、相手の実力を見抜けなかったのか、と源左衛門は内心、歯噛みしていた。ひょろりとした体格の浪人を甘く見たのが運の尽き。相対してみれば、両者の実力の差は歴然だった。
 源左衛門の竹刀を持つ手が震える。それをじっと観察するように見つめている浪人の構えには全く隙がない。
 すでに、試合が始まって四半時が経とうとしていた。両者の様子に、周囲で見物していた弟子たちも、不安の表情を隠せない。
 息苦しい。
 竹刀が重い。
 全てを投げ出してしまいたくなる。だが、それはこの道場の看板を、この浪人に差し出すことに他ならなかった。その矜持だけが源左衛門を支えている。だが、もう限界だった。
 と、その時。
 がくり、と浪人が膝をついた。
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