第17話
文字数 1,057文字
ところが、ある日。
「おはよう……」
朝から、彼は元気がなかった。
「どうしたんだよ、サイゴウどん」
「何かあったの、サイゴウどん」
みんなが心配して、彼に近寄っていく。夏子も、そちらは向かいないが、耳をそばだてていた。だが、彼は席に座ってうつむいたまま、黙り込んでいる。
「実は」
それでもクラスメイトが口々に尋ねる中、ようやく彼が口を開いた。
「……薩摩弁が話せなくなってしまったんだ」
ざわっ。
クラスメイト達が息を飲む。夏子も愕然とした。
サイゴウどんが、薩摩弁を話せなくなった。個性の喪失、アイデンティティの崩壊。言うなれば、それは昨日までの自分の死を意味する。単に、標準語しか話せなくなったという問題ではないのだ。
「僕は、これからどうしたら……」
そんな彼のつぶやきに、誰も応えることができない。
夏子は立ち上がった。すっ、と一枚のメモを、サイゴウどんの机の上に置く。不思議そうに彼女を見上げてくる彼の目を見ずに、夏子は言った。
「病院。腕のいい医者がいるぜよ」
ちなみに、彼女のあだ名はリョウマちゃんである。
『無宿人、権三郎の恋』【るうね→りきてっくす】
はあ。
権三郎が淀川のほとりでため息をついていると、同じ無宿人で友人の甚右衛門が声をかけてきた。
「どうしたい、権の字。いっちょ前に、ため息なんぞついて」
「……いや、なんでもねぇよ」
「なんでもねぇって顔じゃねぇぞ。俺とお前の仲じゃねぇか、話してみない」
「なんでもねぇって」
多少、苛ついた声で権三郎は甚右衛門を拒絶した。好意で言っていることは分かるのだが、あまり人に話すようなことではないし、何より。
「なんでぇなんでぇ。もしかして、これのことかい?」
と、甚右衛門は右手の小指を立てる。それを見て、権三郎の顔が真っ赤に染まった。その様子に、むしろ甚右衛門は驚いた様子で、
「なんだよ、ほんとに女のことか」
「ほっとけねぇよ」
甚右衛門は権三郎の横に座り、
「お前はどう思っているか知らねぇが、俺はお前のことを朋輩だと思ってるんだぜ」
「甚右衛門」
「な、話してみろって」
「……分かったよ」
その言葉に、ゆっくりと権三郎は立ち上がった。
「話すより、見てもらった方がはえぇ」
「無理だ」
一言。
甚右衛門は切り捨てた。
「ほらみろ。だから言いたくなかったんだ」
「だって、お前、ありゃあ、ありゃあ」
息も絶え絶えと言った様子で甚右衛門が言葉を継いだ。
「ありゃあ、花魁じゃねぇか!」
「おはよう……」
朝から、彼は元気がなかった。
「どうしたんだよ、サイゴウどん」
「何かあったの、サイゴウどん」
みんなが心配して、彼に近寄っていく。夏子も、そちらは向かいないが、耳をそばだてていた。だが、彼は席に座ってうつむいたまま、黙り込んでいる。
「実は」
それでもクラスメイトが口々に尋ねる中、ようやく彼が口を開いた。
「……薩摩弁が話せなくなってしまったんだ」
ざわっ。
クラスメイト達が息を飲む。夏子も愕然とした。
サイゴウどんが、薩摩弁を話せなくなった。個性の喪失、アイデンティティの崩壊。言うなれば、それは昨日までの自分の死を意味する。単に、標準語しか話せなくなったという問題ではないのだ。
「僕は、これからどうしたら……」
そんな彼のつぶやきに、誰も応えることができない。
夏子は立ち上がった。すっ、と一枚のメモを、サイゴウどんの机の上に置く。不思議そうに彼女を見上げてくる彼の目を見ずに、夏子は言った。
「病院。腕のいい医者がいるぜよ」
ちなみに、彼女のあだ名はリョウマちゃんである。
『無宿人、権三郎の恋』【るうね→りきてっくす】
はあ。
権三郎が淀川のほとりでため息をついていると、同じ無宿人で友人の甚右衛門が声をかけてきた。
「どうしたい、権の字。いっちょ前に、ため息なんぞついて」
「……いや、なんでもねぇよ」
「なんでもねぇって顔じゃねぇぞ。俺とお前の仲じゃねぇか、話してみない」
「なんでもねぇって」
多少、苛ついた声で権三郎は甚右衛門を拒絶した。好意で言っていることは分かるのだが、あまり人に話すようなことではないし、何より。
「なんでぇなんでぇ。もしかして、これのことかい?」
と、甚右衛門は右手の小指を立てる。それを見て、権三郎の顔が真っ赤に染まった。その様子に、むしろ甚右衛門は驚いた様子で、
「なんだよ、ほんとに女のことか」
「ほっとけねぇよ」
甚右衛門は権三郎の横に座り、
「お前はどう思っているか知らねぇが、俺はお前のことを朋輩だと思ってるんだぜ」
「甚右衛門」
「な、話してみろって」
「……分かったよ」
その言葉に、ゆっくりと権三郎は立ち上がった。
「話すより、見てもらった方がはえぇ」
「無理だ」
一言。
甚右衛門は切り捨てた。
「ほらみろ。だから言いたくなかったんだ」
「だって、お前、ありゃあ、ありゃあ」
息も絶え絶えと言った様子で甚右衛門が言葉を継いだ。
「ありゃあ、花魁じゃねぇか!」