第10話

文字数 1,737文字

「あの、悪いんだけど……」
「なによ」
「一から十まで、数をかぞえてみてくれるかな」
「はあ?」
 彼女がくちびるを尖らせる。
「私をバカにしてんの?」
「いや、そうじゃない……」
 僕は低姿勢でペコペコ拝みたおした。
「なあ、頼むよ。これはとても重要なことなんだ」
「……」
 ぶっ殺すぞといわんばかりの顔で僕を睨みつけ、彼女が早口で言った。
「一、三、四、六、九、十、二、五、七、八っ!」
 やっぱり。
 彼女のブラウスを盛り上げている形の良い乳房の、右側の乳首を強く押した。
「きゃあっ、ちょっとなにすんのよ、この変――」
 そこで彼女の動きがピタリと止まる。まるで一時停止ボタンを押したみたいだ。
 僕はショルダーバッグからタブレット端末を取り出すと、彼女のうなじに隠されたコネクタへつないだ。ただちにデバッガーを起動させる。
「見つけた、十二進法の演算プログラムにバグがある」
 急いでコードを修正しながら、舌打ちした。
「あれほどデバッグには万全を期してくれと頼んでおいたのに。これじゃ来月の発売日に間に合わないよ」
 ついでに従順度の設定を調節しておく。ツンデレも悪くはないが、あれでは愛想がなさすぎる。
「これでよし、と」
 再起動のコマンドを走らせると、数回瞬きしたあと彼女がふたたび動きを取り戻した。
「あれれ?」
 きょろきょろと周囲を見まわし、僕の存在に気づいてあわてふためく。
「あわわ、ご主人様っ」
 ご主人様? さては従順度のレベルを上げすぎたか。
「私いったいどうしちゃったのでしょう?」
 僕は彼女の頭を優しく撫でながら言った。
「べつにどうもしないさ。それより君にちょっと頼みがあるんだ」
「なんなりとお申し付けくださいませ」
「一から順番に、数字をかぞえてみてくれるかな」
「かしこまりました」
 さっきの塩対応とは、えらい違いだ。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……」
 修正もうまくいったようで、ホッと胸を撫でおろした。
 伊集院ケメ子。
 もっか我が社が開発中の、自立思考型ラブドールだ。
 ラブドールといっても、たんなる玩具ではない。ロボット工学の最先端技術を結集した、高性能アンドロイドだ。外見はどう見ても人間の少女、フルシリコンの皮膚は限りなく人肌に近い。内蔵ヒーターにより体温も維持している。そして我が社自慢の着脱式オナホールは、使用者の体にフィットするよう職人がひとつひとつ手作りしているのだ。
 まさに最高級ラブドール。
 ただ搭載された人工知能だけが、いまだ未完成だった。
「……百三十二、百三十三、百三十四」
 いつまでも律儀に数をかぞえ続けている彼女を見て、思わずため息が漏れる。
「なあケメ子」
「はい? 百六十、百六十一、百六十二」
「今、何時だ?」
「百六十三、百六十四、えとですね、そろそろ十二時です。十三、十四、十五、十六……」
 ……発売への道のりは、まだ遠いようだ。


『オンナ』【りきてっくす→るうね】

 古びた籐椅子に揺られ、老人は眠たそうな目でパイプをくゆらせていた。刷毛で撫でたような雲が、ゆっくりと地平線の向こうへ流れてゆく。谷から吹く風が、たえず彼のまばらな白髪をなびかせていた。
「……のう、ボウズ」
 やがて老人は、足もとで砂遊びをしている少年に語りかけた。
「知っとるか? かつてこの世界には、オンナちゅう生きものがおったんじゃ」
「オンナ?」
「そう。わしら人類の半分は、オンナじゃった」
「へえ」
 少年は遊びの手を止め、老人を見上げた。
「オンナって、どんな生きもの?」
 老人は宙を見すえ、ゆっくりと煙を吐いた。
「オンナは、可愛くて、キレイな声で、いい匂いがして、おっぱいがデカくて、尻がムチムチして、ウヒヒ」
「そのオンナは、もういないの?」
 老人がコホンと咳払いする。
「いない」
「どうして?」
 不思議そうに首をかしげる少年を見て、老人が目を細めた。
「聞きたいか?」
 少年がうなずく。
 老人はもったいつけるようにパイプをくゆらせてから、静かに語りはじめた。
「あれは、わしがボウズくらいの歳じゃったから、もう半世紀以上も前になるかのう――」
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