第86話

文字数 1,964文字

 まったく見たことのない老人だった。
 少年にも見覚えがない。
「つまんないから消そうかな……」
 リモコンに手を伸ばしかけたとき、ビデオのなかの老人が言った。
「あ、ちょっと待ってくだされ」
「え?」
 ふたたび老人の顔をまじまじと見る。
「変だな。まるでビデオのなかから話しかけられてるみたいだ」
「話しかけておりますじゃ」
「わっ」
 僕は驚いて尻もちをついた。
「映像のなかの人間が話しかけてくる。なんだこれ? 気持ち悪い」
 今度こそ停止ボタンを押そうとすると、老人が泣きそうな顔で言った。
「ああ、後生じゃから、わしの話を聞いてくださらんか」
 となりにいる少年が心配そうにこっちを見つめている。なんだか急にこの二人が可哀想になり、とりあえず話だけでも聞いてみることにした。
「わしは竹下喜十郎、この子は孫の純一ですじゃ」
「……これはどうもご丁寧に、僕は山本次郎といいます」
「じつはですな、わしらはこのビデオのなかに閉じ込められておるのです。もうかれこれ二十五年近くにもなりましょうか」
「なんだって? そんなバカなことが」
「本当ですじゃ。それでここから助け出してくれるひとが現れるのを、ずっと待っておったのです」
 老人は疲れたように深いため息をついた。
「最初のころは、好奇心からこのビデオを再生してくれるひともおるにはおったのですが、こちらから話しかけるとみな気味悪がってすぐに消してしまうのです」
「そりゃあそうでしょう。映像のなかの人物とコミュニケーションが取れるなんてだれも想像してませんから」
「そのうちにビデオがDVDにとって代わられ、再生してくれるひとがぱったりいなくなりました」
「今の若い子たちは、ビデオデッキの存在自体知らないんじゃないでしょうか」
 僕はさもありなんというふうにうなずいた。老人がすがりつくような目で言う。
「だからあなたに巡り会えたのはまさに僥倖。お願いですじゃ、どうかわしらを助けてくだされ!」
「いや助けたいのはやまやまですが、いったいどうやって」
「なに、簡単なことですじゃ」
 老人は、すっと右手の人差し指を伸ばした。
「この先端を、あなたの指先で触れてくだされ」
「え、それだけ? そんなことで、そこから抜け出せるの?」
「そうですじゃ。さあ、早く――」
 僕はテレビ画面に映る老人の指に、自分の指先をちょこんと触れさせた。
「うわあ」
 突然、視界がぐにゃりと歪んだ。
 やがて目のまえが真っ暗になり、気がつくと見知らぬ部屋に茫然とたたずんでいた。
 眼前に四角く切り取られたような空間がある。そこに先ほどの老人と少年が映り込んでいた。
「ほほほ、成功したようじゃわい」
「……あの、これはいったい?」
「じつはビデオのなかから出るには、身代わりが必要なのじゃ」
「身代わり……ってまさか!」
「そう、おまえさんじゃよ、ヒヒヒ」
 僕はぶったまげて言った。
「冗談じゃない。早くここから出してください」
「わしに頼んでも無駄じゃ。せっかく二十五年ぶりにシャバへ出られたというのに」
「そんな……」
 蒼白になる僕に、老人は意地の悪い顔で言った。
「気の毒じゃが、次にだれかこのビデオを再生してくれるひとが現れるまで待つしかないのう。もしどこかの物好きがビデオを再生したらば、わしがさっきやったのと同じ方法で出られる。まあ何十年先のことになるか分からんが、気長に待つことじゃ」
 そう言って、老人はリモコンの停止ボタンを押した。
「あ、ちょっと待って――」
 老人の顔が消えて目のまえの空間がふっと閉じると、急に周囲が暗くなり、僕はひとりぼっちの部屋でぽつんんと取り残されていた。




『学級委員』【りきてっくす→るうね】

 梨花の通う高校では、後期の学級委員に選ばれると、もれなく文化祭実行委員も兼任しなくてはならないという特典がついてくる。文化祭実行委員は、見た目の地味さとは裏腹にけっこうキツイ仕事だ。開催日が近づくにつれ、だんだんと学校に拘束される時間が長くなり、文化祭当日の一週間くらい前になると、部活動を終えた生徒が残らず帰宅した後も学校にとどまり黙々と作業をこなさなければならない。高校二年の秋といえば、そろそろ大学受験のことが頭をよぎる時期だ。当然のことながら、このたいして感謝もされない校内ボランティアを進んでやりたがる者はいない。
 後期の学級委員を決めるホームルームがあった日、不覚にも学校を休んでしまった梨花が、ほぼ満場一致でこれに選ばれてしまった理由は、まあそんなところだ。
「おー・まい・がっ!」
 翌日まだシクシク痛むお腹を押さえながら登校してきた彼女は、まず民主主義というものに失望し、次いで他の女子たちよりちょっぴり重い自分の生理痛のことを恨んだ。
「ねえ、ホームルーム欠席したってだけで、あたしに学級委員押し付けるなんて、ひどくなーい?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み